半農半X?土のある農的生活を求めて

「生きることは生活すること」をモットーに都会から田舎へ移り住み、農村の魅力を満喫しながら、日々、人生を楽しく耕しています

全体主義の起原

2017年09月25日 | 自分の時間
NHK Eテレの100分de名著の9月は、ハンナ・アーレントの「全体主義の起原」なのですが、とても興味深く観ています。

「全体主義」というのは、ナチスやスターリンなど、個人が全体と同化あるいは尽くすことで個人も幸せになる、といったような政治体制や国家体制のようものを指すそうなのですが、今の世界、またもちろん日本にも当てはまる問題で、とても勉強になります。

番組の内容としては、ナチスを中心とする「ユダヤ人大虐殺」の根本となったのが「全体主義」であり、その過程を解明していったのが、ユダヤ人で政治哲学者のハンナ・アーレントの「全体主義の期限」という本を4回にわたって伊集院光やコメンテーターの先生と解説していってます。


具体的にはこういった流れです。

それまで、ヨーロッパ各国は王族が支配する国、あるいは郡や州の集合体でした。

支配階級と被支配階級が明確にあり、人間は区別されていたわけです。

ところが、フランス革命を発端に、「国民国家」が誕生していきました。

それまで、戦争や争いなどあったので「国家」というのは明確に線引きされていませんでした。
場所もそうですし、概念も明確ではないわけです。

ところが、「国民」による「国家」という概念が出て来た時に、「国家」とか「国民」ってそもそも何?と明確にしなくてはならなくなったわけです。

日本も各藩が国だったのが、江戸幕府を倒し明治政府を作る時に初めて「日本」という「国家」や「国民」という概念を武士階級の先鋭の人達が考え始めたのと一緒ですね。

そうすると「国民」というのは、同じ場所に住んでいた、というだけでなく、文化・伝統・言語などが一緒である人達、つまり民族と呼ばれるカテゴリーを中心とした分類がされていったわけです。

その際、例えば金貸しを禁止したキリスト教文化圏で、金貸しで金持ちになっていて軽蔑されていたユダヤ人などを「異分子」とみる傾向が増していきました。

また、その頃、イギリスやフランスなどが次々とアフリカ・アジアを植民地にする「帝国主義」が生まれていました。

いわゆる「文明化」している自分たちに対し、服装・生活様式などが「劣っている」黒人や黄色人種は「未文明の野蛮な人種」であり、自分達白人は生まれもって人種として優れていて、優れている白人達が野蛮人のアジア・アフリカの人間を文明化しなければいけない、これは生まれ持って優秀である自分達のような白人の使命である(マニュフェスト・デステニーと呼ばれている思想ですね)ということで、支配・植民地化を正当化していった時代です。

これが「人種主義」「人種差別」を生み出す最初の段階になったとアーレントは書いています。

一方で、国民国家成立がイギリスやフランスに遅れたドイツは、帝国主義にも出遅れたため、アジア・アフリカではなく、少数民族が暮らすまだ国家として盤石ではない東欧に進出していきました。

そこには同じヨーロッパ人が住んでいたわけで、先進的なフランスやイギリスとちょっと違って、肌の色というより「自分たちのような民族の方が優れている」という「民族的ナショナリズム」が生まれ、少数民族を支配する正当化していきました。

そして、「国民国家」として、「ドイツ国の国民なら、同じ習慣、言語、行動様式をとれ」という風潮はますます強まり、まだ「ユダヤ人らしい恰好や行動様式をとって暮らしているユダヤ人」を東欧で見ると、「こいつら、やっぱりえげつない奴らだ」という思いが沸き、同じドイツ内に住む見た目は自分たちと同じユダヤ人に対しても「やっぱり、こいつらはあの東欧のユダヤ人と同じで、えげつない野蛮なやつらだ」とする視線もどんどん鋭くなっていきました。

一方で、「国民国家」では、政治的、あるいは自分の利害のために国政に参加する、あるいは政党を支持する人たちが「国民」なのですが、逆に誰もが政治に参加出来るようになったがために、それまで権利や階級差別撤廃などを訴えていたことが、解消されるにつき、自分たちが「何をもって幸せになるのか」がわからなくなってしまい、主義主張を持たない「大衆」が生まれていったとアーレントは言います。

国政に関心を持っている人たちが構成するのが「市民国家」で、そうでない人達が多くなったところは「大衆国家」と指摘するアーレント。

このくだりを聞いて「なるほど~」とうなってしまいました。
私も農村の暮らしに出会うまでは「何をもって幸せか」というのは明確にはありませんでした。
また、政治・経済に対する主張もなく、政党に対する見解も見識もありませんでした。

そういった「大衆」ばかりになったドイツですが、今の日本もまさに「大衆国家」ですよね。

話を戻して、アーレントはこうも言います。

それまでのように階級や職業が明確に別れていた時代から、職業も階級も自由に行き来出来るような時代になり、そういった色々な職業や階級の人達が都市部に集まってきたことで、どういったところに自分が属しているか明確ではない人たちが増え、都市部には1人1人がそれぞれ何に繋がっているかという意識が希薄な「大衆」が増えていった、ということも。

今の日本がまさにそうですよね。というか近代化が進んで都市化が進んだ地域に住んでいる人の多くが「大衆」になるのは、自然の流れとも言えるんですね。


そして、ドイツは第一次世界大戦の敗戦で、莫大な賠償金を背負わされ、世界恐慌で失業者も増え、大きな不安に包まれていました。

そういった時に、具体的にどうしたら利益にありつけるか、といった話よりも大きな「世界の仕組みはこうなっていて、本来はドイツ民族はこうあるべきだ」とか「この世界をこんなにしてしまっているのは、ユダヤ人だ」といった「世界観」を与えたナチスが、「大衆」から圧倒的な支持を得ていった、というのです。

ナチスのことを「世界観政党」というそうです。
初めて知りましたが、なるほど、ですね。オウム真理教と全く同じです。

今の日本であれば「こうすれば経済は良くなる」といったことでしょうし、経営の世界であれば、カリスマ経営者であれば具体的な施策の前に「経営理念、ビジョン」などを熱くかたり、まずは人心を掌握するのが大切です。

そして、実際にナチスはアウトバーンの建設で雇用を生み出し、「ユダヤ人」という悪者をでっちあげ、また新たに戦争で国土を広げていったわけです。

解説者の先生が言った言葉も凄かったです。

「それまで、ユダヤ人は人間として差別をされてきわけです。ところが、ナチス台頭後、ユダヤ人は人間の外、食べるための家畜と同じで人間ではなく物質のような対象とみなされるようになってしまったわけです」

恐ろしい話です。。。


ということで、3回目までおわりましたが、この番組は1冊の本を4回シリーズで読み解きます。
最終回は、ユダヤ人大虐殺の責任者の1人が、実は陳腐な平凡な人だった、ということがテーマです。


アメリカのトランプさんだけでなく、今の日本も含め、よくよくわかるお話です。


思考停止をし、何となくその日暮らしをしていたり、ちょっとした反対運動や弱者救済のボランティアをしている人の多くは、自分の心の穴を埋めるためにそういったボランティアや活動をしている人が多い、ということをある人が言っていましたが、共感するところもあります。

それ自体は全く悪くないのですが、そういった人が、いつの間にか「世界観政党」や「新興宗教」にはまったり、ヘイトスピーチに流れやすい、というのも何となくわかります。

そういった人ほど「ころり」とプロパガンダやイデオロギーにやられてしまうと言われますが、そうなんだと思います。

仕事や何かをしてばっかりで、ふと立ち止まって思考をしたり、勉強を続けていないと、気づかないうちに「大衆」になってしまうのが、近代国家や都市部のシステムなんだと思います。

私もそうならないよう、お勉強を続けたいと思います。
コメント
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