友人のS村さん宅へ久しぶりにお邪魔しました。季節が変わったことがダイレクトに伝わってきました。
玄関コーナー
こいのぼりの高さが15センチくらい。
こいのぼりの大きさは「大きい真鯉」だって8センチもないと思います。
いろいろな端午の節句飾りがありますが、いつものように、ここの飾り物はとっても小さいのです。
そこが魅力。
収集するには、いつも感性のアンテナを立てておかなければいけないと思うのですけれど、それはまた一方で楽しみでもあるはす。
なにか目的を持つことは、見えないものが見えたり、聞こえていなかったものが聞こえてきたりするものですから。
りりしい。
いとおしい。
愛くるしい。
あどけない。
無邪気な。
ほほえましい。
ところで、私たちは上のような単語、たとえば「かわいい」を目にした時に理解できることと、このような「かわいい」飾り物を目にした時に湧き上がるイメージをもとに理解することがあると思いませんか?意味は左脳が処理、イメージは右脳が処理します。
前頭葉は、左脳と右脳の情報をもとに総合的に判断しますから、単に意味がわかるだけでなく、具体的にはこういうものとイメージ化できるほうが、情報が多くなるので納得しやすいものです。
もちろん長く日本語を使い続けて生きてきた私たちは、単語を読んだ時に同時にイメージも湧いてくるのが普通でしょうけれど。
居間にあるメインのしつらえ 3段飾りで20センチくらいでしょうか?
自分自身に訴える力はどうでしょうか?
一般的には、図形のほうだとは思いますが、アナログな情報の方が納得しやすいと短絡したらいけません。これは受け取る側の条件の違いですから。
私は日常生活上、右脳で処理する傾向が強いので、単語の羅列よりも、このしつらえ、つまり図形からイメージ化するほうが、「『かわいい』ってこんなものを見たときに感じるようなことを意味している」とよくわかります。納得できます。
一方で、ことばに強ければ、単語だけからでも大きな情報を受け取ることができます。左脳で処理するタイプの強みは、現物がなくてもいいことと、何歳であっても「学ぶ」ことができることでしょう。
ことばの意味をことばで理解して納得するのです。
「『かわいい』ということは小さかったり可憐だったり愛すべきと感じられる時に使う」と説明されて、その一つ一つの単語の意味がよく理解できれば、納得につなげることができるわけですから。
トイレのしつらえ
ややこしくなりましたね。
「端午の節句のためのかわいいお人形たちだった(もっと丁寧に詳しく表現してあったとしても)」と聞いたり読んだりした時と、このように写真で見た場合と、実際に自分が見た時では、自分に訴えるものが違うでしょう。
たぶんほとんどの人は、実際に自分が見たとき、一番よく自分に訴えてくるはずです。
ほら、「百聞は一見にしかず」といいますね。
でも、キャッチする右脳ベースの「感性」がなければ、心は動きません・・・
左脳も大切ですが、右脳も大切。もっと大切なのが左脳・右脳に支えられ体験の中から成長していく前頭葉。
「かっわい~い」と思いながら、今日はちょっと左脳・右脳のことを考えさせられました。
S村さん。ありがとう。
実はこれで紹介が3度目です。
かわいいお雛さまと
かわいいお正月とやったものが勝ちのページも見てください。