電脳筆写『心超臨界』へようこそ!
日本の歴史、伝統、文化を正しく学び次世代へつなぎたいと願っています。
20年間で約9千の記事を収めたブログは私の「人生ノート」になりました。
そのノートから少しずつ反芻学習することを日課にしています。
生涯学習にお付き合いいただき、ありがとうございます。
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東京裁判史観の虚妄を打ち砕き誇りある日本を取り戻そう!
そう願う心が臨界質量を超えるとき、思いは実現する
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■超拡散『世界政治の崩壊過程に蘇れ日本政治の根幹とは』
■超拡散『日本の「月面着陸」をライヴ放送しないNHKの電波1本返却させよ◇この国会質疑を視聴しよう⁉️:https://youtube.com/watch?v=apyoi2KTMpA&si=I9x7DoDLgkcfESSc』
■超拡散記事『榎本武揚建立「小樽龍宮神社」にて執り行う「土方歳三慰霊祭」と「特別御朱印」の告知』
■超拡散『南京問題終結宣言がYouTubeより削除されました』
■超拡散『移民受入れを推進した安倍晋三総理の妄言』
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ところが、やがて気づかされたのは、ダブルに損をすると「得(とく)になる」ということだった。“シングルの損”だけにしておくと、残るのは、腹立たしさ口惜(くや)しさだけであり、折あらば仕返しをと考える自分だけである。ところが思い切ってダブルに損をすると、そこには、ほめてやりたい自分が残り、「よかった」という満足感が残るから不思議だ。
◆ダブルに損をすると「得になる」
『目に見えないけれど大切なもの』
( 渡辺和子、PHP文庫、p159 )
“許し”がもたらすもの
許すということは、損をすることなのかも知れないと思う。だから、難しいのだ。
もう四十年も前のことだけれども、周囲の人たちの無理解に腹を立て、不機嫌だった私に、一つの詩が与えられた。
もしあなたが、誰かに期待した
ほほえみが得られなかったら
不愉快になる代わりに あなたの方から
ほほえみかけてごらんなさい
実際、ほほえみを忘れたひとほど
あなたからのそれを
必要としている人はいないのだがら
貰(もら)えるはずのものが貰えなかっただけでも「損した」と思うのに、こちらがそれを与えるなんて、これでは“ダブルの損”だと、私はその時思ったものである。
ところが、やがて気づかされたのは、ダブルに損をすると「得(とく)になる」ということだった。“シングルの損”だけにしておくと、残るのは、腹立たしさ口惜(くや)しさだけであり、折あらば仕返しをと考える自分だけである。ところが思い切ってダブルに損をすると、そこには、ほめてやりたい自分が残り、「よかった」という満足感が残るから不思議だ。
ダブルの損を実行するのは決して易しいことではない。まず、相手の立場になる心のゆとり。「相手こそ、私の欲しいものを私以上に必要としているのだ」と考えることができるこのゆとりは、自分中心に生きている限りは生れない。それは一つの“許し”である。
次に、自分を大切にする決心。相手の出方に左右されず、自分は自分であり続けようという強い意志とプライドが、ダブルの損を可能にしてくれる。売り言葉に買い言葉的行動をしてしまった後の惨めな思いを、誰しも少なからず経験しているのではなかろうか。
かくて、自分の生活を大切にしたいなら、相手を許さないといけない。許すことによって、自分が相手の束縛から解放されるからである。夫の裏切り行為に苦しみ抜いた一人の人が、その苦しみから立ち直った時にいった言葉が忘れられない。「傷つけた相手を許すことによって、自立が可能になりました」。
許すということは易しいことではない。しかし、許すことによって、私たちは相手の支配から自由になり、自立をかち得るのだ。かけがえのない自分の時間を、他人の支配に任せていては、もったいない。時間の使い方は生命の使い方なのだから。
韓国には、「行く言葉が美しい時、返る言葉も美しい」という諺があると教えられたことがある。相手がどのようであっても、自分は“美しく話す”ということは、大変な勇気が要る時がある。しかし、それを実行しない限り、美しい言葉を相手から聞くことはできないのだ。
求めるものを与える時、そこには主体性がもたらす豊かな人生が生れる。許すこと、損することを惜しんではならない。
日本の歴史、伝統、文化を正しく学び次世代へつなぎたいと願っています。
20年間で約9千の記事を収めたブログは私の「人生ノート」になりました。
そのノートから少しずつ反芻学習することを日課にしています。
生涯学習にお付き合いいただき、ありがとうございます。
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東京裁判史観の虚妄を打ち砕き誇りある日本を取り戻そう!
そう願う心が臨界質量を超えるとき、思いは実現する
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■超拡散『世界政治の崩壊過程に蘇れ日本政治の根幹とは』
■超拡散『日本の「月面着陸」をライヴ放送しないNHKの電波1本返却させよ◇この国会質疑を視聴しよう⁉️:https://youtube.com/watch?v=apyoi2KTMpA&si=I9x7DoDLgkcfESSc』
■超拡散記事『榎本武揚建立「小樽龍宮神社」にて執り行う「土方歳三慰霊祭」と「特別御朱印」の告知』
■超拡散『南京問題終結宣言がYouTubeより削除されました』
■超拡散『移民受入れを推進した安倍晋三総理の妄言』
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ところが、やがて気づかされたのは、ダブルに損をすると「得(とく)になる」ということだった。“シングルの損”だけにしておくと、残るのは、腹立たしさ口惜(くや)しさだけであり、折あらば仕返しをと考える自分だけである。ところが思い切ってダブルに損をすると、そこには、ほめてやりたい自分が残り、「よかった」という満足感が残るから不思議だ。
◆ダブルに損をすると「得になる」
『目に見えないけれど大切なもの』
( 渡辺和子、PHP文庫、p159 )
“許し”がもたらすもの
許すということは、損をすることなのかも知れないと思う。だから、難しいのだ。
もう四十年も前のことだけれども、周囲の人たちの無理解に腹を立て、不機嫌だった私に、一つの詩が与えられた。
もしあなたが、誰かに期待した
ほほえみが得られなかったら
不愉快になる代わりに あなたの方から
ほほえみかけてごらんなさい
実際、ほほえみを忘れたひとほど
あなたからのそれを
必要としている人はいないのだがら
貰(もら)えるはずのものが貰えなかっただけでも「損した」と思うのに、こちらがそれを与えるなんて、これでは“ダブルの損”だと、私はその時思ったものである。
ところが、やがて気づかされたのは、ダブルに損をすると「得(とく)になる」ということだった。“シングルの損”だけにしておくと、残るのは、腹立たしさ口惜(くや)しさだけであり、折あらば仕返しをと考える自分だけである。ところが思い切ってダブルに損をすると、そこには、ほめてやりたい自分が残り、「よかった」という満足感が残るから不思議だ。
ダブルの損を実行するのは決して易しいことではない。まず、相手の立場になる心のゆとり。「相手こそ、私の欲しいものを私以上に必要としているのだ」と考えることができるこのゆとりは、自分中心に生きている限りは生れない。それは一つの“許し”である。
次に、自分を大切にする決心。相手の出方に左右されず、自分は自分であり続けようという強い意志とプライドが、ダブルの損を可能にしてくれる。売り言葉に買い言葉的行動をしてしまった後の惨めな思いを、誰しも少なからず経験しているのではなかろうか。
かくて、自分の生活を大切にしたいなら、相手を許さないといけない。許すことによって、自分が相手の束縛から解放されるからである。夫の裏切り行為に苦しみ抜いた一人の人が、その苦しみから立ち直った時にいった言葉が忘れられない。「傷つけた相手を許すことによって、自立が可能になりました」。
許すということは易しいことではない。しかし、許すことによって、私たちは相手の支配から自由になり、自立をかち得るのだ。かけがえのない自分の時間を、他人の支配に任せていては、もったいない。時間の使い方は生命の使い方なのだから。
韓国には、「行く言葉が美しい時、返る言葉も美しい」という諺があると教えられたことがある。相手がどのようであっても、自分は“美しく話す”ということは、大変な勇気が要る時がある。しかし、それを実行しない限り、美しい言葉を相手から聞くことはできないのだ。
求めるものを与える時、そこには主体性がもたらす豊かな人生が生れる。許すこと、損することを惜しんではならない。