チャーチルの回顧録では自分の提案だと言っているんですけど、百歩譲って彼の提案だとしても、ルーズベルトがいない時にどうしてそれを提案できたのだろうかという疑問が当然生じてくるんですよね。しかも、自分で東欧を売り渡しておいて「私は何も知らなかった」というヤルタの釈明はできるはずがないんですよ。その他の、たとえば日本のことなどについては、自分が知らなかったと言いたいわけでなんでしょうけど、そうはいかないだろうという気がしてね。 . . . 本文を読む
渡部昇一の、その平衡感覚と良識と、いつも身をのりだして語る平易な話法と、ヒマワリにたとえたい明るさと、かならずワサビをきかせるおだやかな美徳は、現代にもっとも適(あ)っている。自分の親を譏(そし)る者を、どこの誰が信用するか。自分の国を非難する者を、いかなる外国人が尊敬するか。わが国と、わが国民とを、深く信頼する誠実から、渡部昇一の独創的な見解が、常にコンコンと湧きでるのである。 . . . 本文を読む
書物は選び抜かれた人たちばかりが集まる社交界にわれわれをいざない、すぐれた人たちに紹介してくれる。われわれは彼らの言葉や行動を目のあたりにし、まるでその人たちが現実に生きているような気になる。自分もその思想に参加し、ともに喜び、悲しみ、共鳴し合う。作者の経験は自分の経験となり、彼らが描き出した舞台を背景に一緒に主役を演じているような気分になるのである。 . . . 本文を読む
実際に行動を起こすよりも、先に延ばすほうが楽な状況を以下にいつくがあげてみよう。◇行きづまってしまっていて、これ以上力を発揮することができないことがわかっていながらその仕事にすがりついている。◇気まずくなってしまった人間関係にいつまでもしがみついている。先へいけばうまくいくだろうと期待するだけで何もせず、そのまま結婚生活(あるいは未婚の状態)を続けている…… . . . 本文を読む
現在は、その根を過去の中に持ち、祖先の生活と手本はわれわれにいまなお大きな影響を及ぼす。同時に、われわれの日々の行動も子孫の人格形成に貢献している。現代に生きる人間は、それに先立つ幾世代の文化によって育てられた果実にほかならず、はるか遠い過去とずっと先の未来とを行動と手本によって結びつける磁石の役割をになっている。 . . . 本文を読む
いい考えを持ち、真剣な努力を重ねても、なかなかにこれが世間に認められないときがある。そんなときには、ともすると世間が冷たく感じられ、自分は孤独だと考え、希望を失いがちとなる。だが悲観することはない。めくらが千人いれば、目明きもまた千人いるのである。そこに、世間の思わぬ暖かさがひそんでいる。 . . . 本文を読む
宇宙の心と一つに人間の心がなれば、ここに初めて宇宙の本体も本質も明らかになってきて、当然の帰結としてこの宇宙の心が「真善美」以外の何ものでもなく、そして同時に人間の心の本質もまた「真善美」以外の何ものでもないことがわかってくる。 . . . 本文を読む
「糸瓜(へちま)咲(さい)て痰(たん)のつまりし仏(ほとけ)哉(かな)」の一句を遺して、正岡子規(1867-1902年)は結核のために36歳で亡くなります。彼の病中日記が、有名な『病牀六尺(びょうしょうろくしゃく)』です。『病牀六尺』は、彼が36歳で亡くなる年の明治35年5月5日から、9月17日までの4ヵ月余の間、まさにその命を終える2日前まで、127回にわたり新聞『日本』に連載された随筆(エッセイ)です。結核は当時は死病です。 . . . 本文を読む