電脳筆写『 心超臨界 』

人間は環境の産物ではない
環境が人間の産物なのである
( ベンジャミン・ディズレーリ )

現代世界では、国家の分裂と同時に、統合が進行している――高山博さん

2009-10-15 | 04-歴史・文化・社会
【 このブログはメルマガ「こころは超臨界」の資料編として機能しています 】

「歴史から見る現代」
東京大学教授・高山博

  [1] なぜ歴史を学ぶのか
  [2] グローバル化が分水嶺
  [3] 過去とは未知の世界
  [4] 偏り除き事実に迫る
  [5] 資料から過去を復元
  [6] 欧州近代歴史観の限界
  [7] 揺らぐ国民国家
  [8] 冷戦後の世界
  [9] 単線史から全体史へ
  [10] 持続する知の重要性
  [11] 未来見通す光に


「歴史から見る現代」――[7] 揺らぐ国民国家
【 やさしい経済学 09.10.14日経新聞(朝刊)】

近代歴史学の自明の前提であった近代国民国家の枠組みが大きく揺らいだのは、1989年のベルリンの壁崩壊以後のことである。ソビエト連邦は国としてのまとまりを喪失し、代わりに、12の共和国が独立の国家として生まれた。ユーゴスラビアやチェコスロバキアも複数の国家に分裂した。逆に、欧州連合(EU)の創出に見られるように、複数の国家が統合されてより大きな政治的枠組みを形成する動きも進行している。

90年代になって活発化したこのような政治的枠組み再編の大きな動きが、近代以降に成立した「国民国家」、つまり、確定した領域と主権を持ち、国家への共属意識を有する国民からなる国家が集まって現代世界が構成されているという認識に対して、大きな疑問を投げかけたのである。

近代国民国家体制が崩壊した後には、中世型のシステムが支配的になるという論者もいる。確かに、ヨーロッパ中世には、近代国民国家のようにその国境内に強力な支配権をもつ国家はなかったかもしれない。しかし、近代型と対置され、中世型と呼びうるような世界に共通のシステムや中世型国家が存在したわけではない。

ただ、現在生じている大きな枠組みの変動が、19世紀以後の歴史的変化の中に位置づけて認識する必要が生じているのである。その意味で、近代以前の、国家の支配権が弱かった中世という時代に目が向けられるのは、当然のことだともいえる。

現在生じている国家の統合や分裂の動きは、既存の国家の枠組みを固定させていた強力な力が弱くなったことを示している。そして、その最も大きな要因の一つが冷戦構造の終焉(しゅうえん)であることは間違いないだろう。この抑える力がなくなった時、外からの支えで保たれていた国家的枠組みが崩れたと考えることができるからである。他方では、経済活動に主導される広域での統合の動きがある。現代世界では、国家の分裂と同時に、統合が進行している。

国家という枠組みを自明の前提として発達してきた近代歴史学、とりわけ、伝統的な国家史や政治史に対する批判はずっと以前からあったが、その限界を歴史家の目の前につきつけたのは、この国家の分裂・統合という現実の動きである。新たな枠組みを提示することを歴史家は求められている。

【 これらの記事を発想の起点にしてメルマガを発行しています 】
この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 自分たちでやってみようと、... | トップ | 魚河岸ではちゃんとビジネス... »
最新の画像もっと見る

04-歴史・文化・社会」カテゴリの最新記事