半農半X?土のある農的生活を求めて

「生きることは生活すること」をモットーに都会から田舎へ移り住み、農村の魅力を満喫しながら、日々、人生を楽しく耕しています

小野寺夫妻のドラマをみて思う事

2017年09月04日 | 自分の時間
昨年のドラマを今頃観たのですが、面白いドラマでした

ムーミンの翻訳をされた小野寺百合子さんと、ストックホルムで戦時中に諜報活動で活躍された小野寺信さんの二人の夫婦の物語のお話でした。

旦那さんが「諜報の神様」と言われた人らしく、日独同盟でドイツがソ連に侵攻するという情報、その後にドイツが敗戦濃厚であるという情報、あるいはドイツ降伏後に3カ月以内にソ連が不戦条約を破棄して日本に侵攻することをヤルタ会談で決めたらしいという情報など、数多く貴重な情報をスェーデンのストックホルムから本国の日本に送ったけど、それは全て相手にされず、戦争、あるいは敗戦を止めれなかった、という事実に即した物語です。

奥さんはその旦那さんの機密情報を暗号にして本国に送るという役割をしていました。

当時の緊迫感が伝わってくるドラマで、旦那さんは「国が壊滅する」という危機感、それを何とかしたいという強い思いがあり、奥さんは旦那さんにお手伝いをするものの、自分の子どもの目の前で殺人などが起きて「子ども達と諜報のどちらが大事なんですか!?」と旦那さんに突きつけるなど、エリート将校の立場での葛藤などが映されていました。

7,8月は戦争ものがテレビでも多くなりますし、私もず~っと戦争物を観たり読んだり考えてきています。

そしてこのドラマを見た後に、「なんであんな戦争を行ったのか!」と過去の日本の軍人を批判する人達の事を思います。


いつも思うのです。


当時、確かに軍部、特に陸軍などが暴走をしたという事実もあるでしょうが、同じ陸軍の中でも戦争をしてはいけない、あるいは満州で留めるべきだ、といっていた人がたくさんいたということ。

誰一人、戦争をしたくて行ったわけではないこと。

国として、政府、軍部、国民がまとまっておらず、新聞メディアも時流に載って煽るだけ扇いでいたということ。

悩み、葛藤し、激論を交わし、欧米列強から「黄色人種の脳は白人より劣っている」とか、移民した日本人を排斥する法案がアメリカで通ったりとか、まともな人間扱いされない状態で、最後の最後で石油を全て取り上げられるところまで追い詰められた状態で、丸裸状態になり、国家としての形が崩れるまで待つのか、そうではなく国家を存続さえるための行動をとらなければならないのか、決断を迫られる立場に自分がいたとしたら、どうなのか。

そう思ったうえで、かつての国のトップ層の事を考えたら、本当に全員「ばかげたことをした」のか?

戦争は無いのが良いに決まっています。絶対すべきではないのは当たり前です。
その戦争をしたことそのものを批判するより、今回の小野寺夫妻だけでなく、多くの人がその回避に全力を尽くしたことも事実であるわけです。
それでもしなくてはならなかった。

例えば東京裁判であっても、戦後、5年後にマッカーサーが「あれは茶番だった」と言っています。
また、「ハルノートなど、ああいった状態になれば、どんな国でも戦争をせざるを得ない。あれは日本の自衛・防衛戦争だった」と言っています。

「なんであんな戦争をしたのか。陸軍はなんであんな無茶をしたのか。東京裁判で裁かれたのは仕方無い」という、今になって過去の結果を批判する人がいますが、それはずるいですよね。

当時、もし自分が軍のトップだったら、あるいは政府のトップだったら、あるいは何かしら国の将来を決定する立場にいたら、戦争という手段を取ることは、果たして絶対に選択しなかったのだろうか、と。あるいは、回避させることができたのか、と。


例えば、現代の空想話に置き換えてみましょうか。

北朝鮮のミサイルが自分の住んでいる地域に飛んできたとします。
その結果、自分の知り合い、あるいは家族が死んでしまったとします。
アメリカが報復攻撃を決定し、北朝鮮を壊滅させる軍事行動に出たとします。
そして、後方地域として、日本の港、飛行場があるところは一時緊急事態でアメリカの軍用機や軍船の基地となるとします。
そして、こじれて中国と一触即発の状態になったとします。
日本の国中、戦争反対という声が最初は上がるかもしれませんが、中国と戦争となった場合、日本は前線基地であり、自衛隊しか持たない日本はアメリカに頼るしかなくなるわけです。
アメリカとしては日本が占領されてしまうと、アジア大陸の足がかりがなくなるので、多少、国土が荒らされても、戦争前線基地として日本をある意味自分の傘下の州の1つとして使い始めます。
すると、アメリカの配下のような形の政府に国民が反対の声をあげるかもしれません。
あるいは家族を殺された人達が、「これ以上ミサイルを撃ち込まれれば、自分達と同じような人たちが増えるんですよ!」とテレビに沢山出るとします。
その流れで、メディアが「アメリカを頼らなくてはならない」と言い始め、一方で「なぜ、自前の軍を持たなかったのか?」と言い始めるかもしれません。
すると、国民全員が「そうだそうだ」となって、自国の軍を持たなかったことをおかしいと思い始め、一気に戦争ムードが高まるかもしれません。
そこにロシアが巧妙に入ってきて、そこに今度はインドも入ってきて、となってぐちゃぐちゃになって第三次世界大戦直前の状態になったとします。

そんなむちゃくちゃな状態になることが予想された時に、国の中枢の立場であれば「自衛隊を軍として認め、後援・補給だけでなく、場合によっては他国への先制攻撃も辞さない」と決断しなくてはならないという事になるかもしれません。

それを国民が望み、メディアが煽り、もちろん反対派もいたり、政府も国民も軍部もどうしようもない緊迫した状態と混とんとした状態で、しかし、アメリカから「アメリカに国の機能を委ねてでもあくまで自分達は補給・後援までしかしないという立場をとるのか」、あるいは「日本が自立国としてアメリカと対等の関係で軍事行動をとるのか」という選択を迫られたとします。

そこで、「いや、何があっても戦争はしない」という事を言えるのか?
あるいは、戦争に関わるとしても、どういった立場で関わるのか?

そんなことを突き付けられた時、誰であろうと、どんな権益を持っている人であろうと、国を動かす立場の人であれば、日本人であれば真剣に考えると思うのです。

その時、その真剣さに優るとも劣らない真剣さと知識が果たして自分にあるのか?

そうでない場合、私達は国を動かす立場の人にとやかく言えないと思うのです。

単にメディアに踊らされるだけだと思うのです。

そして、何十年かたって、評論家や国民が「あの時、国を動かしていた政府が悪かった」あるいは「軍部が悪かった」と言い始めるのかもしれませんが、本当にそうなのかな?と思うのです。

小野寺夫妻だけでなく、かつて、たくさんの人が戦争回避活動を真剣に行っていました。
奥さんに対し、旦那さんが「家族が大事という議論の前に、国が壊滅してしまえば、全てがどうにもならないじゃないか」と言い放つのですが、そういう気持ちが生まれるのはわかると思うのです。

それでも戦争がありました。

トータルで、なぜ起きたのか?あるいはなぜ起こしたのか?ということは学ぶべきことですが、批判しているだけでは思考停止しているだけだと思うのです。

そんな思いが湧いてきたドラマでした。
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