電脳筆写『 心超臨界 』

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ただうがいする者もいる
( ロバート・アンソニー )

悪魔の思想 《 久野収――軍備をすれば民主主義でなくなるのか/谷沢永一 》

2024-05-06 | 04-歴史・文化・社会
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史上、いまだかつて共産主義国が「人民の自由と平等の擁護」に努めたことがあるでしょうか。これは言いたい放題の出鱈目であり、誤魔化しであり、虚偽(はったり)であり、欺瞞です。進歩的文化人たる者の一大特色は、自分が信じてもいない嘘八百をならべて平気な鉄面皮なのでしょうね。


『悪魔の思想』 「進歩的文化人」という名の国賊12人
( 谷沢永一、クレスト社 (1996/02)、p176 )
「進歩的インテリ」を自称する道化・久野収(くのおさむ)への告発状
第7章 恫喝が得意な権力意識の化身

  久野収(くのおさむ)
  明治43年生まれ。京都帝大卒。治安維持法違反で投獄。元学習院
  大講師。現在、『週刊金曜日』編集委員。左翼ジャーナリズムの
  “奥の院”。

  久野収にも何冊かの著作はありますが、これこそ主要な業績と見な
  しうるまとまった研究はありません。彼の精力はもっぱらふたつの
  方面に注がれました。第一には左翼系出版社の編集者に影響を及ぼ
  しながら進歩的文化人の奥の院に君臨することです。第二にはせっ
  せと座談会に出席して、同座する誰もがまだ読んでいないはずの新
  着の原書を誇示(ひけらか)しながら、仲間である進歩的文化人の連
  中を煽動して、反日的言論の模範例を示して尻を叩くことでした。

7-3 軍備をすれば民主主義でなくなるのか

さて、この「先頭」走者は何を以て自分の使命と自覚したか。それは、共産主義ソ連は怖くも恐ろしくもないんだよと、国民をなだめすかし瞞(だま)す努力でした。それが一向に功を奏さないものですから、時には次のように怒ります。

  一方の側で、社会主義の国家は侵略しないんだ、といくら言われて
  も民衆は侵略するのではないかと思っている。日本の国民全般の中
  で民主主義を捨てても再軍備はどうだろうかという気持ちがあるわ
  けでしょう。
  (『久野収対話史』第1巻・マドラ出版、昭和62年2月25日刊、125頁)

この座談会が行なわれたのは昭和26年ですが、北方領土の占領という生ま生ましい証拠を眼の前にしている国民が、それでも久野収たちが唱える「社会主義の国家は侵略しないんだ」という空念仏(からねんぶつ)を信用しないのは当たり前でしょう。

共産主義ソ連が東欧諸国を衛星国にしている手口から見て、さらにこれからも「侵略するのではないか」と国民が思うのは当然です。自分が言いふらしている嘘を国民が信用してくれないのに腹を立てている、喚(わめ)き立てと当たり散らしは、なんとも滑稽な風景ですね。その揚句には、とうとう無茶苦茶な放言となります。

すなわち、軍備をすれば民主主義を捨てることになるのです。国民をよほど馬鹿にして舐めてかからないかぎり、こんな事実に反する暴論を吐けるものではありません。

軍備をしている国が民主主義でないのなら、ヨーロッパ諸国もアメリカも、すべて民主主義の国ではないということになります。世界中に現存する民主主義国は、モナコ公国とヴァチカン教皇庁だけになりますかね。虚偽(はったり)もほどほどにしてくれ、と言いたくなります。

ところで、「侵略しない」と説教しておいたはずの共産国が戦争をしかけてきた場合の対策を、これまた久野収が教えてくれるというのですから、この絶対的な矛盾をどう理解したらよいのでしょうか。

  西側に立っているかぎりにおいては潜在的脅威というのは共産主義
  国家ですが、共産主義国家もデモクラシーと同じように、建前とし
  て人民の自由と平等を擁護するんだといっているのですから、あら
  ゆるラジオ・・テレビ放送を通じて、人民の自由と平等の擁護とは、
  まず戦争をしないことだという主張を訴えかける。鉄砲をもってい
  る相手国の兵隊の頭の中に、そしてそれは自由と平等のために戦っ
  ているんだと思う兵隊たちですが、あなたたちのやる戦争は、少な
  くとも非武装であるわれわれの自由と平等の擁護にならないんだと
  いう主張を、理性による説得によって訴えかける。そのための防衛
  参謀本部をつくることが必要だといっています。
  (〈久野収対話集〉『平和・権力・自由』人文書院、昭和48年2月10
   日刊、212頁)

つまり、久野収も共産主義国が着々と戦争の準備をすすめている事実をよく知っているのです。そこでご丁寧にも、その場合に対処する方法を授けてくださっているのですから、その周到なご配慮にふかく感謝するべきでしょうか。

この対談が行なわれた昭和40年代中頃の時期、共産主義国がこれから戦争をしかけようとしている相手国が放送しているラジオとテレビを、共産主義国の兵隊の全員が聴けるようとりはからってくれるというこの妄想は、もはや一人前の判断力がある人の言い分とは思えません。というふうに言ってははなはだ失礼なので、久野収だってそんなことありっこないと知ったうえで、ここは一番、国民を瞞しておくべきだという固い信念に基づいて、見えすいた嘘をならべているのでしょう。

史上、いまだかつて共産主義国が「人民の自由と平等の擁護」に努めたことがあるでしょうか。これは言いたい放題の出鱈目であり、誤魔化しであり、虚偽(はったり)であり、欺瞞です。進歩的文化人たる者の一大特色は、自分が信じてもいない嘘八百をならべて平気な鉄面皮なのでしょうね。

久野収流、北方領土問題解決法とは へつづく
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