脳機能からみた認知症

エイジングライフ研究所が蓄積してきた、脳機能という物差しからアルツハイマー型認知症を理解し、予防する!

萩へ同級生を訪ねて、ディープな旅その1

2016年10月14日 | 私の右脳ライフ

M子さん
その後お体の調子はどうですか?夏の入院の時には、手術後だというのに点滴台をゴロゴロ引っ張ってレストランで大おしゃべりできたくらいだから、実は心配してないのだけど、ご・あ・い・さ・つ(笑)
小・中・高校と同級生だったあなたとは、今回の高校同窓会総会には一緒に行けるはずだったのに・・・それだけはちょっと残念です。

もう一か所、一緒に行けるはずだったところ、萩。
O田K美さんが萩に引っ越すことが決まった時に、彼女も小・中・高校と同級生なので、三人で東京駅でお別れランチ会したじゃない?その時に、「一緒に行きたいね」って話したこと覚えてるでしょ?一足お先に行っちゃいました。今日はその報告です。

萩に入ったところにある「萩駅」
大正14年に作られた有形登録文化財の建物が魅力的でした。電車は1日に数本しか停まらない無人駅だったけど。
ここから、お城に向かって真っすぐ一本、大きな道が通ってます。(お城へは少し先で曲がります)
これが市内の萩往還のメインロード、その通り沿いが御許町。
萩往還って日本海側の萩から山口を通って山陽道防府までの街道だったの。参勤交代で殿様が、幕末長州藩の志士たちが、そしてもちろん物資が動く道として栄えたみたいよ。
その萩往還沿いには侍屋敷が広がっていたそうですが、そこを町屋敷に変更することを願い出て「許された」ということで「御許町(おもとまち)」という名を付けたんだって。
町印は万年青(おもと)がデザインされていると聞きましたが見てません。こんなひねりが利くなんて、町が元気だった証拠よね。

K美さんの家は、その御許町の通り沿いにありました。つまり萩往還に面してる!

間口は広くないのですが、奥が長い。まるで京都の町家風。どこかの宿場町みたいです。この建物は100年以上たっているそうです。郵便ポストは生きてるし、「TABACCO」の看板と緑色のタイル、2階の漆喰の窓との取り合わせが絶妙だということで観光客が写真を撮っていくんだって。
先代は手広くお商売をされていたようです。奥座敷は10畳間が田の字型になっていて、帰省した時にはK美さんの子供たちの運動場だったとか。このおうちの前に立っただけで、O田夫妻は「ここに」帰らなくてはいけないということがよくわかりましたよ。
通りから20メートルくらい奥に、K美さんたちが今暮らしている近代的な新しい家があります。
さすが萩の中心地だけあって、市役所、消防署、郵便局、文化センター、県の施設、病院、スーパーetcみんなすぐそば。徒歩圏内。大都会でも田舎でも、考えられないとっても便利なところです。さすが歴史ある城下町ということね。
道を隔てた藩校明倫館は修復中でしたが、この南門は見ることができました。

水戸藩弘道館、岡山藩閑谷学校とともに三大学府と言われた長州藩明倫館。全国にある藩校のほとんどは高校になったと聞いているけど、ここは小学校ですよ!Mr.O田の母校です。

結婚して何度も転勤があったK美さん。4月までいた東京時代は、趣味にボランティアに充実した生活を送っていたのは知ってるわよね?そうそう高校同窓会の幹事もやってくれてたし。
東京駅でのランチ会の時に、K美さんが「お友達から『この年齢になって今から萩に帰るなんて!友人やこの文化的環境が全部消えちゃう。よくも決心したものだ』と言われた」と言ってたでしょ?
その時、私が言ったでしょ。
「帰ってみたら、『そういう経験されているんでしたら萩でもどうぞよろしく』って言われるに違いない。変に遠慮せずに積極的に萩でできることを探してね」
大当たりでした!もう始まってた!萩は古い町ですが、新しい人に対してオープンです。
もちろんMr.O田が御許町で育った方だということが大きな理由かもしれないけど、K美さんはノビノビと萩での暮らしを楽しみ始めていました。
この明倫小学校で読み聞かせのボランティア。これも東京でやってたことのひとつだけど、「子供たちが素直でかわいい!」と喜んでましたよ。

それから、Mr.O田が、帰られてすぐ合唱団に入部。彼女もいっしょにね。
そうしたら、萩と姉妹都市の鎌倉から合唱団が来て合同発表会が11月20日に開催されるからと、その日の午後も猛特訓中だったのよ。特訓も見に来てと言われていった文化センターホールの入り口に「萩に生まれたことを幸福に思う」の大きな額が掛けてあったというわけなの。写真ではわからないけど2M×5M位もある大きなものでした!

萩では町のみんながガイドができる町を目指してるって。そのためのガイド試験はなんと750問もあるんだって。
Mr.O田は生粋の萩人なので、ガイドぶりが素晴らしい。伝えたいことがたくさんあることがよくよく伝わってきました。それとこの町に育った誇りも。
「お昼はふじた屋のお蕎麦。ちょっと変わってますから楽しんでください。芸能人も来るようですよ」
小一時間待ってようやく順番が。なんと暖かいざるそば。もちろんとってもおいしかったです!
猛烈な忙しさなのに、どこかおっとりとしたお店の人にも萩人の心を感じました。

芸能人の色紙のほかに、大切に飾られていたのは、岸信介首相の色紙。総理大臣だから花押がありますね!

おしゃれなお店をいくつか案内してくださったのよ。O田家のお寺の住職夫人がやっているギャラリー。童話から生まれた木のおもちゃは優しくて暖かくてかわいい。

私は、この作品を「東京おもちゃ博物館」で買い求めたことがあるという偶然だか、必然だかの出来事も判明。

守重シゲ子さん K美さんはとても親しそうでした。時間が迫る中、この出会いに感動した私たち3人の姿が見えるようでしょ。

萩の光國本店。今年の春、ここのマーマレードが絶品ということを知ったばかりです。缶詰なのよ。

シンプルなたたずまい。マーマレードの在庫は次のシーズンまで全くない!というのも何だか素敵ね。

店先に青いミカンがたくさんコンテナに。ピールを作るためかしらね。

夫から「萩で作られたお酒を買ってきて」というリクエストがあったので、そう話すと「それでは一〇(イチマル)酒造だな」と。

写真が撮れなかったのですが、この奥にレンガでできた煙突が見えました。

店主おすすめのお酒を求めたんだけど、車が出るまでお店で見送ってくださって、その姿が誠実そうでここにも萩人がいる!と思いました。
このおしゃれな店4店が全部歩けるところに、ぎゅっと詰まってるの。
都会にない良さをいろんな場所や人たちから感じさせてもらった・・・萩の旅でした。
明倫小学校の道を隔てたところにあった毛利元就三本の矢の銅像。

北九州から萩まで1時間40分くらい。H丁さんの運転でH吉さんと3人でお邪魔したんだけど、Mr.O田が萩を効率よく一巡できるようなスケジュールを作って待っていてくださってたのよ。パンフレットや地図も一式!
お茶を飲みながら少しレクチャー。
「萩の世界遺産として指定されているのは、萩の反射炉、恵美須が鼻造船所跡、大板山たたら製鉄遺跡、萩城下町そして松下村塾ですが、萩が指定された一番大きな理由というのがあって。そのことを考えながら見てください」と言われたの。
わかりました!
世界遺産として、萩のほか八幡製鉄など同時に8地区が指定されたのだけど、他の指定された地区は、日本が近代化していくときに必要な学問や技術を実現させたところ。萩はその種々の分野で指導していく人たちを生んだところ。
吉田松陰が松下村塾で指導したのは3年に満たないのに、幕末明治にかけて日本を近代化に導くための逸材を育てました。世界を見据えて「工学教育の重要性」を説いたことを、明倫館横に開設されている「学び舎(まなびーや)」で学びました!
吉田松陰の指導力はその人の長所を伸ばす方向づけだったみたいで、前頭葉の理解ができていたとしか思えないくらい。
人は十人十色。そういえば「みんな違ってみんないい」といった金子みすゞも山口県長門市の人でした。

今回の旅のオールスターキャスト。なつかしいでしょ?次便で観光したところの写真を送りますね。とってもきれいだったのよ。

急に寒くなりました。風邪には十分注意して11月の天籟同窓会関東支部総会でお会いしましょう。
H丁さんもH吉さんも上京してくれるそうですから、お話お楽しみに。ではひとまずさようなら。絹子


 




 


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