電脳筆写『 心超臨界 』

だれもみなほめ言葉を好む
( エイブラハム・リンカーン )

緩やかに流れる時代にあっても激動する時代にあっても、歴史学は一条の光となる――高山博さん

2009-10-22 | 04-歴史・文化・社会
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「歴史から見る現代」
東京大学教授・高山博

  [1] なぜ歴史を学ぶのか
  [2] グローバル化が分水嶺
  [3] 過去とは未知の世界
  [4] 偏り除き事実に迫る
  [5] 資料から過去を復元
  [6] 欧州近代歴史観の限界
  [7] 揺らぐ国民国家
  [8] 冷戦後の世界
  [9] 単線史から全体史へ
  [10] 持続する知の重要性
  [11] 未来見通す光に


「歴史から見る現代」――[11] 未来見通す光に
【 やさしい経済学 09.10.21日経新聞(朝刊)】

私の主たる研究対象は、イスラーム文化、ビザンツ文化、ヨーロッパ文化が接触・交流し、アラビア語、ギリシャ語、ラテン語の史料が残る中世のシチリア島である。この島は、三つの文化圏を比較し、三つの文化の接触・交流を研究できる絶好の場なのである。

そして、この中世シチリアは、現在の世界を見るための理想的な場所でもある。グローバル化が進展し統合が進む現在を理解するには、一つの国の過去との比較だけでは十分ではない。複数の国や文化兼を含む過去との比較が必要となる。中世シチリアは、まさに複数の文化圏を含む地中海の中心なのである。そのような過去の世界と比較することによって、私たちは現在の自分たちの位置や状況をより正確に認識することができる。

これまで述べてきたように、歴史家は、一方では様々な史料を用いて過去の特定の社会の実際の姿を知ろうとする。可能なかぎりの方法を用いて、失われた過去の社会を再現しようとするのである。しかし、他方では、社会の変化を見極め、時代の流れを認識しようとする。現在のように社会が大きく変化するときには、短期的な変化しか予測しえない現状分析は、将来への有益な指針を与えることができない。過去から現在に至る人間の活動や人間集団の変化を長期の時間軸で認識しようとしてきた歴史学は、時代の目としての責務を果たさなくてはならない。

これから起こる社会の変化を読みとるのは難しい。しかし、その変化を見極めて将来に対する指針をもたなければ、激しく変化する社会の中で自分を見失ってしまう。歴史学は、この時代の変化を長い時間の中において見据え、社会の進む方向を教えてくれる学問である。決して、過去を記憶したり、なぞったりする学問ではない。緩やかに流れる時代にあっても激動する時代にあっても、歴史学は一条の光となる。

第2次世界大戦前にエール大学の歴史学教授だった朝河貫一は、あるインタビューで「歴史とは何ですか」と聞かれ、「歴史とは熱なき光である」と答えている。歴史学は、過去から現在までをあるがままに見ようとする学問であればよい。そうすれば、より客観的に自分たちの立ち位置を照らし、将来に対する指針を示してくれる。そして、それが歴史学のもつ最大の長所なのである。

=おわり

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