「東京裁判史観(自虐史観)を廃して本来の日本を取り戻そう!」
そう願う心が臨界質量を超えるとき、思いは実現します。
( 心が臨界質量を超えるとは → http://tinyurl.com/5kr6f )
( 東京裁判史観とは → http://tinyurl.com/kkdd29p )
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《 いま注目の論点 》
★対北制裁強化こそ非核化の近道――李相哲・龍谷大学教授
【「正論」産経新聞 H31.02.22 】http://tinyurl.com/y5fvmzhl
★20代蝕(むしば)む「借金漬け経済」――石平さん
【「石平のChina Watch」産経新聞 H31.02.21 】http://tinyurl.com/y6gd96fx
★自国民を守らない外務省――矢板明夫・外信部次長
【「矢板明夫の中国点描」産経新聞 H31(2019).02.20 】http://tinyurl.com/y54zbkqd
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中越戦争40年の“地雷”――藤本欣也・中国総局長
【「経度 緯度」産経新聞 H31.02.26 】
ボロボロになった退役軍人証明書がある。敗れた表紙をめくると、「華国鋒主席」の顔が印字してあった。1981年1月に交付された証明書だった。
持ち主、王志軍さん(仮名)=(61)=は、退役2年前の中越戦争で負傷した元人民解放軍兵士だ。
「ベトナム軍は退却と銃撃を繰り返し、敵地深く誘い込む作戦のようでした」
79年2月17日の開戦とともに、当時21歳の王さんは雲南省から川向こうのベトナム・ラオカイに向けて進軍した。ラオカイに上陸するや至る所で地雷が爆発し銃撃戦となった。王さんも顔面を負傷した。
「17、18歳の新兵たちは自分の身を守るすべを知らない。次から次へと銃弾に倒れていったのです…」
この時代、一般兵士が戦死すると弔慰金500元が遺族に支給された。1台の白黒テレビも、牛1頭も買えない額だったという。
産経新聞元バンコク支局長の近藤紘一氏は当時、「中ソ両大国が、米国の去ったこの地域を各自の東南アジア政策の最重要拠点とみなし…自らの影響力拡張あるいはその確保に血道を上げている」と述べ、中越戦争の背景を喝破した。
ベトナム戦争後の78年末、旧ソ連を後ろ盾にするベトナムがカンボジアに侵攻、中国が支援するポル・ポト政権を放逐した。これに「懲罰を加える」というのが、開戦に踏みきった中国側の大義名分だった。
中越戦争は、人海戦術を取る中国軍に対し、ベトナム軍は伝統的なゲリラ戦で対抗。中国軍は一定の戦果を上げると撤退を始め、79年3月16日に終結した。
中国側資料では、中国軍約20万人が参戦し約2万7千人が死傷。ベトナム軍は民兵を含め約25万人が参戦し約11万人が死傷したとしている。
強軍路線を進める現在の習近平政権にとって頭が痛いのは、待遇改善を求める退役軍人のデモが頻発していることだ。その中核が中越戦争に参加した50、60代の元兵士たちなのである。
政権側は昨年4月に退役軍人事務省を新設し、生活補助額を引き上げた。しかし6月には江蘇省鎮江で数千人規模のデモ、10月にも山東省平度で数百人規模のデモが起きている。
雲南省昆明の狭いアパートが王さんの自宅だ。警備員を務める彼の稼ぎは月2千元(約3万3千円)で、商店で働く妻の稼ぎと合わせてぎりぎりの生活をしている。だが、警備員の仕事も今年末に解雇される。
薄暗い部屋で話を聞いていると、屋外でバーンという音がした。
「花火ですか…、戦後20年間は花火や爆竹をすることができなかった。あの音を聞くだけで胸がドキドキして涙が出てくるのです」
戦争に参加した退役軍人として、政府から支給される生活補助額は毎月600元(約9900円)だ。昨年、50元だけ上がったという。いずれにせよ来年からは暮らしていけない。
「習近平(国家主席)は『戦って勝てる軍隊にせよ』と繰り返す。でも、最前線で戦った老兵の待遇をちゃんと保証しなければ、新兵が国家のために戦おうという気になりますか」
中越戦争に20万人超を動員した中国。それから40年がたち、仕事をリタイアする元軍人たちは増える一方だ。「懲罰」のツケが回ってきたというほかない。
そう願う心が臨界質量を超えるとき、思いは実現します。
( 心が臨界質量を超えるとは → http://tinyurl.com/5kr6f )
( 東京裁判史観とは → http://tinyurl.com/kkdd29p )
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《 いま注目の論点 》
★対北制裁強化こそ非核化の近道――李相哲・龍谷大学教授
【「正論」産経新聞 H31.02.22 】http://tinyurl.com/y5fvmzhl
★20代蝕(むしば)む「借金漬け経済」――石平さん
【「石平のChina Watch」産経新聞 H31.02.21 】http://tinyurl.com/y6gd96fx
★自国民を守らない外務省――矢板明夫・外信部次長
【「矢板明夫の中国点描」産経新聞 H31(2019).02.20 】http://tinyurl.com/y54zbkqd
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中越戦争40年の“地雷”――藤本欣也・中国総局長
【「経度 緯度」産経新聞 H31.02.26 】
ボロボロになった退役軍人証明書がある。敗れた表紙をめくると、「華国鋒主席」の顔が印字してあった。1981年1月に交付された証明書だった。
持ち主、王志軍さん(仮名)=(61)=は、退役2年前の中越戦争で負傷した元人民解放軍兵士だ。
「ベトナム軍は退却と銃撃を繰り返し、敵地深く誘い込む作戦のようでした」
79年2月17日の開戦とともに、当時21歳の王さんは雲南省から川向こうのベトナム・ラオカイに向けて進軍した。ラオカイに上陸するや至る所で地雷が爆発し銃撃戦となった。王さんも顔面を負傷した。
「17、18歳の新兵たちは自分の身を守るすべを知らない。次から次へと銃弾に倒れていったのです…」
この時代、一般兵士が戦死すると弔慰金500元が遺族に支給された。1台の白黒テレビも、牛1頭も買えない額だったという。
産経新聞元バンコク支局長の近藤紘一氏は当時、「中ソ両大国が、米国の去ったこの地域を各自の東南アジア政策の最重要拠点とみなし…自らの影響力拡張あるいはその確保に血道を上げている」と述べ、中越戦争の背景を喝破した。
ベトナム戦争後の78年末、旧ソ連を後ろ盾にするベトナムがカンボジアに侵攻、中国が支援するポル・ポト政権を放逐した。これに「懲罰を加える」というのが、開戦に踏みきった中国側の大義名分だった。
中越戦争は、人海戦術を取る中国軍に対し、ベトナム軍は伝統的なゲリラ戦で対抗。中国軍は一定の戦果を上げると撤退を始め、79年3月16日に終結した。
中国側資料では、中国軍約20万人が参戦し約2万7千人が死傷。ベトナム軍は民兵を含め約25万人が参戦し約11万人が死傷したとしている。
強軍路線を進める現在の習近平政権にとって頭が痛いのは、待遇改善を求める退役軍人のデモが頻発していることだ。その中核が中越戦争に参加した50、60代の元兵士たちなのである。
政権側は昨年4月に退役軍人事務省を新設し、生活補助額を引き上げた。しかし6月には江蘇省鎮江で数千人規模のデモ、10月にも山東省平度で数百人規模のデモが起きている。
雲南省昆明の狭いアパートが王さんの自宅だ。警備員を務める彼の稼ぎは月2千元(約3万3千円)で、商店で働く妻の稼ぎと合わせてぎりぎりの生活をしている。だが、警備員の仕事も今年末に解雇される。
薄暗い部屋で話を聞いていると、屋外でバーンという音がした。
「花火ですか…、戦後20年間は花火や爆竹をすることができなかった。あの音を聞くだけで胸がドキドキして涙が出てくるのです」
戦争に参加した退役軍人として、政府から支給される生活補助額は毎月600元(約9900円)だ。昨年、50元だけ上がったという。いずれにせよ来年からは暮らしていけない。
「習近平(国家主席)は『戦って勝てる軍隊にせよ』と繰り返す。でも、最前線で戦った老兵の待遇をちゃんと保証しなければ、新兵が国家のために戦おうという気になりますか」
中越戦争に20万人超を動員した中国。それから40年がたち、仕事をリタイアする元軍人たちは増える一方だ。「懲罰」のツケが回ってきたというほかない。