電脳筆写『 心超臨界 』

水の流れが岩と衝突するところ常に水の流れが勝る
力ではなくその持続性によって
( お釈迦さま )

◆騎士道なきアメリカの野蛮さ

2024-06-29 | 05-真相・背景・経緯
§4 東京裁判――日本に犯罪国家の烙印を押すために演じられた政治ショー
◆騎士道なきアメリカの野蛮さ


アメリカにとって、日本との戦争もインディアンとの戦争と同じであり、敵は徹底的に悪く、敵の大将は悪魔に等しい。これを人間として国際法で公平に扱う必要はないということになる。その発想が東京裁判にも反映されているとしか思えない。「死刑の判決は出た。しかし司令官の恩情をもって無期刑に処す」という騎士道的に立派な行為が出てくる余地はなかった。


◇騎士道なきアメリカの野蛮さ――渡部昇一

『「パル判決書」の真実』
( 渡部昇一、PHP研究所 (2008/8/23)、p23 )

東京裁判においては、少なくとも死刑執行はやめるべきだったと私は思う。マッカーサーの条例によって成り立った裁判だから、マッカーサーには死刑をやめさせる権限があったが、マッカーサーはそれをやらなかった。なぜか。アメリカに騎士道精神の伝統が欠如しているからである。

これはアメリカを考える場合に非常に重要な点だと思うが、アメリカには「中世」が抜けている。ヨーロッパからアメリカに入って建国を担ったピューリタンの伝統のなかに中世がないためだ、というのが私の解釈である。

ヨーロッパの「中世」とは、まさにカトリックによってつくられた時代である。カトリックに反対するプロテスタント的な見方では、中世は暗黒時代だとされるが、しかし実際には、古代ギリシャ文明、古代ローマ文明で基礎となった奴隷制度は中世千年のあいだに消滅し、一方でヨーロッパ中に大学ができた。そして女性や敵を思いやる騎士道も生じた。ある意味ではヨーロッパらしいヨーロッパをつくった時代である。暗いどころか、明るかったと私は思うのだが、この中世を完全に無視したのが、宗教改革でカトリックに反対したプロテスタントだったのである。ピューリタンはプロテスタントの中でもラディカルな一派である。

ピューリタンは、愛の神の書といわれる『新約聖書』よりも復讐の神が出てくるといわれる『旧約聖書』を重視し、また古代ギリシャ、古代ローマを学び、ギリシャ・ローマの古典的な知識を尊ぼうとする傾向がある。だから、彼らは裁判所を建てるときでも、市の公会堂を建てるときでも、ギリシャ式、ローマ式を選び、中世のゴシック式は採用しない。

また、奴隷制度を廃止した中世が抜けているので、古代ギリシャや古代ローマに存在した奴隷制度が新しいスタイルでアメリカに復活したし、中世独特の騎士道精神も抜けてしまったのだと私は理解している。

騎士道の特色の一つは決闘にある。決闘で問題となるのは「やり方が正しいかどうか」だ。ピストルを使う決闘であれば、定められたピストルを持ち、何メートル離れ、何歩歩いてから振り返って撃つという決まり事を破ってはいけない。だから、決闘は後見人が付く。

決闘の習慣は騎士がいなくなった近代においても、貴族やジェントルマンに引き継がれ、その精神と原理は失われなかった。たとえば、1648年、宗教戦争が終わったときに結ばれ、近代戦争の決まり事を定めたウエストファリア条約には、決闘の原理が生きている。ウエストファリア条約は領土の問題をはじめ、「宗教と政治は別にすること」「大きな国と小さい国の権利は同じとし、戦争はどの国も主権があって行われる」といった後世まで残る価値観を含んでいるが、「戦争ではどちらがいいとか悪いとかをいってはいけない」という立場をとり、やり方が悪かったら――捕虜を虐待したり、住民を殺傷したら――処罰の対象になる。

こういうルールが1648年以来、ヨーロッパではおおむね守られた。だから、ナポレオンの裁判も、「イギリス人は残酷だ」という批判がヨーロッパで起こったし、元首のナポレオンを島流しにすべきではないという意見が非常に強かった。それでもイギリスは流刑に処した。が、そこまでである。当時の観念では、敵の大将を死刑にするという騎士道に反したことはとてもできることではなかった。

ところが、アメリカには中世がないから騎士道がない。ゆえに、敵はすべて悪魔のような存在と捉えられる。言い方を換えれば、三十年戦争までの宗教戦争の世界観から脱していない。だから、戦うインディアンはつねに悪いインディアンだとされる。西部劇では土地を奪われるインディアンが悪で、奪う側の白人が善であった。

アメリカにとって、日本との戦争もインディアンとの戦争と同じであり、敵は徹底的に悪く、敵の大将は悪魔に等しい。これを人間として国際法で公平に扱う必要はないということになる。

その発想が東京裁判にも反映されているとしか思えない。「死刑の判決は出た。しかし司令官の恩情をもって無期刑に処す」という騎士道的に立派な行為が出てくる余地はなかった。逆に、マニラでの裁判では、シンガポールを落とした山下大将の死刑を、降伏したイギリスの司令官であるパーシバルに見せてやろうと、わざわざパーシバルを呼ぶという野蛮なことを、マッカーサーはやったのである。また自分をフィリピンから追い落とした本間中将をも絞首刑にしている。
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