朝、まどろみの中で色々なことを思う時間があるのですが、その中で「年金」と「医療制度」って、それがあることで、根本的問題に蓋がされて、新たな問題が起きているんじゃないかな?と。
もちろん、年金や国民皆保険制度が出来たことで多くの人が助かったと思うのですが、どんなものでも制度疲労は起きるもので、結果的に多くの人が困っている時代にもなったんじゃないかと思うのです。
まずは年金。
私達、団塊ジュニア世代も「まあ、年金なんてもらえないでしょ、もらえても70歳ぐらいでしょ。払った分はもらえないでしょ」と思っているわけです。
いわんや20代なんていったら「何で払う必要があるの?」と思っているわけです。
団塊ジュニア以降の「年金をもらえる世代」は、「ようやくもらい始めた」とホッとしているわけですが、そのお金は子どもや孫に回るわけです。
でもそれって、年金の本質ではないわけですよね?
よくNHKの視聴者参加型の討論番組とかでは、シルバー層に対して若者から「あなた方がこういった社会を作ったんでしょ!?私達は年金なんてもらえないと思っているんですよ!」と噛み付いている姿がよく見られます。
もっともだと思います。
そういった「世代間格差」に対して、シルバー層はあまり敏感ではありません。
それが「シルバーデモクラシー」、つまりシルバー層が多数を占めている日本の現状ですから。
若者にとっては「年金制度」があるおかげで、「不公平感」や「不満」が出ているのです。
一方で、シルバー世代はお金は持っていても子どもと同居していないで寂しく暮らしている人が多いです。
これは年金問題というよりは、資本主義経済というか、「お金」が最優先されてきたからですよね。
家の業を継ぐ、家そのものを継ぐことが「最優先」であった時代は終わり、「働きに出る」「お金を稼ぐ」ことが当たり前になったために起きていることです。
もちろん、この流れは止められなかったでしょうけど。
医療の問題については、私は赤本や自然療法の本やら色々読んでいますが、都会からコチラの生活に移ってからは、「どうせ行っても薬をもらうだけ」という事実から、まあ出来るだけ行くものじゃない、という思いはあります。
でも、親世代や普通に暮らしている同世代を見ると、風邪を引いたりちょっとしたことですぐに医者に行きます。
足が痛いから医者に行って、湿布をもらう、とか。
鼻水が出たから医者に行って、鼻水止めをもらう、とか。
医療も昔の赤本や民間療法が伝聞されていた時代は、「医者になんて死んでも行きたくない」と言っていた人もや多いし、まあ、それは当然と思うわけです。
自分で自分の体調を把握し、薬草などを煎じて飲む。
子供の状況を良く把握していたと思います。
赤本にも「子供の喉の腫れ具合がどういったものかわかるよう、日頃から健康の時ののどの状態を見ていなさい」と書いてあります。
そういったことは昔は当たり前にしていたんでしょうね。
でも医者の言う事は正しいと思わされてしまった時代に入ってからは、ちょっと何かあると医者に行って薬をもらうのが当たり前になりあした。
何か体がおかしいというのは、大体が体質とか生活とかの根本原因があるはず。
そこに目を向けて、体質改善とか、日々の鍛錬をしていく「養生」があったはずなのですが、その考えが無くなってしまうと、対処療法の薬に頼るしかない、となっているんだと思います。
結局、地域に密着して、家の伝統に根ざして生活をする、というスタイルが、資産や知恵を「先代から継いで、次世代に繋げていく」という最もな生き方だったわけですが、色々な制度が出て、我々も便利になり、生活向上の名のもの、実は「自活する力」を失っていったんだろうな~と思うのです。
そういう意味で、年金は最初から諦めちゃった方が、煩悶は無いんじゃないでしょうか?
そして生涯現役を目指し、食べものも自分で作って、自然治癒力を高める生活を目指して生きていく。
でも、実際は制度はあるので、何かあった時は医者に頼るし、気づいたら年金が入っている、みたいな方が、下手に回りに影響を受けずに、自分でしっかりと生きていける気がします。
まあ、要するに気概の問題なのでしょうね。
な~んていう真面目なことを朝から思った日でした
もちろん、年金や国民皆保険制度が出来たことで多くの人が助かったと思うのですが、どんなものでも制度疲労は起きるもので、結果的に多くの人が困っている時代にもなったんじゃないかと思うのです。
まずは年金。
私達、団塊ジュニア世代も「まあ、年金なんてもらえないでしょ、もらえても70歳ぐらいでしょ。払った分はもらえないでしょ」と思っているわけです。
いわんや20代なんていったら「何で払う必要があるの?」と思っているわけです。
団塊ジュニア以降の「年金をもらえる世代」は、「ようやくもらい始めた」とホッとしているわけですが、そのお金は子どもや孫に回るわけです。
でもそれって、年金の本質ではないわけですよね?
よくNHKの視聴者参加型の討論番組とかでは、シルバー層に対して若者から「あなた方がこういった社会を作ったんでしょ!?私達は年金なんてもらえないと思っているんですよ!」と噛み付いている姿がよく見られます。
もっともだと思います。
そういった「世代間格差」に対して、シルバー層はあまり敏感ではありません。
それが「シルバーデモクラシー」、つまりシルバー層が多数を占めている日本の現状ですから。
若者にとっては「年金制度」があるおかげで、「不公平感」や「不満」が出ているのです。
一方で、シルバー世代はお金は持っていても子どもと同居していないで寂しく暮らしている人が多いです。
これは年金問題というよりは、資本主義経済というか、「お金」が最優先されてきたからですよね。
家の業を継ぐ、家そのものを継ぐことが「最優先」であった時代は終わり、「働きに出る」「お金を稼ぐ」ことが当たり前になったために起きていることです。
もちろん、この流れは止められなかったでしょうけど。
医療の問題については、私は赤本や自然療法の本やら色々読んでいますが、都会からコチラの生活に移ってからは、「どうせ行っても薬をもらうだけ」という事実から、まあ出来るだけ行くものじゃない、という思いはあります。
でも、親世代や普通に暮らしている同世代を見ると、風邪を引いたりちょっとしたことですぐに医者に行きます。
足が痛いから医者に行って、湿布をもらう、とか。
鼻水が出たから医者に行って、鼻水止めをもらう、とか。
医療も昔の赤本や民間療法が伝聞されていた時代は、「医者になんて死んでも行きたくない」と言っていた人もや多いし、まあ、それは当然と思うわけです。
自分で自分の体調を把握し、薬草などを煎じて飲む。
子供の状況を良く把握していたと思います。
赤本にも「子供の喉の腫れ具合がどういったものかわかるよう、日頃から健康の時ののどの状態を見ていなさい」と書いてあります。
そういったことは昔は当たり前にしていたんでしょうね。
でも医者の言う事は正しいと思わされてしまった時代に入ってからは、ちょっと何かあると医者に行って薬をもらうのが当たり前になりあした。
何か体がおかしいというのは、大体が体質とか生活とかの根本原因があるはず。
そこに目を向けて、体質改善とか、日々の鍛錬をしていく「養生」があったはずなのですが、その考えが無くなってしまうと、対処療法の薬に頼るしかない、となっているんだと思います。
結局、地域に密着して、家の伝統に根ざして生活をする、というスタイルが、資産や知恵を「先代から継いで、次世代に繋げていく」という最もな生き方だったわけですが、色々な制度が出て、我々も便利になり、生活向上の名のもの、実は「自活する力」を失っていったんだろうな~と思うのです。
そういう意味で、年金は最初から諦めちゃった方が、煩悶は無いんじゃないでしょうか?
そして生涯現役を目指し、食べものも自分で作って、自然治癒力を高める生活を目指して生きていく。
でも、実際は制度はあるので、何かあった時は医者に頼るし、気づいたら年金が入っている、みたいな方が、下手に回りに影響を受けずに、自分でしっかりと生きていける気がします。
まあ、要するに気概の問題なのでしょうね。
な~んていう真面目なことを朝から思った日でした