駅前糸脈

町医者をしながら世の中最前線の動きを感知、駅前から所見を発信。

人という文字

2018年06月08日 | 人生

youninaru

   

 小学校四、五年の頃だったと思う、担任に人と言う字をよく見なさい。ほら、支え合っているだろと諭された記憶がある。確かに足を引っ張る人も多い世の中だが、なんとか破綻しないで済んでいるのは支え合っている人が多いからかもしれない。

 支え合う中には意外に一方通行も多い。支えさせているばかりで怪しからん爺さんが結構いる。これからは知らないが、今までは亭主関白というか我儘亭主を献身的に支える妻と言う組み合わせが多く見られた。

 Tさんが昨日の夕方亡くなった、泌尿器系の癌だったのだが、家族担当医の阿吽の呼吸で嫌がる手術はせず、さほどの苦しみもなく静かに亡くなった。九十一歳、まあ男性としては十分な長さ、しかも一か月前までは歩行可能で自分のことはほぼ自分でできていた。ケアマネジャーが感動して涙をみせたくらいの大往生だった。Tさんは医師の私には丁寧丁重に対応されたが、奥さんには「こら、馬鹿」と暴君で世話を焼かせっぱなしだった。奥さんはそうした暴言を苦にされず、時には殆ど徹夜で身体をさすったりふらふらになりながら看病された。

 お二人とも七十代のころから診させていただいているのだが、いつも下女扱いなのに奥さんはどうすればいいでしょうと悩みながら精一杯面倒を見ておられた。勿論、奥さんもしたたかなところはあり、空威張りをさせておいて、適当に息抜きをされてはいたようだ。今まで何組もこうした組み合わせを見てきたのだが、奥さんがもう少し若いと数か月落ち込んでも案外ちゃっかり元気を取り戻し自分の生活を楽しまれるようになることも多いのだが、奥さんが八十を越しておられると支えなければならない柱がなくなって、認知が進行したりやる気がなくなったりで急に衰えてしまわれる方も居る。それを見ていると支え合うといっても色々で、支えてもらうばっかりでも実は支え合っていたという場合もあると知った。

 Tさんの奥様のこれからが少し気がかりだ。

コメント
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