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「歴史から見る現代」
東京大学教授・高山博
[1] なぜ歴史を学ぶのか
[2] グローバル化が分水嶺
[3] 過去とは未知の世界
[4] 偏り除き事実に迫る
[5] 資料から過去を復元
[6] 欧州近代歴史観の限界
[7] 揺らぐ国民国家
[8] 冷戦後の世界
[9] 単線史から全体史へ
[10] 持続する知の重要性
[11] 未来見通す光に
「歴史から見る現代」――[9] 単線史から全体史へ
【 やさしい経済学 09.10.19日経新聞(朝刊)】
ごく最近まで近代国民国家を枠として形成された歴史を超えて、よりグローバルな動きを見る歴史は、切実には必要とされていなかった。
政治・経済・文化、様々な分野の活動が国の枠組みの中で行われ、人々がその枠組みの外の人たちとあまり接触しない状況下では、各集団がどのような価値観のもとで、どのような歴史像を抱き、どのような世界観をもっているかは大きな問題とならない。そして、それぞれの歴史は集団の共有される記憶・世界観として機能し続ける。
グローバル化の進展は、そのような国ごとの歴史に大幅な修正を求めることになるだろう。しかし、今私たちが新しい歴史の枠組みを必要としているのは、単に過去に対する認識のすり合わせを行うという理由からではない。むしろ、私たち一人ひとりが自分の生きる世界を認識するために、従来とは違った歴史像を必要としているからなのである。
日本に住むか否かにかかわらず、私たちは現実の世界の動きを説明できる歴史を必要としている。現在の日本社会の動きは日本だけを見ていても理解できない。私たちはグローバル化した世界の一部として日本を認識し、その中に自分を位置づける必要がある。流動性が高まり、かつての閉じた日本社会がもはや存在していないことを認識しなくてはならない。この現実から目をそむければ、結局、私たちの周りで生じている事柄の因果関係を見極めることができず、未来どころか、現実の社会の変化が見えず、絶えず不安の中で生きていかなけばならないことになる。
異なる文化的背景をもつ人々が恒常的に接触している中で、日本人のためだけの歴史やフランス人のためだけの歴史が意味を失いつつあるのは当然だろう。必要とされているのは、複数の人間集団や国家、様々な文化圏を包含する世界史である。ヨーロッパが拡大していく歴史やヨーロッパを先頭に人類が進歩していくという単線的な歴史ではない。
たとえ、お互いに直接的な接触や交流がなくとも、地球上に存在していた様々な人間集団がどのような社会を築き、どのようにそれを変化させてきたのか、それらの人間集団の間の関係がどのように変化してきたのかを説明できる複線的な歴史である。それは、地球上で活動してきた人類を一体とみなし、その構造や内部関係の変化を重視する人類の全体史、つまり、「グローバル・ヒストリー」だともいうことができる。
【 これらの記事を発想の起点にしてメルマガを発行しています 】
「歴史から見る現代」
東京大学教授・高山博
[1] なぜ歴史を学ぶのか
[2] グローバル化が分水嶺
[3] 過去とは未知の世界
[4] 偏り除き事実に迫る
[5] 資料から過去を復元
[6] 欧州近代歴史観の限界
[7] 揺らぐ国民国家
[8] 冷戦後の世界
[9] 単線史から全体史へ
[10] 持続する知の重要性
[11] 未来見通す光に
「歴史から見る現代」――[9] 単線史から全体史へ
【 やさしい経済学 09.10.19日経新聞(朝刊)】
ごく最近まで近代国民国家を枠として形成された歴史を超えて、よりグローバルな動きを見る歴史は、切実には必要とされていなかった。
政治・経済・文化、様々な分野の活動が国の枠組みの中で行われ、人々がその枠組みの外の人たちとあまり接触しない状況下では、各集団がどのような価値観のもとで、どのような歴史像を抱き、どのような世界観をもっているかは大きな問題とならない。そして、それぞれの歴史は集団の共有される記憶・世界観として機能し続ける。
グローバル化の進展は、そのような国ごとの歴史に大幅な修正を求めることになるだろう。しかし、今私たちが新しい歴史の枠組みを必要としているのは、単に過去に対する認識のすり合わせを行うという理由からではない。むしろ、私たち一人ひとりが自分の生きる世界を認識するために、従来とは違った歴史像を必要としているからなのである。
日本に住むか否かにかかわらず、私たちは現実の世界の動きを説明できる歴史を必要としている。現在の日本社会の動きは日本だけを見ていても理解できない。私たちはグローバル化した世界の一部として日本を認識し、その中に自分を位置づける必要がある。流動性が高まり、かつての閉じた日本社会がもはや存在していないことを認識しなくてはならない。この現実から目をそむければ、結局、私たちの周りで生じている事柄の因果関係を見極めることができず、未来どころか、現実の社会の変化が見えず、絶えず不安の中で生きていかなけばならないことになる。
異なる文化的背景をもつ人々が恒常的に接触している中で、日本人のためだけの歴史やフランス人のためだけの歴史が意味を失いつつあるのは当然だろう。必要とされているのは、複数の人間集団や国家、様々な文化圏を包含する世界史である。ヨーロッパが拡大していく歴史やヨーロッパを先頭に人類が進歩していくという単線的な歴史ではない。
たとえ、お互いに直接的な接触や交流がなくとも、地球上に存在していた様々な人間集団がどのような社会を築き、どのようにそれを変化させてきたのか、それらの人間集団の間の関係がどのように変化してきたのかを説明できる複線的な歴史である。それは、地球上で活動してきた人類を一体とみなし、その構造や内部関係の変化を重視する人類の全体史、つまり、「グローバル・ヒストリー」だともいうことができる。
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