いつだったか、TVの中で金八先生が朗読していて“ああ、いい詩だなあ”と感じていました。
娘その2が、学級文庫(なつかしい響き!)から借りてきた本に載っていました。
「私を束ねないで」 新川和江
わたしを束ねないで
あらせいとうの花のように
白い葱(ねぎ)のように
束ねないでください わたしは稲穂
秋 大地が胸を焦がす
見渡すかぎりの金色の稲穂
わたしを止めないで
標本箱の昆虫のように
高原からきた絵葉書のように
止めないでください わたしは羽ばたき
こやみなく空のひろさをかいさぐっている
目には見えないつばさの音
わたしを注がないで
日常性に薄められた牛乳のように
ぬるい酒のように
注がないでください わたしは海
夜 とほうもなく満ちている
苦い潮 ふちのない水
わたしを名付けないで
娘という名 妻という名
重々しい母という名でしつらえた座に
坐りきりにさせないでください わたしは風
りんごの木と
泉のありかを知っている風
わたしを区切らないで
・(コンマ)や,(ピリオド)いくつかの段落
そしておしまいに「さようなら」があったりする手紙のようには
こまめにけりをつけないでください わたしは終わりのない文章
川と同じように
はてしなく流れていく 拡がっていく 一行の詩
・・・自由でありたい、という想いがあふれています
自由・・・でも“自らを由し”とするには、人として負わなければならない責任を果たしてこそ。
・・・それが人の中で生きる人のルールです。
・・・はい、明日のお弁当の準備してから、TV見ます・・・
娘その2が、学級文庫(なつかしい響き!)から借りてきた本に載っていました。
「私を束ねないで」 新川和江
わたしを束ねないで
あらせいとうの花のように
白い葱(ねぎ)のように
束ねないでください わたしは稲穂
秋 大地が胸を焦がす
見渡すかぎりの金色の稲穂
わたしを止めないで
標本箱の昆虫のように
高原からきた絵葉書のように
止めないでください わたしは羽ばたき
こやみなく空のひろさをかいさぐっている
目には見えないつばさの音
わたしを注がないで
日常性に薄められた牛乳のように
ぬるい酒のように
注がないでください わたしは海
夜 とほうもなく満ちている
苦い潮 ふちのない水
わたしを名付けないで
娘という名 妻という名
重々しい母という名でしつらえた座に
坐りきりにさせないでください わたしは風
りんごの木と
泉のありかを知っている風
わたしを区切らないで
・(コンマ)や,(ピリオド)いくつかの段落
そしておしまいに「さようなら」があったりする手紙のようには
こまめにけりをつけないでください わたしは終わりのない文章
川と同じように
はてしなく流れていく 拡がっていく 一行の詩
・・・自由でありたい、という想いがあふれています
自由・・・でも“自らを由し”とするには、人として負わなければならない責任を果たしてこそ。
・・・それが人の中で生きる人のルールです。
・・・はい、明日のお弁当の準備してから、TV見ます・・・
(「ふゆのさくら」という作品もいいですよ。)
この詩は本当に良いですね。
>自らを由し”とするには、人として負わなければならない責任を果たしてこそ。
そうなんですよねぇ・・・(遠い目・・している場合ではない!私も・・)
多分、昔々教科書に載っていたような…。
今読むと、ものすごくズシリとくる詩ですね。
「私は終わりのない文章
川と同じように
はてしなく流れていく」
この節、身体がすーっと、軽くなるような感じがしました。私はよく「周りの人たちは私を枠に入れようとする、止めようとする」と息苦しさを感じたり、恨みがましく思ったりしますが、それはむしろ私自身が進んで枠に入ろうとするから?と、この詩を読みながらふと思いました。
颯爽と生きている魅力ある人たちは皆、自分の責任を負っている人たちなんですよね…
「縛られたくない」「括られたくない」
・・・誰もが感じることでしょうが、こんなふうに表現できることがすごいなあ、と思うのですよ。
詩人の方って、言葉を魔法のように使いますね~すごいなあ・・・
自分の心にある思いを言い当てられたような詩に出会うと、ゾクゾクしますよね。
自由・・・自分を貫くには努力が必要・・・う~ん、日々精進。
>教科書に載っていたような…。
今でも、中学3年生用の教科書に載っているようです。
15歳の感性にはどう響くんでしょうか。
大人になってしまった今は、こんなふうに軽やかな翼をどこかに置き忘れてきた気がして・・・ちょっと気恥ずかしいです・・・
>それはむしろ私自身が進んで枠に入ろうとするから?
わかるような気がします。自由でいたいと同時に枠の中で安心していたい・・・
事実でも“何々さんの奥さん”じゃなくて“誰々ちゃんのお母さん”じゃなくて「私は私」と思ったことが何度もあります。
あれ?今、気づいたけど・・・もしかしたら、こんなふうにブログなんて書いていると“自分”になれるところが、いいのかなあ・・・
母も社会人も妻もやってれば、いろいろ忙しいのよね~~==
明日のお弁当準備してからTV観る秋生さんが、素敵よん☆
本当に・・・心だけでも自由でいたい、と思いますよね。
だって、実際には本当に毎日やらなきゃいけないことがいっぱい
観劇するなら、掃除しろって!?
・・・でも、でも、“内野さん素敵~っ!”とか、“吉野さん、いいわ~いいわ~いいわ~”とか、そういう心の自由がなくっちゃあ・・・つ、つらすぎるわ、この人生・・・
と、いうわけで毎日暴走している私です(開き直り)