駅前糸脈

町医者をしながら世の中最前線の動きを感知、駅前から所見を発信。

臨床医学とAI

2018年01月02日 | 小考

 

 果たしてシンギュラリティー(人工頭脳が人間頭脳を越える日)が訪れるかどうか、2040年代にその日が来ると考える学者が多いようだが、予想というものは中々当たらないもので、今の時点では分からないというのが正確なところだろう。まあ、私が生きている間にそうした日は訪れまい。

 囲碁や将棋では既にAIの方が強くなってしまった。自分はザル碁へぼ将棋ながら囲碁将棋を愛好し羽生井山を尊敬崇拝しており、囲碁将棋を軽んじるわけではないが、囲碁将棋はあの馬鹿が本因坊に二目置きと言われるように、難解でも特殊な濁りのないAIが得意とする世界で、どうしてこの人がというような人物が跋扈する濁った人間世界にはまだまだAIは届かないようだ。

 囲碁将棋のAIは序中番では何故その手を打つ指すを説明することはできないようで、強いて言えば統計確率的に有利になる手を選んでいるらしい。その点人間の解説者は当たらないこと的外れのこともあるようだが、ザルヘボにもわかる言葉で解説してくれる。尤も、そうした言葉の説明というものの意味や価値も何だろうと考え出せばきりがなく、それこそ何万言の世界になってしまう。

 幸い?最前線内科の臨床医学は濁ったというと語弊があるかも知れないが、海千山千というか少なくとも何十年も生きてきた人間が相手なので、あと十五年はAIに取って代わられることはなさそうだ。唯、五、六年もすると診断補助のAIは出てきそうだ。そして、国民的議論が必要だと思うが、医療経済的に妥当かという判断をする厚労省お墨付きのAIも出てくる可能性は高い。私は最前線の言葉に耳を傾けてくれるなら、導入に反対しない。

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