電脳筆写『心超臨界』へようこそ!
日本の歴史、伝統、文化を正しく学び次世代へつなぎたいと願っています。
20年間で約9千の記事を収めたブログは私の「人生ノート」になりました。
そのノートから少しずつ反芻学習することを日課にしています。
生涯学習にお付き合いいただき、ありがとうございます。
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東京裁判史観の虚妄を打ち砕き誇りある日本を取り戻そう!
そう願う心が臨界質量を超えるとき、思いは実現する
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■緊急拡散宜しく『日本を崩壊へ導く「選択制夫婦別姓」問題』
■『小樽龍宮神社「土方歳三慰霊祭祭文」全文
◆村上春樹著『騎士団長殺し』の〈南京城内民間人の死者数40万人は間違いで「34人」だった〉
■超拡散『移民受入れを推進した安倍晋三総理の妄言』
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「誰にでも、自分で苦々しく思っている欠点がある。自分の身体の中に獰猛な野獣が住んでいるのに気づかぬ人はいない。しかし、その野獣をどのようにして手なずけているかを正直に話してくれる人はほとんどいないのだ」( ヴォルテール )
『向上心』
( サミュエル・スマイルズ、三笠書房 (2011/5/21)、p154 )
第4章 見識を高める――「人生の教え」をいつ、どこから学びとるか
2 人生の教えをどこに読みとるか
◆仮面の下の“本性”を見抜く
一方、自叙伝はどれも興味深いが、やはり作者自身の飾らぬ姿を期待するのは難しい。自分の思い出を書き記す時、人は自分のすべてを見せようとはしないからである。
聖アウグスティヌスは例外的に、生まれつきどうしようもない自分の悪い性癖や、ずるくてわがままな根性を正直に打ち明けて、『告白』を書いているが、彼のような勇気をもちあわせている人は少ない。
すぐれた人の欠点が額に書いてあるとしたら、その人は帽子を目深にかぶってそれを隠すだろう。という格言がハイランド地方にあるくらいである。ヴォルテールは言っている。
「誰にでも、自分で苦々しく思っている欠点がある。自分の身体の中に獰猛な野獣が住んでいるのに気づかぬ人はいない。しかし、その野獣をどのようにして手なずけているかを正直に話してくれる人はほとんどいないのだ」
ルソーは『告白』の中でいかにも心の秘密を打ち明けているように見えるが、実際には思ったことの半分も語ってはいない。フランスのモラリスト、シャンフォールは、周囲の人間が自分をどう思おうが、何を言おうが気にするようには見えなかった。その彼でさえこう言っている。
「現実の社会では、自分の心の秘密、自分にしかわからぬ性格、そして何よりも自分の弱味や欠点を見せることは、たとえ相手が無二の親友であっても不可能に思える」
自叙伝にもある程度までの真実は描かれている。しかし真実の一部分しか伝えていないために、全体的には嘘を並べ立てているような印象を与える。
それは、その人の本当の姿ではなく、こうありたいという姿をあらわした偽装とも言い訳とも受けとれる。横顔の描写は正確でも、正面を向いた時に顔全体の印象をすっかり変えてしまうような特徴が反対側にないと誰が断言できるだろうか。
フランスには、イギリスとは比較にならないほどたくさんの伝記形式の回想録がある。そのどれを見ても、性格や生き方をわかりやすく説明した逸話や、一見他愛なく見える末梢的なできごとなどがふんだんに織り込まれている。しかしどちらかと言えば、とり上げている時代の社会一般の風潮や文化のほうに焦点を当てている。
だが、宮廷外交家であったサン・シモンの回想録は注目に値する。人格を見事に分析したこの本は、それまでになかったようなすばらしい解剖学的伝記の集大成である。
サン・シモンは、ルイ14世が去った後の宮廷スパイだったとも言える。彼は人の性格を熱心に読みとり、表情や言葉、話し方、そしてその人物の周囲で脇役を演じている連中を注意深く観察することで、企みや目的を判読しようと努めた。
「私は登場人物たちを近くから見つめ、その口もとや目や耳からは一時も目を離さなかった」と彼は語っている。そして耳で聞いた言葉や目で見たものを、信じられないほどの生々しさと迫力で、ノートに書きとめたのである。
彼は宮廷に仕える人たちの仮面の下に隠された秘密を、鋭く正確に、しかも注意深く探り出したのだ。性格の追求と分析にかけるその情熱は貪欲で、時には残酷にすら見えた。
「この熱心な解剖学者は、病人を苦しめている病気を突き止めるために、まだ動悸を打っている胸にいつでも喜んでメスを突き立てた」
と、サント・ブーブは驚きの目で彼を眺めている。
絵具で人物を描くのと同様に、言葉で人物を生き生きと描写するのにも、もちろん高度な技術が必要である。どちらを上手にやるにも、よく見える目とペンや絵筆を巧みにさばく腕がいる。並みの絵描きは、顔の形を見て、そのとおりに描き写すだけだ。しかしすぐれた芸術家になると、顔の形を通して光り輝く生きた魂をとらえてそれをキャンパスに表現する。
サミュエル・ジョンソンの生涯については、些細な習慣や、ちょっとした言葉がふんだんに書かれて、伝記をおもしろくしている。これはみな彼の伝記を書いたボズウェルの目がよく見えたおかげである。
ボズウェルがジョンソンを崇拝し、素朴な愛情とあこがれを抱いていたからこそ、もっと力のある作家でも失敗しかねなかった作業を立派にやってのけられたのである。
ボズウェルは、ジョンソンがどんな洋服を着ていたか、どんな話をしたか、何を嫌っていたかなどを読者に伝えたかったのである。ジョンソンの欠点まで洗いざらいさらけ出したこの作品は、伝記としてふさわしい見事なできばえで、おそらく筆の力で偉大な人物の人間像を完璧に書き上げた最高の傑作と呼べるだろう。
だが、スコットランド出身のこの熱烈な崇拝者がたまたまジョンソンと親しくつき合うようになり、その人柄に心酔しなければ、ジョンソンも現在のように大作家としての地位を得られなかったかもしれない。
ジョンソンが本当に生き生きと躍動しているのは、ボズウェルが書いた伝記のページの中なのであるから、かりにボズウェルがいなかったら、ジョンソンは一人の作家として名前だけでしか、人びとの頭に残っていなかったかもしれない。
日本の歴史、伝統、文化を正しく学び次世代へつなぎたいと願っています。
20年間で約9千の記事を収めたブログは私の「人生ノート」になりました。
そのノートから少しずつ反芻学習することを日課にしています。
生涯学習にお付き合いいただき、ありがとうございます。
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東京裁判史観の虚妄を打ち砕き誇りある日本を取り戻そう!
そう願う心が臨界質量を超えるとき、思いは実現する
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■緊急拡散宜しく『日本を崩壊へ導く「選択制夫婦別姓」問題』
■『小樽龍宮神社「土方歳三慰霊祭祭文」全文
◆村上春樹著『騎士団長殺し』の〈南京城内民間人の死者数40万人は間違いで「34人」だった〉
■超拡散『移民受入れを推進した安倍晋三総理の妄言』
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「誰にでも、自分で苦々しく思っている欠点がある。自分の身体の中に獰猛な野獣が住んでいるのに気づかぬ人はいない。しかし、その野獣をどのようにして手なずけているかを正直に話してくれる人はほとんどいないのだ」( ヴォルテール )
『向上心』
( サミュエル・スマイルズ、三笠書房 (2011/5/21)、p154 )
第4章 見識を高める――「人生の教え」をいつ、どこから学びとるか
2 人生の教えをどこに読みとるか
◆仮面の下の“本性”を見抜く
一方、自叙伝はどれも興味深いが、やはり作者自身の飾らぬ姿を期待するのは難しい。自分の思い出を書き記す時、人は自分のすべてを見せようとはしないからである。
聖アウグスティヌスは例外的に、生まれつきどうしようもない自分の悪い性癖や、ずるくてわがままな根性を正直に打ち明けて、『告白』を書いているが、彼のような勇気をもちあわせている人は少ない。
すぐれた人の欠点が額に書いてあるとしたら、その人は帽子を目深にかぶってそれを隠すだろう。という格言がハイランド地方にあるくらいである。ヴォルテールは言っている。
「誰にでも、自分で苦々しく思っている欠点がある。自分の身体の中に獰猛な野獣が住んでいるのに気づかぬ人はいない。しかし、その野獣をどのようにして手なずけているかを正直に話してくれる人はほとんどいないのだ」
ルソーは『告白』の中でいかにも心の秘密を打ち明けているように見えるが、実際には思ったことの半分も語ってはいない。フランスのモラリスト、シャンフォールは、周囲の人間が自分をどう思おうが、何を言おうが気にするようには見えなかった。その彼でさえこう言っている。
「現実の社会では、自分の心の秘密、自分にしかわからぬ性格、そして何よりも自分の弱味や欠点を見せることは、たとえ相手が無二の親友であっても不可能に思える」
自叙伝にもある程度までの真実は描かれている。しかし真実の一部分しか伝えていないために、全体的には嘘を並べ立てているような印象を与える。
それは、その人の本当の姿ではなく、こうありたいという姿をあらわした偽装とも言い訳とも受けとれる。横顔の描写は正確でも、正面を向いた時に顔全体の印象をすっかり変えてしまうような特徴が反対側にないと誰が断言できるだろうか。
フランスには、イギリスとは比較にならないほどたくさんの伝記形式の回想録がある。そのどれを見ても、性格や生き方をわかりやすく説明した逸話や、一見他愛なく見える末梢的なできごとなどがふんだんに織り込まれている。しかしどちらかと言えば、とり上げている時代の社会一般の風潮や文化のほうに焦点を当てている。
だが、宮廷外交家であったサン・シモンの回想録は注目に値する。人格を見事に分析したこの本は、それまでになかったようなすばらしい解剖学的伝記の集大成である。
サン・シモンは、ルイ14世が去った後の宮廷スパイだったとも言える。彼は人の性格を熱心に読みとり、表情や言葉、話し方、そしてその人物の周囲で脇役を演じている連中を注意深く観察することで、企みや目的を判読しようと努めた。
「私は登場人物たちを近くから見つめ、その口もとや目や耳からは一時も目を離さなかった」と彼は語っている。そして耳で聞いた言葉や目で見たものを、信じられないほどの生々しさと迫力で、ノートに書きとめたのである。
彼は宮廷に仕える人たちの仮面の下に隠された秘密を、鋭く正確に、しかも注意深く探り出したのだ。性格の追求と分析にかけるその情熱は貪欲で、時には残酷にすら見えた。
「この熱心な解剖学者は、病人を苦しめている病気を突き止めるために、まだ動悸を打っている胸にいつでも喜んでメスを突き立てた」
と、サント・ブーブは驚きの目で彼を眺めている。
絵具で人物を描くのと同様に、言葉で人物を生き生きと描写するのにも、もちろん高度な技術が必要である。どちらを上手にやるにも、よく見える目とペンや絵筆を巧みにさばく腕がいる。並みの絵描きは、顔の形を見て、そのとおりに描き写すだけだ。しかしすぐれた芸術家になると、顔の形を通して光り輝く生きた魂をとらえてそれをキャンパスに表現する。
サミュエル・ジョンソンの生涯については、些細な習慣や、ちょっとした言葉がふんだんに書かれて、伝記をおもしろくしている。これはみな彼の伝記を書いたボズウェルの目がよく見えたおかげである。
ボズウェルがジョンソンを崇拝し、素朴な愛情とあこがれを抱いていたからこそ、もっと力のある作家でも失敗しかねなかった作業を立派にやってのけられたのである。
ボズウェルは、ジョンソンがどんな洋服を着ていたか、どんな話をしたか、何を嫌っていたかなどを読者に伝えたかったのである。ジョンソンの欠点まで洗いざらいさらけ出したこの作品は、伝記としてふさわしい見事なできばえで、おそらく筆の力で偉大な人物の人間像を完璧に書き上げた最高の傑作と呼べるだろう。
だが、スコットランド出身のこの熱烈な崇拝者がたまたまジョンソンと親しくつき合うようになり、その人柄に心酔しなければ、ジョンソンも現在のように大作家としての地位を得られなかったかもしれない。
ジョンソンが本当に生き生きと躍動しているのは、ボズウェルが書いた伝記のページの中なのであるから、かりにボズウェルがいなかったら、ジョンソンは一人の作家として名前だけでしか、人びとの頭に残っていなかったかもしれない。