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駅前糸脈

町医者をしながら世の中最前線の動きを感知、駅前から所見を発信。

誘惑の多い世の中

2024年07月26日 | 診療
              

 内科診療では生活指導が必須だ。上手に説得して食事量を減らさせ塩味を減らさせ運動を続けさせる、それも診断や薬の選択と同じように医師の実力のうちなのだろうが、五十年やっていても中々難しい。毎回判で押したように注意するだけなら簡単だが、それでは人間という相手の生活を実際に変化させることは難しい。食品模型で具体的な量を示したり、記録を付けさせたり、色々工夫して指導している。繰り返し根気よく、しかも嫌がられないようにお話しする努力をしているのだが、果たして合格点が取れているだろうか。
 こんなに暑いとどうしてもアイスクリームやビールに手が出てしまう気持ちが痛いほどわかる。自分にも難しいことを、一言で止めろとは言いにくい。
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経験で補う

2024年06月28日 | 診療
                      

 雨が降ると朝が静かなのは鳥が鳴かないせいだろうか、雨の朝は静かでよく眠れる気がする。静かと言っても実は雨音が微かにしているのだが、ほとんど聞こえない。聞こえるような聞こえないような音がしている。
 年を取ると聴力も落ちてくる。幸い聴診器の音は聞こえる。聴診器は微かな音も聞いているので、ようやく聞こえる雑音もあるのだが、聞いたことがあるので分かる。大動脈弁の逆流音は柔らかい音なので聞いたことがないと聞き逃してしまうと思う。
 私のような老医はまだまだ五感を使って診察をしているので、感覚の衰えは診断力の衰えに繋がりそうだが、見たことのあるもの聞いたことのあるもの触ったことのあるもの嗅いだことのあるものを覚えているので、多少の衰えは補えていると思う。
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解けない問題

2024年06月02日 | 診療
          

 医学と診療はちょっと違う。高齢の女性が脚が浮腫んだと受診された。今掛かっている医師のところで訴えたら浮腫みを減らす薬を呉れたけどよくならないと転院希望で受診された。病歴を取り診察し検査をして原因らしいものが分かったので、薬を調節したら徐々に浮腫みは消失した。ところが何度か通院するうちに便通異常筋肉の張り咳鼻水食事が美味しくないと色々他の訴えが出てきてすっきりしない。浮腫みが良くなったので感謝されるかと思いきや、次から次と不調を訴え始められて思わぬ展開に戸惑っている。よい表現ではないかもしれないが面倒なことになった。まあそれでも、こうした症例にきちんと向き合うのが内科医の仕事と恩師に教えられそう心しているので、色々な視点から粘り強く対応したい。何十年やっても診療は難しいと感じる。
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それは違うのでは

2024年05月18日 | 診療
                 

 年を取って耳が遠くなり、普通の会話の声は聞き取れなくなったお爺さんがおられる。補聴器は眼鏡ほどには補正力はなく、お爺さんは買ってもらった高価な補聴器を結局は付けたがらず、通信困難了解度不良の家庭内孤島に置き去りになってしまう。理解度は保たれているのに、了解度が悪いために頓珍漢な返事をしてしまう。おまけに作話や幻想が混じるために、家族特に息子は父親は呆けたと相手にしなくなる。もう何年も帰っていない育った街に先月帰って懐かしかったと医師に話す父親の後ろで息子はバツ印を出す。連れてくるのが手間なので、できるだけ長く薬を出してくれと言う息子に明日は我が身なんだがと思う。
 気心が知れたら少しづつ時々は難聴で昔の記憶の中に生きている親の話を聞いたらどうかと話してみたい。耳元で話せば、ちゃんと通じるのだから。
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ストーリーリスナー

2024年02月14日 | 診療
             

 話の上手い人、興味深い話の出来る人をストーリーテラーと言う。友人にも何人かストーリーテラーが居て、食事会の時など楽しい話を聞かせてくれる。唯、話がうまいだけでは不十分で飽きない嫌味がないというのが、本当のストーリーテラーだと思う。
 自分はストリーテラーではないが、ストーリーリスナーではあったなと思う。特定できないから書いてもいいのかもしれないが、書くわけにはゆかない知りたくもない秘密を聞かされたり、何処まで本当だか分からない不思議な話を聞かされてきた。奇妙な話あり得ない話でも本人は信じ込んでいる?から本当のことのように話される、作話と思いながら全否定はできない気がしたものだ。
 まるで嘘のような本当のこともいくつか経験した。これは書いても良いと思うが、爺さんが大往生で亡くなった。「お亡くなりになりました」と一礼して頭を挙げるといつの間に集まったか、七、八人の娘孫娘たちが皆泣いている。それが全て絶世の美女でたまげたことがあった。
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