今週の「朝採り野菜ボックス」のお手紙です。
↓
先週、宮沢賢治の「ほんたうのたべもの(本当の食べ物)」について書きましたが、「きれいにすきとほつた風をたべ、桃いろのうつくしい朝の日光をのむ」といったように、心に染みいる自然そのもの、といったニュアンスでした。ただ、実際に物体としての食べ物を食べる際も、それが自然からの恵みだということを感じ取れるものであれば、実際に美味しいだけでなく、心も満たされるな~と思います
まず、先日の(土)(日)は米農家の根本さんと「蕎麦打ち教室」をやったのですが、相変わらず美味しかったのです
私は東京でバリバリ働いているとき、先輩に「ここの蕎麦が美味いんだよ」と連れていってもらった都内の店で食べた時も「そんなに美味くはないな~」と思っていました。
ところが、根本さんのところで蕎麦を初めて食べた時は「無茶苦茶、美味しい」とびっくりしたのです。それは根本さんがきちんと蕎麦を育てているだけでなく、低速回転の石臼を使った「挽き立て」の蕎麦粉を使っているので、誰がどう打っても、例えば子どもが打とうが大人が打とうが美味しいのですね。
香り、風味、甘み、食感、どれをとっても元が良いと美味しいという事には変わりが無いのです。細く切ればのどごしが良く、きしめんのように太くなったとしても、噛めば噛むほど甘みと旨味が溢れて、結局は「美味い」となるのです。
根本さんの話ですと「そばは米の1/10の収量だよ。誰もやりたがらないよね」との事なのですが、食べる側からすると、是非、引き続き栽培して欲しいと思っております。
そして、教室からの帰り道、毎月、船釣りに出かけている知人から「アジが大量に手に入ったから良ければ取りに来ない?」と、豆アジを30匹ぐらい頂きました。
しかも「いや~、穫れすぎて処理に困っていたから助かったよ」と感謝され、さらに内臓処理済みという状態。ありがたや~
。
ということで、翌日、早速、唐揚げにして南蛮漬けを作ってみました。その美味しい事。これも素材が新鮮であるという事で、あとはじっくり時間をかけて調味料もちゃんとしたものを使えば、どうやっても美味しいわけです。
海の幸、山の幸と言いますが、畑の作物は陸の幸とでも言うのでしょうか?。いずれにしろ幸という言葉は「幸せ」だけでなく、「自然から得た美味しい物」と言った意味もあるそうです。正に「美味しい物は人を幸せにする」という言葉通りですよね
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます