先日、行きつけの本屋で川本三郎さんの「老いの荷風」を見付けた。一年前発行の本なので、川本ファンとしてはうっかりしていた。この数年、川本さんは私好みの軽い旅行記や散策記録をあまり書かれなくなった。腰を落ち着けて、本格的というのだろうか、私には意外な感じもする林芙美子や北原白秋の評論を書いておられる。どうもこうした本は苦手で、購入はしたが読めていない。永井荷風にしても好みの作家ではなく、作品をきちんと読んだことがない。こうなると川本ファンと言いながら、肝心な部分は理解できていないのかも知れない。
帯に第一人者の視点と筆さばき。濹東綺譚以降の作品と生活を中心に老いを生きる孤独な姿を描くとある。川本さんは本の帯や体裁に口出しをされないのだろうか。この帯の言葉はコンビニ弁当の成分表のようでもう一つに感じる。
拾い読みしただけだが、何故川本さんが荷風に引かれるのか、荷風を好まれる川本さんのエッセイを何故自分が好むのかと言う謎がほんの少しだけ解けた気もした。繰り返し作品を読む野田知佑、川本三郎、多和田葉子・・に共通するのは旅好きでしかも独行というところだ。孤独とか孤立というと寂しい感じもするので自立と表現したいが、自分の目で見て自分の足で歩いて世界を人生を味わおうとする生き方が共通しているように思われる。医院に縛り付けられた自分には出来ないことだが、そうした生き方にどこか共感し著書を通して追体験できるので、繰り返し読んでいるのかもしれない。