電脳筆写『 心超臨界 』

だれもみなほめ言葉を好む
( エイブラハム・リンカーン )

魚河岸ではちゃんとビジネスをしているが、米議会は仕事をしていない――柳井俊二さん

2009-10-15 | 04-歴史・文化・社会
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魚河岸と米国議会――柳井俊二・国際海洋法裁判所判事
【「あすへの話題」09.10.13日経新聞(夕刊)】

幕末の武士たちの高い知性と鋭い観察力にはいつも感嘆する。万延元年(1860年)の第一遣米使節日記には、ワシントンのホテルで色々な米国人たちと出会う場面がある。あまりに多数集まったので、「あやしみてとひければ、三百里五百里の在方より妻子を引連、蒸気車にて走り来り、滞留して我国人を見物する人多し」とある。彼らは、何の役職の誰それ、何々の功績を持つ者、ペリーの日本紀行を見てよく事情を知っている。何を発明した者等と自分の功績を唱えて挨拶(あいさつ)したという。この辺のアメリカ人気質は、今も全く同じだ。

ある日、遣米使節たちは議会を見学する。「丸く大なる櫓(やぐら)の如(ごと)きもの今普請中」とある。議事を見学すると、議員の一人が立って「大音声に罵(ののしり)、手真似(まね)などして狂人の如し、何かいひ終わりて、また一人立て前の如し」と記している。何を言っているのか分からないが、もも引きと筒袖を着て大声で罵る様子は、「我日本橋の魚市のさまによく似たり」との感想だ。

クリントン政権の頃(ころ)、ある米政府高官と夕食をした際に遣米使節の目には、米国議会は東京の魚河岸そっくりに映ったようだと話した。その高官は大いに面白がったが、ややあって急に真顔になり、でも違うところがあると言う。何かと聞くと、「魚河岸ではちゃんとビジネスをしているが、米議会は仕事をしていない」と嘆く。その頃、米行政府は、米中経済関係の発展を重視し、中国に対する通商上の最恵国待遇を毎年議会の承認を取るのではなく、恒久化しようとして議会に根回しをしていた。前述の高官は、議会がなかなかこれに応じないので、業を煮やしていたのだ。議会との関係はどこでも難しいようだ。

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