電脳筆写『 心超臨界 』

想像することがすべてであり
知ることは何の価値もない
( アナトール・フランセ )

セレンディビティの予感 《 科学は「未来」を予測しない――武田邦彦 》

2024-06-30 | 05-真相・背景・経緯
電脳筆写『心超臨界』へようこそ!
日本の歴史、伝統、文化を正しく学び次世代へつなぎたいと願っています。
20年間で約9千の記事を収めたブログは私の「人生ノート」になりました。
そのノートから少しずつ反芻学習することを日課にしています。
生涯学習にお付き合いいただき、ありがとうございます。

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
東京裁判史観の虚妄を打ち砕き誇りある日本を取り戻そう!
そう願う心が臨界質量を超えるとき、思いは実現する
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
■『小樽龍宮神社「土方歳三慰霊祭祭文」全文
◆村上春樹著『騎士団長殺し』の〈南京城内民間人の死者数40万人は間違いで「34人」だった〉
■超拡散『世界政治の崩壊過程に蘇れ日本政治の根幹とは』
■超拡散『日本の「月面着陸」をライヴ放送しないNHKの電波1本返却させよ◇この国会質疑を視聴しよう⁉️:https://youtube.com/watch?v=apyoi2KTMpA&si=I9x7DoDLgkcfESSc』
■超拡散『移民受入れを推進した安倍晋三総理の妄言』
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━


  セレンディピティ(英語: serendipity)とは、素敵な偶然に出会ったり、
  予想外のものを発見すること。また、何かを探しているときに、探して
  いるものとは別の価値があるものを偶然見つけること。平たく言うと、
  ふとした偶然をきっかけに、幸運をつかみ取ることである。
  [ ウィキペディア ]


有名なドイツの哲学者ゲオルク・ヴィルヘルム・フリードリヒ・ヘーゲルが『法の哲学』の序文に記した「ミネルバのフクロウは夕暮れに飛翔(ひしょう)する」という言葉をご存じの方もいるでしょう。ミネルバとはギリシャの女神で「知恵と勝利」を司(つかさど)っていて、その横に傅(かしず)くフクロウは「学問」のことなら何でも知っています。(中略)この言葉の意味は、「フクロウ(哲学者)の役割は“過ぎ去った時間の中で形成されたものを概念としてまとめ、世の中に提示すること”である。哲学者は、予言者ではない」ということです。科学者もこれと同じです。


◆科学は「未来」を予測しない――武田邦彦

『武器としての理系思考』
( 武田邦彦、ビジネス社 (2021/3/3)、p18 )

一見すると科学の話のようでありながら、実はデータの裏づけなどの根拠がまったくない……、そんな似非(えせ)科学が今の世の中にはあふれています。

残念なことに、新聞やテレビで大きく報じられ、社会的に「定説」とされているような事柄においても同じことが言えます。そうしたものに騙(だま)されないためには、まず“科学の基本”というものを理解することが大切です。

ここでいう科学の基本とは、物理の公式であるとか、数学の2次方程式とかそういうものではありません。科学というものが持っている外見的な特性というような、ちょっと注意してみれば誰の目にも見えるもののことです。ここを理解していれば、「科学の皮をかぶったウソ」に騙されることはなくなるでしょう。

科学がどういうものかを理解するということは、物事の“本質”を見究めること。数字や数式は必要なし。ですから、本書で身につけていただきたい。“理系思考”は逆説的ですが、いわゆる「文系」の人のほうがいわゆる「理系」の人より深く理解できるかもしれません。

まず、科学の基本原則として「科学は未来を予測しない」ということがあります。これは案外と多くの人が見誤っているポイントでしょう。

よく科学者と呼ばれる人が、「来年の予測」や「10年後の日本」など将来予測をするのをテレビで見かけますが、本物の科学者は安易に“未来”を予測しません。それはなぜでしょうか。

そもそも科学というものは、「わからないことがある」というのが基本になっているからです。

「私たちは森羅万象のうちのほんの一部しか知らず、ほとんどのことがわかっていない」――、このような認識を持っているのが、本物の科学者です。

これは哲学の世界でも言われていることです。

有名なドイツの哲学者ゲオルク・ヴィルヘルム・フリードリヒ・ヘーゲルが『法の哲学』の序文に記した「ミネルバのフクロウは夕暮れに飛翔(ひしょう)する」という言葉をご存じの方もいるでしょう。

ミネルバとはギリシャの女神で「知恵と勝利」を司(つかさど)っていて、その横に傅(かしず)くフクロウは「学問」のことなら何でも知っています。そのフクロウは、日が明けても飛び立たず、夕方になると飛び立つというのです。ここでの朝とは「物事の始まり」、夕方とは「すべて終わった後」を表しています。

この言葉の意味は、「フクロウ(哲学者)の役割は“過ぎ去った時間の中で形成されたものを概念としてまとめ、世の中に提示すること”である。哲学者は、予言者ではない」ということです。

科学者もこれと同じです。

物事が始まるときに活動を始めるのは政治家や実業家です。そして昼が過ぎ、夕方になるとその日の勝負がついて、選挙に落選する人、事業に失敗する人というのが出てきて、当選した政治家やお金を儲(もう)けた実業家が繁栄します。

飛び立ったフクロウはそうした経緯を上空から見て、「あの人はこういうことで成功したんだ」「彼はこういうところで目が利いたんだ」ということを科学的に説明するのです。

また、科学は「整理の学」「解析の学」とも言います。

つまり、物事を整理し、数式などを使って解析し、「これはこういうことだった」と分析するのが科学であって、未来を予測するのは科学ではありません。

「未来学」というものもありますが、これは過去のデータを分析して未来を確率的に論じるもの。数学的アプローチをとっているので学問として成立しているのかもしれませんが、いわゆる自然科学や社会科学とは別種のものだと言えるでしょう。

言うまでもなく、「未来を予測する」というのは非常に難しいことです。

2020年に世界中で感染拡大した新型コロナウイルスについても、今後どうなるかはわかりません。

2019年11月末に最初の患者が出たとされ、12月に中国の武漢(ぶかん)で流行(はや)り始め、それから世界に広まっていったわけですが、その過程で多くの識者がさまざまな予測をしました。

ノーベル賞学者の中にも予測的なことを言った方がおられますが、結局それもまったくハズレていました。

これが意味するところは、ノーベル賞を受賞した学者のような頭の良い人だからといってそうそう予測が当たるものではないということ。これも「科学的手法」で未来を予測することはできない」ということの一つの証拠と言えるでしょう。

地震予知や火山噴火の予測が当たらないというのも同じことです。本来、科学は未来を予知するための学問ではないのです。

したがって、未来を予測する科学者の言うことは信用してはいけません。もしも科学が未来を予測するのに適しているのであれば、科学者は株や為替で大儲けをして悠々自適の生活をしているはずです。

しかし、ほとんどの科学者は貧乏で、研究費を得るために苦労しているというのが実際のところです。
この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 般若心経 《 木組みは人組み... | トップ | 読むクスリ 《 牛のサラリー―... »
最新の画像もっと見る

05-真相・背景・経緯」カテゴリの最新記事