電脳筆写『 心超臨界 』

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( シェークスピア )

不都合な真実 《 フランクフルト学派の「批判理論」――田中英道 》

2024-06-19 | 04-歴史・文化・社会
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フランクフルト学派の理論は、戦後の普遍化されたナチズム的権威主義への批判であったが、日本の場合は既成左翼への権威主義批判が強かった。とくに根本的な違いは、彼らフランクフルト学派の根幹に反ユダヤ主義があったことである。彼らのほとんどは左翼ユダヤ人であることを問題にせず、それに対する人種差別を運動の核心においていたことを秘していた。反ユダヤ主義を封じ、常にアウシュビッツを非難することで絶対的な悪としてナチズムを置き、その傾向のものをファシストとして告発する態度を貫いていた。


◆フランクフルト学派の「批判理論」

『戦後日本を苦しめた左翼思想の正体』
( 田中英道、展転社 (2014/10)、p83 )

フランクフルト学派の「批判理論」といわれるものは、現実批判にもとづく社会のあり方を追究するとともに、社会分析において従来のマルクス主義のような経済学的解釈だけでなく、フロイトの精神分析をはじめとする近代の心理学、社会学の方法を取り入れたものであった。労働者の概念よりプチブルといわれた小市民層、とくに学生に訴えるもので、従来のマルクス主義とは相容れない層の精神変革に重点をおいていた。すでに労働者を中心とする革命運動は退潮し、中間層が参加する、いわゆる資本主義の疎外感に訴える運動であった。

この理論は、50年代に亡命先のアメリカから帰国したアドルノ、ホルクハイマーたちによってフランクフルト大学で再興された。同学派の中心人物であったヘルベルト・マルクーゼはアメリカに残り、コロンビア大学、ハーバード大学、カリフォルニア大学サンディエゴ校などで意識的な学生たちをとらえていった。マルクーゼはアメリカの学生運動に理論的な基盤を与えたといわれ、従来の共産党主導の理論ではなく、学生をターゲットにした行動理論を謳っていた。学生運動を支持し、彼らと警官隊とのぶつかり合いを含めた行動(アクション)としての反政府運動を煽った。抑圧された少数派には抵抗する権利があるとする理論を展開し、民主主義に抵抗したのである(ヘルベルト・マルクーゼ他、清水多吉訳『ユートピアの終焉』合同出版)。日本の安保闘争も似たようなものであったが、宇野弘蔵の資本主義分析にもとづく共産党路線を批判したブンド(共産主義者同盟)の理論や、共産党知識人の右翼から左翼への転向を問題にした吉本隆明の批判が部分的に似ているだけで、マルクーゼのようなイデオローグはいなかった。フランクフルト学派の理論は、戦後の普遍化されたナチズム的権威主義への批判であったが、日本の場合は既成左翼への権威主義批判が強かった。とくに根本的な違いは、彼らフランクフルト学派の根幹に反ユダヤ主義があったことである。彼らのほとんどは左翼ユダヤ人であることを問題にせず、それに対する人種差別を運動の核心においていたことを秘していた。反ユダヤ主義を封じ、常にアウシュビッツを非難することで絶対的な悪としてナチズムを置き、その傾向のものをファシストとして告発する態度を貫いていた。

この背景は日本ではあまり理解されず、あたかも普遍的なマルクス主義理論であるかの如く喧伝された。日本ではマルクス主義自体が、ヨーロッパにおける少数派左翼ユダヤ人の民族差別糾明とその救済、そして資本主義批判の思想の両方であることが意識されず、さも反共産党的な社会主義思想であると信じられてきたのである。

マルクーゼは1966年にベルリンの「ヴェトナム会議」で、現代の革命の主体は、もはや消費と操作によって後期資本主義システムに統合されてしまった労働者階級ではなく、システムに統合されていない社会グループ、とくに学生たちであると説いた。また翌67年、ベルリン自由大学の連続講義でも同趣旨の思想を述べた。
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