電脳筆写『 心超臨界 』

想像することがすべてであり
知ることは何の価値もない
( アナトール・フランセ )

用意ができたとき師が現われる 《 「これ、いい本だから読みなさい」――福泉寺住職の奥さん 》

2024-06-30 | 03-自己・信念・努力
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日本の歴史、伝統、文化を正しく学び次世代へつなぎたいと願っています。
20年間で約9千の記事を収めたブログは私の「人生ノート」になりました。
そのノートから少しずつ反芻学習することを日課にしています。
生涯学習にお付き合いいただき、ありがとうございます。

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東京裁判史観の虚妄を打ち砕き誇りある日本を取り戻そう!
そう願う心が臨界質量を超えるとき、思いは実現する
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■『小樽龍宮神社「土方歳三慰霊祭祭文」全文
◆村上春樹著『騎士団長殺し』の〈南京城内民間人の死者数40万人は間違いで「34人」だった〉
■超拡散『世界政治の崩壊過程に蘇れ日本政治の根幹とは』
■超拡散『日本の「月面着陸」をライヴ放送しないNHKの電波1本返却させよ◇この国会質疑を視聴しよう⁉️:https://youtube.com/watch?v=apyoi2KTMpA&si=I9x7DoDLgkcfESSc』
■超拡散『移民受入れを推進した安倍晋三総理の妄言』
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禅の中に、「用意ができたときに師は現われる」という教えがあります。自分に準備がなければ、すべては無意味な存在でしかないということです。意志が生まれたとき、手をさしのべる師は現われる。師はいたる所にいる。ふと目にした新聞の記事や子供の質問に答えた自分の言葉であることもある。「師はどのように現われるのか?」との質問への答えは、「これがそうだ」という以外にない。たとえば死にかけた虫を見て、自分の中に同情心がかき立てられた瞬間に、師が出現したことになるのである。


一時期は、紹介してくれる人がいて、欄間の彫刻で有名な富山県の井波の先生のところへ行って弟子になろうとしていたんです。ところが、鐘楼を建てた遠野の福泉寺の住職の奥さんに、「これ、いい本だから読みなさい」と言われて渡されたのが、高田好胤さんの「心」という本です。それで、よくテレビに出ているお坊さんの奈良のお寺が、でっかい金堂を再建しようとしていることを知ったわけです。金堂て何さ、金のお堂か、そんなくらいで何にも知らなかった。でも「これだ」と思って、井波に行くのをやめ、奈良に飛び出したんです。


◆「これ、いい本だから読みなさい」

面白きかな 多能工 [2]――菊池恭二・宮大工
( 日経新聞「人間発見」)

71年3月、3年で身上がり(年季明け)した。家大工としての歩みを始めたばかりの夏、地元の寺の鐘楼建築を手伝わないかと誘われる。19歳だった。

柱は丸いし太いし、住宅とはまったく違う。それに、建物の大きさに対しての柱の太さとか軒の太さとか、「木割り」というんですが、そういう約束事があって初めて形のいい建物ができる。

何も知らずにちんぷんかんぷんなわけですよ。それでも好きだから、話を聞いたり、先輩がつけた墨(印)を自分が刻んだり(加工したり)する。組み上がると、たとえばパーツでも「ああおれがやったんだ」とわくわくする部分があるじゃないですか。そういう充実感を味わったんですね。

そのころ日光の東照宮行って、これがお宮の建築か、自分ができる話でないなあ、すごいなあと漠然と感じました。それから竜や獅子の彩色した彫刻も見た。社寺に彫刻はつきものですよね。だから、彫刻やりたいなとも思ったんですよ。

一時期は、紹介してくれる人がいて、欄間の彫刻で有名な富山県の井波の先生のところへ行って弟子になろうとしていたんです。ところが、鐘楼を建てた遠野の福泉寺の住職の奥さんに、「これ、いい本だから読みなさい」と言われて渡されたのが、高田好胤さんの「心」という本です。それで、よくテレビに出ているお坊さんの奈良のお寺が、でっかい金堂を再建しようとしていることを知ったわけです。

金堂て何さ、金のお堂か、そんなくらいで何にも知らなかった。でも「これだ」と思って、井波に行くのをやめ、奈良に飛び出したんです。
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