シナ大陸の王朝が、とりもなおさず「中国」であり、その周辺の国は当然、その文明に従属すべきという発想なのである。宗主国に従属するのが「名分」なのだから、「日本が古来、名分を知らざる国であった」と批判されたのは、「日本は古来、精神的に独立意識を持っていた国だ」ということに等しい。何たる名誉なことであろうか。 . . . 本文を読む
日本の記録で最初に死んだ例は、火神であるカグヅチをお産みになったイザナミノミコトであるが、このときの『古事記』の表現は神避坐也(かみさりましぬ)となっているし、『日本書紀』のほうでは、終矣(「一書ニ曰ク」として神退去矣)と漢文ふうに書いてあるが、これも「かみさりましぬ」と読むのである。「避」にしろ「終」にしろ、「退去」にしろ、バラバラになって消えてしまうのでないことは、これに続く記紀の記事を読めばよくわかる。 . . . 本文を読む
海戦を得意とする平家の水軍は潮の速さを利して圧倒的に有利な戦いを進めたが、やがて潮の流れが変わって形勢が逆転したという。平家軍は壊滅状態となり、敗北を悟った平氏一門は次々と海に身を投じた。こうして平家は寿永4年(元暦(げんりゃく)2年。1185)、壇ノ浦で滅びた。 . . . 本文を読む
平家に恨みを抱いていた源三位(げんさんみ)源頼政(みなもとのよりまさ)が、同じく平清盛の専横(せんおう)に不満を抱いた以仁王を担いで治承(じしょう)4年(1180)、平家追討の兵を挙げた。時期尚早だったこともあって、以仁王も頼政も宇治で討たれ、平家打倒は失敗に終わった。しかし、このとき全国の源氏に以仁王の「平家追討の令旨」が発せられたことが諸国に雌伏する源氏の蜂起を促した。平家滅亡の端緒となった。 . . . 本文を読む
源氏は蝦夷征伐で関東に、平家は瀬戸内海の海賊退治などで関西に、それぞれ勢力を得ていたが、にもかかわらず、依然として公家からは見下される存在であった。ところが、戦争ということになればものを言うのは武力である。保元の乱によって源氏の正統である義朝(よしとも)と平家の正統である清盛が力を得て、平治の乱以後は、清盛は武士として初めて太政大臣になり、天皇の外祖父にまでなった。まるで藤原氏のごとくである。 . . . 本文を読む
財布は空(から)になったが、机の上は堆(うずたか)く書物の山である。それを片っ端から読んでいく。むかし流行(はや)った殆(ほとん)どの読書論では、読み初めた本は最後まで忍耐づよく読み通せと教えた。人を徒労に追いやる実害の邪説である。単なる紙の束にすぎぬ本に可憐(かれん)な義理立てなど要るものか。 . . . 本文を読む
何より重要なのは、日本が日露戦争という近代戦において、先進国(白人国)ロシアに勝ったという実績を背景にして、明治44年(1911)の2月になって、アメリカと新通商航海条約を調印して、はじめて関税自主権を獲得したことである。そして、日本が半世紀以上にも及ぶ苦労と忍耐のすえ、平等の取扱いを得た以上、日本も弱い国から同じことを期待しうると考えた。日本人は、これが国際的ルールだと思い込んでいたのである。そして、事実そうだった。この場合。日本から見て「弱い国」が清国であったのは、まことに両国にとって不幸なことであった。しかし、ここで認識しておかなければならないのは、日本が清国いじめをやったのではなく、日本も清国いじめの先進国の仲間に正式に入れてもらったことである。アメリカも清国いじめに参加したがった。アメリカがこの参加に遅れたことが日本との関係をむずかしくすることになる。 . . . 本文を読む
ルーズベルトの仲立ちで、1905年8月29日に日露講和条約が結ばれました。これをある教科書は、次のように書いています。「条約によって、樺太の南半分を日本の領土にすること、ロシアが清国(しんこく)から借り受けていたリャントン半島と、南満州の鉄道の権利を日本にゆずること、などが決められた」。この時、来日中のアメリカの実業家ハリマンが政府に「資金を提供するので、南満州鉄道を日本と共同経営しよう」と提案しました。 . . . 本文を読む
日露戦争で日本がロシアを阻止できなかったら、支那の国土はロシア、イギリス、アメリカ、ドイツ、フランスの軍隊による領土分捕り合戦の舞台となり、支那人は列強の兵士らの軍靴によって蹂躙(じゅうりん)されるところだった。イギリスやアメリカなどは、そんな事態の出現を手ぐすね引いて待っていたはずである。日露戦争における日本の勝利の最大の受益者は支那である。しかし、支那は解体を阻止してくれた日本に感謝したことがない。 . . . 本文を読む
ロシアは満州を去っていく。買収して得た満州をロシアが去っていくという事実の意味を、日本は理解できなかった。前にも述べたが、小村寿太郎(こむらじゅたろう)外相たちは、満州をロシアから引き継ぐには清国の同意が必要との法律論から、満州鉄道の共同経営を申し出ていたアメリカとの条約(桂(かつら)・ハリマン協定)を破棄してしまった。アメリカは怒り、ロシアも清(しん)国も表面的にはともかくとして心中ではあきれ、そして侮日(ぶにち)の心情を湛(たた)えたのである。「清国の同意が必要」との清国の申し出は、ロシアの指示で清国がしたものだ。日本は犯罪的に鈍感だった。 . . . 本文を読む
世界の海軍関係者は衝撃を受けた。「装甲による防御」という考えが、下瀬火薬によって否定されてしまったからである。1906年、イギリス海軍は下瀬火薬に対抗すべく、12インチ砲10門の砲塔を備える巨大艦船「ドレッドノート」号を造りだした。これ以来、世界の海軍は“大艦巨砲時代”に突入する。ドレッドノートの出現は既存の戦艦をすべて旧式艦にしてしまった。下瀬火薬は、戦艦の歴史を変えたほどの大発明だったのである。 . . . 本文を読む
日本騎兵の創設者、秋山好古が考えたのは、いわば逆転の発想であった。騎馬での戦いでは、日本人がコサックに勝てるわけがない。だから、コサック兵が現われたらただちに馬から降りて、銃で馬ごと薙(な)ぎ倒してしまおうと彼は考えたのである。これは騎兵の存在理由を根本から覆す発想である。「日本騎兵の生みの親」と言われる秋山将軍のようなエキスパートが、まるで自己否定のようなアイデアを思いつくというのは、普通はできないことである。一種の天才であったと言わざるをえない。 . . . 本文を読む
日露戦争がなかったら、あるいは日露戦争に日本が負けていたならば、白人優位の世界史の流れはずっと変わらず、21世紀の今日でも、世界は間違いなく植民地と人種差別に満ちていたであろう。日本が強国ロシアを相手に勝ったのを見て、ほかの有色人種にも、自分たちにもできるかもしれないという意識が生まれた。インドでは民族運動が起こり、あの頑迷固陋(がんめいころう)な清朝政府までが千3百年続いた科挙を廃止し、日本に留学生を送るようになった。日露戦争で日本が勝ったために、白人優位の時代に終止符が打たれたのである。 . . . 本文を読む
ハワイを乗っ取って間もなく、2隻の軍艦がホノルル港に入港し、乗っ取り劇の要となった米軍艦「ボストン」を挟んで投錨した。日本海軍の巡洋艦「浪速」とコルベット艦「金剛」だ。「浪速」の艦長は東郷平八郎といい、彼は樹立されたハワイ共和国に対していっさいの儀礼をとらなかった。それは明らかに米国の暴挙を非難するものだった。 . . . 本文を読む
19世紀から20世紀前半の国際社会は、「侵略は是(ぜ)」とされた時代であった。この時代の思想を簡潔に表現するならば、「弱肉強食」あるいは「適者生存」という言葉を使うのが最もふさわしい。いうまでもないが、このキーワードはダーウィンが提唱した進化論に由来する。 . . . 本文を読む