電脳筆写『 心超臨界 』

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( ソルジェニツイン )

日本史 古代編 《 他者の長所を率直に認める日本の特性――渡部昇一 》

2024-08-01 | 04-歴史・文化・社会
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19世紀において、自然科学をマスターできるのは白人のみであると、白人も有色人種も思い込んでいたのだ。そこに聖徳太子の伝統を持つ日本人が登場して、まず異質文明の長所を認めて、マスターすることを身を以て示したのである。このため、日本人は欧米人から「人真似猿(ひとまねざる)(コピイング・マンキー)」と嫌われたのであるが、このおかげで、有色人種は白人の半永久的支配から脱する契機を掴んだのだと言ってよい。


『日本史から見た日本人 古代編』
( 渡部昇一、祥伝社 (2000/04)、p138 )
2章 上代――「日本らしさ」現出の時代
――“異質の文化”を排除しない伝統は、この時代に確立した
(2) 聖徳太子に見る「日本らしさ」

◆他者の長所を率直に認める日本の特性

聖徳太子の秀才性と関係あることは小野妹子(おののいもこ)を遣隋使としてご派遣になり、また留学生を送られたことである。太子はまことに日本的秀才であられた。つまり外国文化の優秀性をただちに見抜く力と、その外国の長所は輸入しうるという自信を具えておられたのである。

これは、日本人にとってはあまりに当然のことなので、普通は意識にのぼらないことである。しかし、外国の例を考えると、これがまことに日本的稟質(ひんしつ)であり、しかもその原形が、太子によって作られたことが、よくわかるのである。

たとえば、日本人は異質の文化の長所をただちに見抜く力がある、という具体例の身近なところを挙げれば、スコッチウイスキーなどがそれである。

ウイスキーは元来スコットランドの地酒みたいなものである。それが美味であり、優れた酒であるということを、日本人はただちに率直に認める。これが第一段階である。

次にそれを超すものが自分たちでもできるはずだと考える。日本以外のどこの国で、スコッチに負けないウイスキーを作ることに夢中になる国があるだろうか。そして実際、スコッチにあまり劣らないウイスキーを作ってしまったのだ。

一事が万事だ。19世紀には、黒船などはどこの有色人種の国にもやってきたのであるが、その優秀性と、その背後にある技術の卓越性を、まず率直に認識したのは日本人のみである。

これに比べ、日本より早くから西洋を知っていたインド人やシナ人の反応の鈍さよ。そして、日本人は、西洋の文明や技術の優秀性や卓越性を認めたのみならず、そんなことは自分たちにもできるはずだということに、少しの疑念も持たなかった。そして国家が音頭をとって留学生を送り出し、またたく間に西洋の技術をマスターしてしまったのだ。

その間にアフリカ人やインド人やシナ人は何をしていたかと比べてみたら、われわれは聖徳太子が1250年前に残してくれたビヘイビアのパタンに感謝するはずなのである。19世紀において、自然科学をマスターできるのは白人のみであると、白人も有色人種も思い込んでいたのだ。そこに聖徳太子の伝統を持つ日本人が登場して、まず異質文明の長所を認めて、マスターすることを身を以て示したのである。このため、日本人は欧米人から「人真似猿(ひとまねざる)(コピイング・マンキー)」と嫌われたのであるが、このおかげで、有色人種は白人の半永久的支配から脱する契機を掴んだのだと言ってよい。

第二次大戦後に有色人種の国々がやったことは、先進国に留学生を送って、その長所を採り入れることであった。これはまったく明治の日本のやり方の模倣であり、また日本の明治のやり方は、聖徳太子のやり方なのである。

その意味において、現在の国連などというのは、聖徳太子なしでは考えられないことであると言ったら少し突飛に聞こえるが、「クレオパトラの鼻が3ミリ低かったら」という仮定よりは、歴史的連鎖の筋道が通っていると思う。

ここで十数年目、私がドイツに留学していたころの体験を思い出した。当時はドイツのカメラと日本のカメラが猛烈な競り合いをやっていて、対日感情のよいドイツでも、カメラの話だけはしないほうがよいと忠告されていたころである。このことを知っていたあるアジアからの留学生が、ドイツ人が同座しているところで、カメラの例を挙げて、

「日本が近代産業国家になったのは、すべて物真似によるのだ」

と言った。もちろんドイツ人たちは当然のこととして聞いている。

私はただちに次のように反撃した。

「しかり、日本は最初は真似によって近代化した。それはわれわれが西洋文明の長所をただちに認めて、追いつこうと思ったからである。そして、多くの面で追いついた。学生は先生を超えるまでは先生の真似をするものなのだ。

ドイツ人も汽車や議会制などはイギリスの真似をしたのだし、カーネギーはヨーロッパの製鋼技術を盗んだのではなかったか。

日本は西洋の真似をしたと言っている君の国は、その間にいったい何をしていたというのだ。西洋の長所を見損ねて真似せず、植民地にされたのではないか。そして今ごろ、100年前の日本の真似をして留学生を西洋に送り出しているのではないか。君の国は真似をした日本の真似をしているのだよ」と。

学生時代であるから歯に衣(きぬ)は着せない。そしてドイツでは理屈に勝てばそれが勝ちで、一座のドイツ人も私の言い分のほうに理があることを認めてくれた。そのアジア人はその後、食堂で顔を合わせても口をきかない仲になったが、私は祖国に対してなすべき弁護をしたという満足感を持った。

そして、聖徳太子以来の日本人のメンタリティということを考えたものである。
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