電脳筆写『 心超臨界 』

自然は前進と発展において留まるところを知らず
怠惰なものたちすべてにののしりを発する
( ゲーテ )

◆「進歩的文化人」という名の国賊《 大塚久雄——近代日本を全否定した国賊 》

2024-07-24 | 05-真相・背景・経緯
§5-3 戦後の言論界を牛耳った「進歩的文化人」という名の敗戦利得者たち
◆「進歩的文化人」という名の国賊《 大塚久雄——近代日本を全否定した国賊 》


日本の近代史を批判したり弾劾したり嘲弄(ちょうろう)したりわが国を蔑(ないがし)ろにした論客は無数にいます。しかし、近代日本の達成を情(なさけ)容赦なく零(ゼロ)と決めつける、これほどまでに冷酷な裁定は、ひとり大塚久雄の比類なき独創でありましょう。1章でも述べたとおり、「近代科学成立の基盤たる合理性も見出されない」という峻厳きわまる断罪は、典型的な一例です。


『悪魔の思想』 「進歩的文化人」という名の国賊12人
( 谷沢永一、クレスト社 (1996/02)、p282 )
進歩的文化人の原型・大塚久雄(おおつかひさお)への告発状
第13章 近代日本を全否定した国賊

  大塚久雄(おおつかひさお)
  明治40年生まれ。京都帝大卒。法政大教授、東大教授、東大名誉
  教授を歴任。反日感情を前提とした“大塚史学”を確立させる。

  明治以来の日本人が苦心の末に築き上げた近代社会を全面的に否定
  し、近代国家である日本は実は近代社会ではなかったのだと弾劾し
  たのが大塚久雄です。近代の日本人には近代精神がどこにも見出さ
  れないのだと、それほどまでに徹底的にわが国民を侮蔑した例は他
  にありません。日本には近代科学を成立させる基盤であるところの
  合理的思考がなかったと断言するのですから、我が国の近代科学は
  すべて虚構虚偽(うそはったり)だったということになります。この
  ような妄言が生まれた根拠を探ってみようではありませんか。

■近代日本の達成を零(ゼロ)と決めつける冷酷な裁定

  吾(わ)が国では民衆の間に近代的・民主的人間類型を余(あま)り見
  ることなく(中略)従(したが)つて又(また)真実に近代的・民主的
  政治的主体も亦(また)十分に結集されることがない。
  (昭和23年9月10日『近代化の人間的基礎』白日書院、6頁)

この場合に「余り見ることなく」と言って「余り」という変な留保条件をつけたのは「固(もと)より前衛的近代人層は別として」と断わって、日本共産党に会釈するための細やかな心遣いなのです。それはまあご愛嬌として、大塚久雄によるこの言立(いいた)てによれば、近代日本社会は、近代的資本主義組織のみあって、近代的人間は日本共産党をのぞいてはひとりもいなかった、という不思議な世界であるということになります。

船舶は航進しているのに船員がひとりも見あたらないという、かつての谷譲次(じょうじ)が描いた世界海難史上に有名な怪談そっくりの光景となります。

  吾が国の民衆が一般に示しつゝあるところの人間類型、或(ある)ひ
  は彼等の醸し出しつゝあるエトスが、現在なほ凡(およ)そ近代的・
  民主的なものでないことは社会学的観点から見て到底否(いな)み難
  (がた)いところである。
  (同前6頁)

近代的でもない、民主的でもない、それなら「封建的」と評されるべきなのでしょうか。いや、封建的の域にまで達していないのだそうです。

  吾が国民衆の示しつゝある人間類型は簡単に封建的と云(い)ひ切る
  ことは出来ない一層複雑な謂(い)はばアジア的なものであると思ふ
  が……。
  (同前7頁)

アジアを知らないでアジアを論じたマルクスの放言を下敷にしていることはもちろんですが、近代日本は「封建的」よりもさらに進化程度の低い段階にとどまっているのであるという峻烈な判定なのでしょうね。

  (吾が国民衆の示しつゝある人間類型は)少くとも近代「以前」的
  なものであるといふことは殆ど説明を要しないことであらう。
  (同前7頁)

いつの場合においても「説明を要しない」と突っ撥(ぱ)ねて国民のひとり残らず全員を一方的に貶斥(へんせき)しつくすのは、いたって楽珍(らくちん)な優越感の満足でしょうなあ。あまりにも馬鹿馬鹿しいので、まともな反論を「要しない」と思われます。

  そこには近代人に特有な内面的自発性も見出されない。市民社会特
  有の「公平」――あの中世的な「公平」ではない――の特性も見出
  されない。近代科学成立の基盤たる合理性も見出されない。更(さ
  ら)に近代精神を根底的に特徴づけてゐるあの民衆への愛と尊敬、
  名も無い民衆の日常的経済生活を深くも顧慮するところのあの社会
  的関心も亦(また)見出されない。
  (同前7頁)

これが明治維新このかた80余年を閲(けみ)した近代日本社会の赤裸々な実態なのです。

なんと世界に比較例を見ない恥ずべき野蛮国でありましょうか。日本の近代史を批判したり弾劾したり嘲弄(ちょうろう)したりわが国を蔑(ないがし)ろにした論客は無数にいます。しかし、近代日本の達成を情(なさけ)容赦なく零(ゼロ)と決めつける、これほどまでに冷酷な裁定は、ひとり大塚久雄の比類なき独創でありましょう。1章でも述べたとおり、「近代科学成立の基盤たる合理性も見出されない」という峻厳きわまる断罪は、典型的な一例です。 
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