電脳筆写『 心超臨界 』

だれもみなほめ言葉を好む
( エイブラハム・リンカーン )

現在進行しつつあるグローバル化は、時代を画する歴史の分水嶺となるだろう――高山博さん

2009-10-07 | 04-歴史・文化・社会
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「歴史から見る現代」
東京大学教授・高山博

  [1] なぜ歴史を学ぶのか
  [2] グローバル化が分水嶺
  [3] 過去とは未知の世界
  [4] 偏り除き事実に迫る
  [5] 資料から過去を復元
  [6] 欧州近代歴史観の限界
  [7] 揺らぐ国民国家
  [8] 冷戦後の世界
  [9] 単線史から全体史へ
  [10] 持続する知の重要性
  [11] 未来見通す光に


「歴史から見る現代」――[2] グローバル化が分水嶺
【 やさしい経済学 09.10.06日経新聞(朝刊)】

現在進行しつつあるグローバル化は、時代を画する歴史の分水嶺(れい)となるだろう。日本という国を超える巨大なグローバル市場が生まれ、それが経済のみならず人間活動の諸側面に大きな影響を与え始めている。

私たちが迎えようとしているのは、物や人、情報、資本が国境を越えて自由に行き来する世界である。誤解してはならないのが、このグローバル市場は、文字通りに地球全体を覆っているわけでも、固定した特定の国家群を指しているわけでもない。現在のところ、それは、通信や流通、金融の網の目が覆う、米国、欧州、日本を中心とした地域を指しているにすぎない。しかし、その範囲は急速に拡大し、中心地域の統合の度合いは猛烈な速さで強まっている。

このグローバル市場の統合の強化は、国ごとの社会的完結性の喪失と表裏一体の関係にある。これまで私たちは、独立し完結した社会をもつ主権国家を前提に、世界をその集合体という具合に捉(とら)えてきた。しかし、現実はすでに、国民への影響力を低下させた国家と国境を越えて活動し大きな影響力を行使する様々な非国家組織が競合する世界へと移行している。

日本もグローバル化の動きから逃れることはできない。物や人、情報、資本が国境を越えて自由に行き来するようになれば、これまで私たちが当然のこととして受け入れてきた日本社会の完結性は失われてしまう。

グローバル化した経済活動が支配的となった状況では、外部と遮断して、国内の動きを予測したり国内政策を実行したりすることは不可能に近い。かつては、日本人の活動のほとんどが国境の内側で行われていたから、為政者は国内の様々な問題を日本という枠組みの中で処理することができた。日本の法律や制度を整えれば、ほとんどの問題に対処できたのである。しかし、現在ではそれが機能しなくなりつつある。いくら日本の法律や制度を変えても、日本で生じている問題を解決できない状況になってきたのである。

人間活動のほとんどあらゆる領域がグローバル化の影響を受け、私たちの世界認識、活動の準拠枠は大きく変化することになるだろう。歴史学の世界も今、大きな変容を遂げようとしている。近代国民国家を主たる準拠枠として発展してきた近代歴史学が急速に力を失い、国境を越えた動きを整合的に説明できる歴史が強く求められるようになってきたのである。

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