ここ20年ほど「歴史認識」という言葉が妙なかたちで独り歩きしています。本来「歴史認識とは、正しく歴史をとらえるための知的姿勢を語る言葉だったはずなのに、今では、ある特定の歴史上の出来事についての特定の見解を指して「歴史認識」という言葉が使われます。そして少しでもそれに疑問を持って客観的な再検証を試みようとすると、「歴史修正主義」というレッテルのもとに厳しく糾弾されてしまう…… . . . 本文を読む
「母を描け」と言われても、目の見えない子は母の顔は見えません。母の体を撫でたりさすったりして、母の外形は掌で見たでしょう。しかしそのとき、母の手が二本以上あったと感じはしなかったでしょう。母の手はまさしく左右の日本しかないことを、この子はよく知っていたはずです。すると、この子が描いた母の、数の多い手はどういう手でしょう。 . . . 本文を読む