電脳筆写『心超臨界』へようこそ!
日本の歴史、伝統、文化を正しく学び次世代へつなぎたいと願っています。
20年間で約9千の記事を収めたブログは私の「人生ノート」になりました。
そのノートから少しずつ反芻学習することを日課にしています。
生涯学習にお付き合いいただき、ありがとうございます。
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東京裁判史観の虚妄を打ち砕き誇りある日本を取り戻そう!
そう願う心が臨界質量を超えるとき、思いは実現する
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■緊急拡散宜しく『日本を崩壊へ導く「選択制夫婦別姓」問題』
■『小樽龍宮神社「土方歳三慰霊祭祭文」全文
◆村上春樹著『騎士団長殺し』の〈南京城内民間人の死者数40万人は間違いで「34人」だった〉
■超拡散『移民受入れを推進した安倍晋三総理の妄言』
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世の中でいちばん大切なものは家族と愛
( ジョン・ウッドン )
The most important thing in the world is family and love.
( John Wooden )
◆子供が最後に言った言葉
*人生を照らす言葉 連載(36)
文学博士・鈴木秀子
( 『致知』2011年11号、p98 )
私が東日本大震災の1か月後に被災地を訪問した折にも、息子を亡くした一人のお母さんに出会いました。南三陸町のそのお宅では、お父さんが一年前に交通事故で亡くなり、母子二人で寄り添って暮らしていました。
3月11日当日、十歳の息子は風邪をひいて家で休んでいました。そこに激しい地震が訪れ、大津波が来るという報(しら)せを受けて、避難することになったのです。着の身着のままで子供の手を引き、外に出ようとした時、お母さんはふと思い立ちました。
「お母さんは大事なものを取ってくるので、ここにいてね」
病気の息子のために、二階から防寒具を取ってこようとしたのです。すると、
「僕が大事なもの、持ってきたよ」
子供が見せたものは、仏壇から持ち出した父親の遺影でした。
「そう、お父さんは一緒なんだ。じゃあすぐ戻るから待っててね」
そう言い残してお母さんが二階に駆け上がるや否や、津波が一階をのみ込んだのです。あっと思う間もなく息子の姿は消えました。お母さんは二階で身動きが取れなくなったままかろうじて助かりましたが、水が引いたあと、どこを捜しても息子の姿は見つかりませんでした。震災から一か月後、辛い記憶を振り返ってお母さんはこう語りました。
「あの子にとって、最も大事なのはお父さんでした。息子は先にお父さんのもとに行きましたが、あの子は、家族がいかに大事かということを身をもって私に教えてくれました。子供を失ったことは、胸が張り裂けるくらい辛いです。その悲しみのなかでも、自分がよい家族をもったことが唯一の慰めです。子供が最後に言った言葉を、私は一生忘れません」
このお母さんの話の中に、私は激しい現実と正面から対峙(たいじ)しながらも、悲嘆に溺(おぼ)れることのない、前向きな姿勢を感じました。自分の心を偽らずに嘆き悲しむことは、前に進むための一つのプロセスです。けれども泣き叫んだ後には、止め処(ど)ない憂いの淵(ふち)に沈んでいかないよう、自分自身を律する力を持つことが必要なのです。
日本の歴史、伝統、文化を正しく学び次世代へつなぎたいと願っています。
20年間で約9千の記事を収めたブログは私の「人生ノート」になりました。
そのノートから少しずつ反芻学習することを日課にしています。
生涯学習にお付き合いいただき、ありがとうございます。
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東京裁判史観の虚妄を打ち砕き誇りある日本を取り戻そう!
そう願う心が臨界質量を超えるとき、思いは実現する
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■緊急拡散宜しく『日本を崩壊へ導く「選択制夫婦別姓」問題』
■『小樽龍宮神社「土方歳三慰霊祭祭文」全文
◆村上春樹著『騎士団長殺し』の〈南京城内民間人の死者数40万人は間違いで「34人」だった〉
■超拡散『移民受入れを推進した安倍晋三総理の妄言』
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世の中でいちばん大切なものは家族と愛
( ジョン・ウッドン )
The most important thing in the world is family and love.
( John Wooden )
◆子供が最後に言った言葉
*人生を照らす言葉 連載(36)
文学博士・鈴木秀子
( 『致知』2011年11号、p98 )
私が東日本大震災の1か月後に被災地を訪問した折にも、息子を亡くした一人のお母さんに出会いました。南三陸町のそのお宅では、お父さんが一年前に交通事故で亡くなり、母子二人で寄り添って暮らしていました。
3月11日当日、十歳の息子は風邪をひいて家で休んでいました。そこに激しい地震が訪れ、大津波が来るという報(しら)せを受けて、避難することになったのです。着の身着のままで子供の手を引き、外に出ようとした時、お母さんはふと思い立ちました。
「お母さんは大事なものを取ってくるので、ここにいてね」
病気の息子のために、二階から防寒具を取ってこようとしたのです。すると、
「僕が大事なもの、持ってきたよ」
子供が見せたものは、仏壇から持ち出した父親の遺影でした。
「そう、お父さんは一緒なんだ。じゃあすぐ戻るから待っててね」
そう言い残してお母さんが二階に駆け上がるや否や、津波が一階をのみ込んだのです。あっと思う間もなく息子の姿は消えました。お母さんは二階で身動きが取れなくなったままかろうじて助かりましたが、水が引いたあと、どこを捜しても息子の姿は見つかりませんでした。震災から一か月後、辛い記憶を振り返ってお母さんはこう語りました。
「あの子にとって、最も大事なのはお父さんでした。息子は先にお父さんのもとに行きましたが、あの子は、家族がいかに大事かということを身をもって私に教えてくれました。子供を失ったことは、胸が張り裂けるくらい辛いです。その悲しみのなかでも、自分がよい家族をもったことが唯一の慰めです。子供が最後に言った言葉を、私は一生忘れません」
このお母さんの話の中に、私は激しい現実と正面から対峙(たいじ)しながらも、悲嘆に溺(おぼ)れることのない、前向きな姿勢を感じました。自分の心を偽らずに嘆き悲しむことは、前に進むための一つのプロセスです。けれども泣き叫んだ後には、止め処(ど)ない憂いの淵(ふち)に沈んでいかないよう、自分自身を律する力を持つことが必要なのです。