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駅前糸脈

町医者をしながら世の中最前線の動きを感知、駅前から所見を発信。

手の内

2025年04月17日 | 診療
        


 手品師ではないけれども、あまり手の内は明かさないほうが良いかもしれない。でもまあ、知って貰うのと理解が深まるかもしれない。
 病気というのは嫌なもので、中でも質の悪い病気は診る方も負担が大きい。有難いことに医学は進歩しており、癌と言えば死刑宣告のように響いた時代は過ぎ去り、早期のがんは治る時代に進行したがんもかなり生きながらえることができる時代になった。そうはいっても人間は心配から逃れることはできない。
 後医は名医と言われるように、早期に疾患を見付け適切に対処することは難しい。病気が少し進行してから診断することはさほど難しくない。市井の開業医はできる検査は限られているし、早期の疾患を診ることが多いので、簡単そうに見えるかもしれないが実は中々難しい。なんでも気軽に話せてご心配ありませんよと言ってくれる先生と思われるのは嬉しいが、すっきりしなければ連絡するかまた来てくださいとさりげなく伝えるようにしている。要注意の可能性が数パーセント以下だと患者さんには心配ありませんよとお話しすることが多い。心配を伝えることが必要なこともあるが、心配してもその時点でそれ以上診断を詰める手立てはなく安心は一つの薬だからだ。要するに心配は医者がするからあなたは安心していてくださいというのが手の内なのだ。時にあれで良かったかなと寝苦しい夜もある。
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本当と真相の語るもの

2025年04月16日 | 爺の呟き
       
       

 見出しに本当や真相が踊る。実際に記事を読んでみると、たいてい本当や真相は書かれていない。そう思わせる状況や思惑が書かれているだけだ。人の目を引く釣り見出しなのだが、人はそれに釣られるし状況思惑でそうなのだと納得してしまう人も多い。どうも人間の遺伝子の中に話を信じてしまう思考回路が組み込まれているらしい。世に悪知恵のある人物は多く絶えることはない。
 どうすれば怪しい話うまい話・・に踊らされることから逃れられるだろうか。歴史と経験に学ぶことがその方策の一つなのは間違いない。万年の歴史から学ぶことは難しいかもしれないが千年の歴史からは学べる。千年の経験は不可能だが祖父母の伝聞まで広げれば百年の経験に手は届く、各々方今はその時と申し上げたい。


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どうするか、思案投げ首

2025年04月15日 | 爺の呟き
            


 長くgooでブログを書いてきたが、gooがブログサービスを止めるという。どうしたものか。これが潮時とブログを辞めるか、あるいはどこかに移転するか。
 最初はブログというものがあるそうなと聞き、自分もやってみようと始めたのだが、いつの間にか習慣となり幾許かの仲間というか知己もでき、ボケ防止とストレス解消の効果もあり続けてきた。
 毎日三、四十分ばかり、最近は日記のように書いていた。サービス中止まで数か月あるので、一か月くらいどうするか考えたい。
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PIVOTはPIVOT

2025年04月14日 | 世の中
       


 ユーチューブから世の中の情報を得るようになって三年ほど経つ、新聞は全国紙二紙を読んでいるが地上波テレビはほとんど見なくなった。ユーチューブの登録チャンネル数は三百くらいあり、ほぼ毎日チェックするものからニ三か月に一度チェックするものまで色々だ。三百以上はあまり増えない。というのは月にいくつか新たに登録するが同じくらい登録を外すものがあるからだ。
 視聴登録数がみるみる増えたチャンネルにPIVOTがある。比較的中立で経済に力点が置かれている。ゲストが適切でインタビュアーの質問も的を得ていて聞いてみたいことを聞いてくれる点が視聴者が増えている理由と思われる。竹下隆一郎氏が抜けても勢いに陰りはない様子だが、それには新しい魅力的な女性陣の力が与っているようだ。移転した竹下氏のCROSS DIGがどの程度伸びるか不明だが、こうしたユーチューブの情報提供分析チャンネルの役割がこれからどんどん大きくなってゆくのは間違いない。
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電車で席を譲られる

2025年04月13日 | 人生
          


 一昨日の朝、若い男性に電車で席を譲られた。勿論、有り難く座ったのだが、そんなに爺さんに見えたのだろうかとちょっぴり残念だった。後期高齢者になってから年に一二度席を譲られる。暦年齢より若く見られるつもりでいるが、どこか座りたそうな雰囲気を漂わせているのだろうか。
 見た目は四、五歳若そうに見えると思っているが、年を取ってきたという自覚はある。まだ仕事は十分できると思うし思われている?ので、今の脳力体力を保つように、色々工夫してゆきたい。
 一つ心掛けていることは家内を大切にすることだ。もう五十年以上一緒に生きてきた。今だにというか今の方は口喧嘩は多い感じもするが、感謝というか大切な連れ添いという気持ちは強くなった気がする。助け合って若さを保ちたい。
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