脳機能からみた認知症

エイジングライフ研究所が蓄積してきた、脳機能という物差しからアルツハイマー型認知症を理解し、予防する!

讃岐路で出会った魅力的な人たち

2024年05月16日 | 私の右脳ライフ
消滅してしまうJALのマイレージがあったので「どこかにマイル」という方法で消化しました。日時は指定できても行き先は4カ所のうちどこになるかわからないという面白いチケットなのです。(交換比率がとても良い)
高松空港という知らせがきたので、さあ、讃岐路観光の検討が始まります。
まず日本のウユニ湖と言われる、父母が浜(ちちぶがはま)。どこかで写真を見て以来、一度は行ってみたいと思いつつ、実現の可能性は低いだろうと諦めていた気がします。
警報級大雨予報の伊豆を出発。午前中雨だった高松も到着時には薄曇り。
父母が浜はベストに近い気象条件を整えて待っていてくれました。とにかく無風、雲が少々あって、さらに大潮(海水の引きが大きいので潮だまりが大きい)。日没前から瀬戸内の島々、青空と白雲と緑の木々、その反射を愛でながら、潮だまりのこちら側やあちら側で写真を撮っては見せ合っているうちに1時間以上もたってしまいました。それから日没タイム。「花は盛りに、月は隈なきをのみ見るものかや」を持ち出すまでもなく雲があるのとないのとでは印象は全く違ったと思います。
陽が沈みゆく時の、自然の醸し出すグラデーションは想像以上のものでした。




幸先の良い旅が始まりました。
父母が浜がある香川県最西端の観音寺市と愛媛県最東端の四国中央市は考えてみれば隣町!
四国中央市には54年前からの旧友がいます。
夫の初任配属時に、同じように卒業したてのフレッシュウーマンが夫のアシストをしてくれました。その彼女との交流がずっと続いているのです。
「かくかくしかじかで高松空港に急に行くことになって…父母が浜へ行きたいの。それから銭形砂絵」と遠慮しながら切り出すと「うわ〜思いがけない申し出。嬉しい!」

高松空港から四国中央市までの讃岐ウドンに引っ掛けたポケモンヤドンのリムジンバスに乗った私をピックアップしてくれて、ご夫婦と三人で父母が浜を楽しんだのです。
翌朝、まず銭形砂絵へ。


私にこの観音寺市の銭形砂絵を教えてくださったのは、清水玲さん。つい先日5月6日にヒロ画廊伊豆大川でのインスタレーション展を見せていただきました。

「吉野川上流に3ヶ月滞在する機会があって、四国をいろいろ回ってみました。たくさんの気づきが今回の作品にも反映されています」その時にこの観音寺市の銭形砂絵にも触れられたのです。
難解な清水玲さんの作品も、お話を伺ううちに「見方」が少しわかったような気になってきました。だから見たかった!全く単純ですが、人生で期を同じくすることが起きる時にはその流れに乗っていくのが私の方針です。
実は、銭形砂絵は父母が浜の並びにありました。銭形砂絵を見ながら、すぐそばに清水さんの作品と清水さんをはっきり感じていました。
清水さんの作品。

それから少し標高を上げて、荘内半島で視野330度の瀬戸内多島海を満喫。ここは隠れたビューポイントです。
上潮の様子がくっきりと見えました。

福山市も、もっと右には瀬戸大橋も見えたのです。

ランチはもちろん讃岐うどん。
彼女の一押し讃岐うどん店「福田」であん雑煮(うどん)とおいなりさんをいただき、確かに今回の四国旅での出色のお味だったと思います。





お腹を満足させて次は68番札所神恵院と69番札所観音寺。八十八ヶ所のお寺で同じところにあるのはここだけと教えてもらいました。
モダンな神恵院。

歴史を感じる観音寺。



「納経所」に興味を惹かれて、また出会いが。
胸にかけられた袈裟に惹かれてついつい見つめていたら、気さくに声をかけてくださって「97歳の父を連れてお遍路しています。父は85回結願していますが、今は車で待ってもらって。この中先達というのはお遍路さんに色々なことを教えてあげるお役目があるのです」ということを、穏やかな口調で説明された吉田さん。

お父さまはとうぜん大先達ですって。初対面というのに、この包み込まれるような雰囲気に、ちょっとあっけに取られるような気になりました。讃岐の人たちには、明るくフレンドリーな感じを醸し出す人が多いと思います。

錫杖の意味や「同行二人(どうぎょうににん)」の説明をしてくださっています。
吉田さんの納経帳。「1回お参りすると3個朱印をいただけます」

お父さまの納経帳!最初赤地の納経帳があるのかと思いましたよ!

吉田さんありがとうございました。
弘法大師に出会えた気持ちになれました。
見事な観音寺鐘楼。

「弘法大師生誕の地ですから善通寺は外せません」とお遍路さんを2度も結願されて、今年(閏年)は作法通り逆打ちされているミスターが言いながら、善通寺へ。
途中、捨身が嶽で有名な73番出釈迦寺にも立ち寄ってくれたのです。




いよいよ72番札所善通寺。清潔に整えてられていて、参拝者も思いのほか少ない境内からは清新の気も漂ってくるようでした。
今度の旅では、さまざまな年齢の弘法大師像に出会いました。





善光寺のように真っ暗なお胎内くぐりがあり、本堂の弘法大師像の真下でお説教をいただく工夫がされていました。
充実した旅の立役者。友人もミスターもありがとうございました。

この旅の最大イベントは、友人ご夫婦に再会できたことかもしれません。お寺も風物も私たちが生きている間くらいなら変わらずあると思いますが、肝心の私たちが一番予測が立てにくい年齢になってきています。
こうやって元気に会えることはこのうえない僥倖だと思いました。

翌日スケジュールは、12年前に今は亡き友人と訪れた直島と全く初めての豊島!12年前に初めて訪れた直島には新しい着眼点の芸術を根付かせようとする意図と意気込みを強く感じました。現代美術のために、現代美術だからこそ自然に溶け込むようなプレゼンテーションの工夫が、設計家安藤忠雄によってなされていました。
2度目の直島ですから、新しいANDO MUSEUMを訪れたいと思ってました。安藤忠雄には会えませんでしたが、ラフなスケッチや光の教会の模型に、そこに安藤忠雄の息遣いのようなもの安藤哲学を感じてしまいました。







護王神社も再訪しました。友人と来た時には「杉本博司」を知らなかったので「階段がガラス(ほんとはアクリル樹脂です)ね!」とその斬新さだけが印象的でしたが、その後「江の浦測候所」も訪ね、つい先日熱海MOA美術館でも杉本博司プロデュースを感じた後なので、まるで杉本博司がソコにいるような気持ちになったのは、ANDO MUSEUMの時と同じ。



直島のシンボル草間彌生の「南瓜」。
安藤忠雄の作品に対峙した時と同じように、作者がそこに存在しているような気持ちになるのが不思議なほど。

12年前にはなかった「赤かぼちゃ」。

私は直島を訪れる前から、前回一緒に直島を楽しんで、2021年11月に亡くなった大学時代の友人のことを思わずにはいられませんでした。まるで姉妹のような関係が半世紀続きました。
直島という場所で生々しく邦子さんの声や笑顔や仕草を感じて、死んでも誰かの心の中にいる間は、生死には大した違いはないという、私の考えがもう一つ力を得た気になりました。
2012年3月の記事から。
友人が!このあと写真を撮ったのですが、彼女は写真を撮る人ではなかった…珍しい姿です…
12年前の「南瓜」。右端に見えるのは小さな雪だるまを載せられた建造物です。

この日の朝、8年ぶりの雪で喜んだのは私たち観光客。島の人たちは困ったものだというのが正直なところだったでしょう。

豊島(てしま)は初めて。外国人にとても人気があるというニュースをよく耳にしますが、確かに外国の方が多かったと思います。
豊島情報はまたの機会に譲ることにして、豊島美術館カフェ&ショップで出会った素敵な笑顔をお届けします。




流暢ですが、多分日本人ではない方だと思います。レジを打ちながらの「美術館はいかがでしたか?」というあまりにも単刀直入な質問がそう思わせたのかもしれません。ちょっと慌てながら「うーん。水がいろいろな生まれ方をして、いろいろな道を辿りながら最後は一つの大きなものに帰っていく。というのは人が生きることと同じ意味かなあと思ったのよ」と答えました
ニコッと笑って「時々、お客様となんかピタっとくるやり取りができるのがすごく嬉しいんです」というので写真をお願いした後、ちょうどお客さんが来たカフェに慌てて飛んで行きました。
たったそれだけのことなのに、心がじわっと暖かくなるような体験でした。
最終日の屋島。初めてではないのですが前回の記憶は何もない!
84番札所屋島寺。鑑真和上創建の寺ということすら知りませんでしたが、本堂や境内の佇まいは風格あるものでした。



ホテルから琴電屋島まで電車で移動。そこから山上バスがあるというところまでしかチェックしていなかったら、なんと1時間以上も待たなければいけない…これはタクシーだと決めました。
同じ電車から降りた外国人女性を一緒にのせてあげようと思って、喋れないのに誘いました。
どうしてもシェアと言われるので「同行二人」の話と「自分は行かれないけど連れて行ってください」とお布施する風習のことを、話せないのに話しました。
フランスニースから来たイバンヌさん78歳!
「世界平和を祈ってもう1ヶ月間遍路さんをしている。フランスに来ることがあったら連絡ください」という出会い!
写真は撮っていないけど、心温まる出会いでした。


ヤシマールという施設ができているということを知り、楽しみに屋島寺を後にしました。
その途中に樹齢400年という桜を見つけました。
可正桜。
1665年に高松藩家老松平半左衛門可正が植えたもので「自分が死んでも花と名が屋島の峰に残る」という説明板に「その通り!」と会ったことのない可正さんに一票を投じる思いでした。
山頂の新しい施設。斬新なヤシマール。




そこのカフェでお茶を飲んでいたら、男性グループ11人が「椅子を貸してくださ〜い」とにぎやかに登場。
なんだか楽しげなのと、皆さんおしゃれ。そして聞こえてきた会話から全員が古希。
注文は「右にならえ」ではなくて、半数のコーヒー以外は、この決して多くはないメニューから、よくもさまざまに注文できると感心したくなるほど自由な注文内容で「全部で11人になってますか」とどなたかかの声が。

どうしようかと躊躇ったものの、やはり興味に負けて聞きました。
「男性だけの旅行って珍しいですよね?それにこんなにも自由で楽しそう…」途中から説明が始まりました。
「僕たち同期入社。全国展開している会社で、つまりは転勤族。定年になって一年に一度、一泊の同期会をやってるんです。たまたまいろんなところに住んでるので、その人が幹事になってね。コロナの時は流石に中止だったけど、去年は広島。今年は僕が住んでる香川。来年は富山だね」
みなさんニコニコ聞いてくださっていました。
お元気でいらっしゃる限り、認知症とは無縁な方々ですね!
杖を持っている方もいらっしゃいましたが、その意気やよし。とにかくなかなかに自主的で効果的な認知症予防活動実践中のグループに出会うことができました。きっと自覚されているでしょうね。
なるべくお顔が映らないように外から撮ってお見せしたら「全然構わんよ」といくつかの声が聞こえました。
お邪魔してしまってごめんなさい。そしてご説明ありがとうございました。
屋島は晴天ただし強風で、風の又三郎が来ていたのかもしれませんね。見えなかったけども。


by 高槻絹子






















2040年に認知症高齢者推計584万人に

2024年05月13日 | エイジングライフ研究所から
今日の見出しは1週間ほど前に、厚生労働省研究班がまとめて発表したものです。正確には582万2000人。
愕然とした人もいるでしょうし、読み進めていくと9年前の予測値802万人に出会うことになり、はるかに低い数値に妙な安堵を抱いた人もいたかもしれません。
近所に咲いている蛇結茨(ジャケツイバラ)

ちなみにその理由として厚労省は生活習慣病の改善や健康意識の変化などによって認知機能の低下が抑制された可能性がある」と説明しています。

この記事の後半に認知症の新しい薬であるレカネマブの治験の進捗状況にも触れられていますが、この薬は認知症発症の原因をアミロイドβ沈着に限局して、だから沈着する前に排除するという考えのもとに開発された薬ですが。
先の認知症高齢者の推定数減少の理由としてあげられた「生活習慣病の改善や健康意識の変化などによって認知機能の低下が抑制された可能性がある」と、いうことは、今まで開発してはその効果が否定されて消え去っていった種々の認知症治療薬(その開発費用は70兆円とも言われています)、その先のレカネマブがなくても認知症発症の原因とされているアミロイドβの沈着が起きないという意味でしょうか?それはアミロイドβが原因という前提が、もしかしたら違うということでしょうか?
一碧湖チョウジソウ



レカネマブの持っている大きな問題点はこのブログでも何度か書いていますので、目を通していただきたいのですが、「レカべマブは認知症に立ち向かう切り札」ではありません。
私たちは認知症は脳の使い方を誤った生活習慣病、廃用性の機能低下つまり誰にでもある脳機能の低下が加速されたものだと考えています。
中伊豆グリーンポケット ハンカチの木

サンショウバラ



たまたま遊びに来た友人が、「新聞に出ていた認知症患者の推定数のことだけど。どのくらいのレベルの人を認知症患者って数えてるのかな?小ボケ(真の早期認知症のレベル。一般的な認知機能は正常で前頭葉機能だけ低下が進んだ人たち)は入ってないよねえ」と呟きました。
介護にも携わらず、全く普通の生活をしている友人ですら、このような基本的な疑問を持つのに専門研究者の皆さんにはこのような疑問は浮かばなかったのでしょうか?
中伊豆グリーンポケットユキモチソウ

クレマチス

どういうことをする認知症者の数なのでしょうね?
そのレベルによって、地域での見守りも可能になります。
伊東アートビレッジ ナヨクサフジ


ところで、記事はさらに続いていました。
「物忘れなどの症状はあるものの、生活に支障がなく、認知症と診断されるまでには至らない『軽度認知障害
(MCI)』の人の将来の推計を初めて公表し、2040年には612万8000人にのぼる」というものです。
この軽度認知障害も問題ありです。
言葉だけ読むとわかった気持ちになりますが、目の前の高齢者が、物忘れを訴えれば軽度認知障害でしょうか?
逆に物忘れを自覚しない高齢者はまずいません。
「生活に支障がない」程度の失敗は、高齢者なら誰しもしでかしています。
線引きには脳機能という物差しが必須ですよ。
ナンジャモンジャノキ

私自身が、言葉や文章の深い意味を考えずに書かれたことを鵜呑みにして「理解」したつもりになるタイプなのですが、いくらなんでも同じ記事の中にこれだけ反対の主張や疑問がいっぱい湧いてしまうことが述べられているのには、ちょっと驚きました。

by 高槻絹子




私見 認知症治療薬レカネマブ

2024年04月30日 | エイジングライフ研究所から
アルツハイマー型認知症の治療薬レカネマブは2023年7月にアメリカ、追随したように2023年9月には日本がその使用を承認しました。2024年1月に中国がレカネマブを承認したというニュースには驚かされました。そして日本でも治験の希望者が増えているという情報が目に付くようになりました。
私たちは当初からレカネマブに対して大きな疑問を持っていますから、ここでもう一度疑問点を整理して提示しておきたいと思います。
まず、いままでにこのテーマでお話ししている記事をあげておきますから興味ある方はお読みください。(4/30金時草に来たアサギマダラ)

 
2023年9月12日「講演会の準備ー講演で話すということ」の中の、レカネマブに関する部分を抜き出して加筆してみました。知りえた情報は青字で、私のコメントは黒字で記しました。 


質問が出た時のために、最近話題の認知症治療薬「レカネマブ」と「若年性認知症」に関しては、回答用に備忘録としてのスライドを作りました。自験例でない話の時は、慎重の上には慎重を期して情報を集めます。自験例と比較して、説明ができ納得できるかどうか。まずは自分でチェックするのです。「レカネマブ」に関して現時点での問題点が理解できたと思いましたから、ここにあげておきます。ちょっと専門的ですが質問が出た時点で、状況に応じて口頭で解説するつもりです。

レカネマブの問題点(18か月の投与実験の報告)
目的治すではなく進行抑制。従来の開発薬より早期にAβ(アミロイドベータ)を除去できるように働きかける。
従来薬はAβを除去するが、レカネマブはAβ形成前の原材料を除去する。
対象MCIか早期のアルツハイマー型認知症が対象でMSE22~30。
早期といわれているが、二段階方式で言えば小ボケから中ボケ前半。発症してから3〜4年というところ。
副作用脳出血17.3%。脳浮腫14%。
脳出血は従来薬の副作用32.5%よりは改善したが、それでも高すぎる。
コスト
・年間薬価385万円(アメリカの薬価)。
日本では290万円で設定されたという報道だったが昨今の円安でどうなっていくのか。
・月一度1時間かかる点滴のために通院。
以下、埼玉県の情報による。月に二度通院して点滴。8回目以降は投与後30分で帰宅可能になるが、それまでは病院待機が必要。治験を受ける人の負担も大きいが、医療従事者の負担も増す。
・年二度MRIによるチェックが必要。
治験決定のために第一回のMRI検査。その後6か月ごとに実施
・治験前にAβの沈着がない証明が必要。PET(高価)か腰椎穿刺(高侵襲)。
・副作用を防ぐためにアポリポ蛋白4の遺伝子チェック(高価)が必要。
自己負担額ではなく検査をはじめ治療に要する費用を考慮しなくてはいけない。例えばMRIによる検査だけでも20,000円から50,000円。個人負担は1割もしくは3割に過ぎないけれども。

治験は18か月間だが、早期、若年から投与を開始する必要がある薬なので、いつまで投与するかは大きな議論になるだろう
アメリカでは個人保険が主なので保険会社の拒否があるが、日本は皆保険…
27%の進行抑制CDRで偽薬群1.66低下。投与群1.21低下。0.45/1.66×100≒27%の進行抑制ができたとされる。
この数値をもとに3割抑制といわれるが投与群でも悪化している。
今回の統計処理は個人内での変化ではなく集団の平均化。
CDRは、本人の脳機能検査ではなく観察による評価なのでバイヤスが否定できない。
CDRは、1~2の変化で初めて臨床的意義があるとされる。そもそも最低評価の0.5に到達していないということは症状の段階には変動がなかったということになる。(参考までにCDRの評価で0.45が意味する変化を考えてください)

Aβ原因仮説に疑問
従来の創薬はAβの減少には成功しているが、認知機能の改善が見られない。これまでにかかった開発費用は数十兆円と言われている。Aβの沈着が本当の原因なのか、どうか?
元来2002年に提唱された仮説にすぎないのに、Aβ原因が前提となっていることにエイジンーlグライフ研究所は大きな問題点を感じている。

先発の治療薬アデュカヌマブの経過は以下に書きました。

by 高槻絹子

パソコントラブル始末記

2024年04月27日 | 私の右脳ライフ
パソコンが不調だった時が過去のものになって、イキシアの鮮やかな色が目に飛び込んできました。

パソコンが復活したので、記念の動画をアップします。
優美な白孔雀 伊豆シャボテン公園4/19
私のパソコンはFUJITSUのデスクトップ型。
3月頃からパソコン画面に突然「デバイスに問題が起きて再起動が必要」という表示がでて、勝手に再起動してしまう現象が起きてきました。「表示中に問題が発生」とか「正しく起動できない」という表示のこともありました。
突然消えてしまいますから、パソコンの前に座る意欲がなくなって行きました。(ブログ更新が滞った言い訳)
検索していろいろ確かめたもののうまくいきません…有料の相談窓口(なんと会員登録済み)で、2時間くらいも遠隔操作を使いながらあれこれやっていただきました。
「このソフト(BIOS)のアップデートが必要。ただしうまく行かない場合もある。その時は初期化」
一応確認しているだけだと思ったら、なんとインストールができず初期化が必要に。
「いいです…初期化してください」とちょっとドキドキしましたが、ゴーサインを出しました。
ところが初期化ができない!
結局、担当者の説明は
「こちらで内部を調べます。そこに故障があったら無償で修理。ソフトに不都合があれば有料で修理することになります。パソコンは専門業者が取りに行きます」
この時点で有料を覚悟しました。
5年くらい前に買ったパソコンでしたがこの製品の段ボール箱を持ってきて専門業者が引き取りに来たのが20日(土)。
何の連絡もないまま、突然、私のパソコンが帰ってきたのは24日(水)。


土日は休業日でしょうし、配送時間も考えると原因追及とその処置はたった1日でやってくださったということでしょう。
生まれ変わって帰ってきました!立ち上がりは早いし、画面は明るくなっているし、新品になったようです。
世界に誇れる日本の技術と商道徳に感動しました。

印度孔雀。伊豆シャボテン公園4/15
(孔雀の鳴き声も聞いてください)
 

by 高槻絹子



私家版-伊豆名所巡り④

2024年04月23日 | 私の右脳ライフ
この春楽しんだ桜たち。
伊豆高原といえばソメイヨシノの桜のトンネル。いつもなら3月中に満開になるのですが今年は少し遅かった。訪れた時は曇天…でも桜の存在感に圧倒されました。


伊豆稲取吊るし雛会館。3月初めでカワヅサクラに間に合いました。


城ヶ崎の吊り橋とジョウガサキザクラ


奥湯河原富士屋旅館 早咲きベニシダレ


伊豆山神社は花盛り


熱海MOA美術館


ロビーと茶の庭のシダレザクラ

ここだけにある満開の紅瑞雲にも初対面


西伊豆スカイラインで、達磨山展望台へ。道中のアマギコメザクラ


MOA大仁農場のトモエザクラ。株立の大木で支え木なく生かす方針で、大きく剪定されていました。
私の宝物。聚光院伊東別院の莫眼花。一重から八重に移り変わる最初の段階のサクラです。桜守り佐野藤右衛門さんが発見された突然変異種だと聞きました。今年は3回訪ねました。また来年!





そして今は、御衣黄が始まっています。

それに八重桜もあちらこちらに咲いています。


1月はじめの寒桜から始まって、4月下旬までの八重桜まで桜が楽しめる伊豆高原。
私と一緒にお花見したい人、いつでも歓迎ですよ。

by 高槻絹子

















私家版〜伊豆名所巡り③

2024年04月21日 | 私の右脳ライフ
熱海のMOA美術館も、友人が来ると一緒に楽しみに行くスポットです。
今回は4/9(火)に、京都からと東京から来る友人を11時過ぎに熱海駅でピックアップして一日熱海を案内するスケジュールでした。実はこの日、警報級の大雨予報が出ていたのです。昼からは雨が上がるとも言われていたので、駅から直行して、食事も美術館内でいただくことにして、改札口で待つことしばし、無事に合流できました。
誰かの日頃の行いがいいせいで、その頃にはほとんど雨はが上がっていました!
あいにくの曇り空でしたが、それを吹き飛ばすような数々の桜が、正面玄関の建物を覆っていました。

MOA美術館の象徴のような7基のエスカレーターを上がったところのホール。200m上がったことになるのです。
初めて行ったのは40年くらい前。2月だったのでしょうね。子供達と一緒に光琳の紅白梅図屏風を見に行きました。
エレベーターの途中壁面には、大型の綴織『迦陵頻伽』がかけられてその和風な佇まいを確かめながら到着したホールが近未来的でびっくりしたのを思い出しました。子供達はこのホールで、座り込んで眺めていました。

今日はとにかくまずランチ!レストランが三ヶ所ありますが、「茶の庭」と呼ばれる和風庭園内のそば処でいただきました。美味しかったのに写真を撮っていません…
茶の庭はだんだんと進化しています。
お茶室もあり、京都の光琳屋敷も復元してあって見学することもできます。



いい具合に年月を重ねて庭に風情が出てきました。

馬酔木

黒文字の花

枝垂れ桜もちょうど乙女のような見頃です。京都にも平安神宮など有名な枝垂れ桜の名所がありますが、喜んで見てくれている友人を見て、私は美しい花と喜んでくれる友と二重の喜びを感じながらこの景色に浸りました。

それから館内見学。数年前に大幅リニューアル。と言ってもガラスや展示方法、売店やカフェなどなどを見直してスッキリさせたもので、建物の骨組み自体は昔と変わっていないと思います。
相模灘一望の素晴らしいロケーションに、素晴らしい建物が建っています。
斜面に建っているので、途中にムアスクエアと呼ばれる中庭があります。ムア作『王と王妃』
1階カフェから

2階メインロビーから

山側の駐車場から入ると、3階のレベルが建物へのアプローチになり、1階降りて2階で有名な金の茶室が見られます。
その横のメインロビーからは、足を踏み入れた皆さんが例外なく声をあげてしまうほどの一面の海!
壁側には以前はたくさんの作品が展示されていましたが、水平線が強調された絵画一枚。
「杉本博司さんだと思う」と言いながらもう一つ発見。ガラスの椅子!


小田原に江之浦測候所という、杉本さんの作られた美術館があります。古いものからガラスを大胆に使ったものまで不思議な空間が広がりますが、確かな共通感がありました。
学んだ知識と体験したことには、どうしても差が出るものだと思います。学びは左脳で処理できますが、体験して前頭葉が関与したものは確実に自分のものになります。もちろん自分の能力内でのことですが。

この日は江戸の美人画がテーマでした。友人は「私が一番心惹かれた作品は『誰が袖屏風』。人は全然出てこないのに、たおやかな美女を感じるでしょう?これこそ日本と思わない?」
こんな感想が聞けることはなかなかありません。良い友を案内したものです。
MOA美術館には三つの国宝があります。
そのうちの仁清の色絵藤花茶壺は最近はいつも同じ場所に展示されていますから、見るチャンスは多そうです。

この日の宿はエクシブ湯河原離宮にしました。このホテルはコンセプトが琳派モダンということで、MOA美術館を堪能した旅の宿としてはなかなか良いチョイスだったと気づいてくれたでしょうか?
仁清を継いだのが乾山。乾山のお兄さんが光琳。光琳が琳派を完成させた…
ロビーの生花も確かにモダンな作品です。金屏風を背にして、これが琳派モダンなのですね。

デルフィニューム

ほころび始めた八重桜

実は5月に気仙沼から友人が来ます。もちろんまたMOA美術館に連れて行きます!
その時のテーマは「北斎『富嶽三六景』Digtal Remix」。どういうものが見られるか楽しみにしています。

伊豆で行きやすい美術館をいくつか知っておかないと案内できません。
湯河原町立美術館。3月に一緒に行った友達は平松礼二館のアトリエに興味シンシンでした。

熱海には山口美術館、澤田政広美術館、トリックアート美術館などあるのですが、MOA美術館に行きたいとなるとなかなか目的地になれません。

伊豆高原の池田二十世紀美術館は私でも知っている作品がさりげなく展示されてます。

伊東で特筆すべきは、大徳寺聚光院伊東別院。なんと千住博作あの滝の図。このお寺の襖絵なのです!建築家吉村順三さんの晩年の作品である建物も眺望も素晴らしいですが、美術館でなくあるべきところに嵌め込まれ用をなしていることが素晴
らしいと思います。考えたらこの一月で3回も訪ねました。

下田上原美術館。上原さん個人の好みで蒐集した作品が中心なので、独特の魅力が醸し出されます。自然に抱かれたロケーションも魅力的です。2月には早春の風情が心地よかったですよ。

それぞれの美術館の特徴と友人の興味と時間を考えて、何度でも行きます。同じ美術館でも季節が違って、同行者が違えば楽しいものですよ。

以上、美術館編でした。

by 高槻絹子





私家版-伊豆名所巡り②

2024年04月19日 | 私の右脳ライフ
今回一緒に遊んだ友人たちはある意味歴女です。
「修善寺に行きたい?」と聞いたら「あ!修善寺物語」と即答。
「修禅寺の宝物館に連れて行かなくっちゃあ」と修善寺行きが即決定。
(温泉地の名前は修善寺。お寺の名前は修禅寺なのです)
最近の修禅寺の一番人気はこの石像。マツコデラックスにそっくり。確かにね。

もちろん端正なこの本堂も素敵です。

手水舎。小さく作ったのではなく、パーツそのものを小さく作ったと教えていただいたことがあります。例えば瓦の数を減らすのではなく瓦そのものを小さく作るという手間をかけているということです。温泉が使われています。

晴天に青紅葉が輝いていました。
瑞宝蔵と名付けられた宝物殿(写真不可)でも、

一つ一つをちゃんとみてくれて、二人で確認したりして旅の楽しみが増しました。

桂川にかかる赤い欄干も目に染みるよう。

竹林。

桂川や竹林は通り過ぎるだけにして、普段はあまり行くことのない指月殿へ。頼家の死を悼んだ北条政子が創建した経蔵です。伊豆最古の木造建築物と言われています。

やはり関心を持ってくれました。路傍の花にも同じ関心を持てるし、言葉を交わしながら楽しさが倍増する実感がありました。

二人とも行ったことがあったのですが、松崎町の岩科学校を再訪しました。この横浜の友人は教育社会学が専門なので、明治期の教育に関してはとてもよく知っています。解説付きで見学するのもいいものです。
アプローチも立派。

建築費の4割が地元住民からの寄付金だったと聞けば、明治期の教育に関する素直な熱意が感じられます。

国の重要文化財。同じように明治の初期に建てられた松本の開智学校は国宝です。私たち二人とも開智学校にもいったことがあるということがわかり、細かい話で盛り上がりました。

入江長八というコテ絵の名人を輩出した町ですから、当然素晴らしいコテ絵があちらこちらで見つけられます。
玄関上部。

2階の西の間と言われる和室の長押には、一羽ずつ形の違う飛翔する鶴の姿が描かれています。

床の間に向かうデザインですって。

長八は、立体的な作品も残しています。

教科書や法令などの展示がたくさんありましたが、このお弁当箱を見つけた時は「あ、こういうのを使ったねえ」と声が出てしまいました。


伊豆山神社は別々の友人と2度行きました。ここの資料館も小さいながら内容が充実していて、誰かと分かち合いたいものと思っていましたが、残念ながら両日とも休館日。(水曜日)

秋の景色のようですね。紅葉の若葉なのです。

境内は春爛漫。「もしかしたら今日がこの春一番の桜の見頃かもしれない」と言いあうほど。





伊豆山神社の手水舎は赤龍白龍から水が出ます。

伊豆山神社は、海岸から837段の階段を登った上にあります。当然海一望で心がスッキリするような景観が広がりますが、なかなか写真ではうまく表現できません。

湯河原でも五所神社にお参りしました。一度行ってみたかったのです。


狛犬「阿」

狛犬「吽」

楠の大木が何本も天をついていました。




写真を撮っていると、多分近所の方が本殿に向かって丁寧にお参りされました。
その上、本殿の中では、何事か神事が行われていたのです。ちょっと気持ちが改まるような、こういう気持ちを持つことは生きていくには大切なことかもしれないと思いました。
「一度は五所神社に行ってみたい」という私のごく軽い好奇心に付き合ってくれた友人はどう感じていたのでしょうか?
超百歳高齢者の調査をした時に、本当にかくしゃくとしていた方達に共通の考え方として、人間の存在を超えたものに対する畏敬の念を持っていらっしゃるということに気づきました。
宗教を信じている方もいらっしゃいましたが、宗教にくくることができない「お天道さまに感謝する」「ご先祖様に感謝する」というような表現をされました。
その話をしたら、友人も軽く同意してくれました。



少し前の話になりますが、遊びにきてくれた友人をちょっとびっくりさせてあげようと思って湯河原の千歳川対岸、ということは熱海市になりますが、福泉寺に連れて行きました。見事な茅葺の本堂がドライブ中から目につきます。

首大仏。江戸期に名古屋でで作られたものを、移動させた際に頭部だけになったという由来書がありました。

陶器製。
「首だけ」と聞くと「気持ち悪い」とか「怖い」と思うでしょうが、そんなことはありません。強いエネルギーを感じました。

神社仏閣ではありません。土肥のロクワット西伊豆まで行ってランチしました。

土肥に行ったので、清雲寺にも立ち寄りました。土肥支所のすぐ横を入っていくと思いがけず大きく、お花がたくさん手入れされているお寺があります。日蓮宗清雲寺。
本堂の背の高い長押に日蓮聖人一代記が板絵で奉納されています。
自由に見せていただくことができ、1番から90番まで通してみれば、日蓮聖人の誕生から法難、そして入滅までわかります。
身延山久遠寺にも一代記はありましたが、清雲寺のそれは板絵ということ、檀家の皆さんの寄進で完成したというところが特筆すべき点でしょう。

「良いところに連れてきてくれてありがとう」って言ってもらえました。
いえいえ。私の喜びです!

以上、神社仏閣編でした。

by 高槻絹子




私家版-伊豆名所巡り①

2024年04月18日 | 私の右脳ライフ
友人が遊びにきてくれて、思いがけず近場の女子旅を楽しみました。
景色に心奪われたり、歴史を感じるものに惹かれたり、もちろん季節の花にも歓声を上げ、美味しいものも楽しみました。備忘録としての写真集です。
稲取展望テラス。(3/27)
それにしても天気に恵まれました。
左端の利島(としま)と中央右寄りの新島(にいじま)の間にかすんで見える大きな島が三宅島。伊豆高原からだと利島の左に見えるのです。

稲取市街の展望

散策道のスミレ

早咲きオオシマサクラ

一番近い景勝地は城ヶ崎海岸の橋立吊り橋。
あいにくの雨でしたから、橋の向こうに灯台が霞んでいます。

それでも海はきれいです。

友人デザインの、お土産屋さんのプレート。

普段の城ヶ崎海岸の海は富戸ブルーと言われます。

江戸時代からの魚見小屋。
富戸港の4月と言えばさくらブリ。今年は嬉しいことに文字通りの大漁だったそうで、知り合いの漁師さんから写真が届きました。漁は夜明け前から始まります。
1匹10kg以上というのですから!すごいですね。

鳥はよく知っています。

大漁旗を何度もあげての凱旋帰港。


京都からきた友人が「富士山が見たい」と言いました。
達磨山レストハウス傍にある展望台。駿河湾越しに見るここからの富士山は、その大きな写真が昭和14年ニューヨーク万博の時に日本を代表する景色として出品されたそうです。つまり富士山を見るところとしては日本一ということですね。

さあ。趣を変えてちょっとおしゃれなお店の報告をしましょう。
伊豆は海と山に恵まれていますが、山の新店。
中伊豆に自家製石窯焙煎のコーヒーを提供するカフェが4/5オープンしました。
グリーンポケット。

庭と一体になったようなメルヘンチックなコーナー

明るい店内

手作り石窯

洗った豆のチェック

この焙煎でちょうどいい!

どちらを見ても天城につながる山々が。

不思議な形の木の向こうの山々はなだらかです。

カフェの横には天城の水が集まった堰。気持ちを沈めるような水音がBGMになってます。

奥湯河原で初めての鰻屋訪問。
100年の歴史を誇る富士屋旅館。
フロント

ロビーへののれん

メニュー

瓢六はむびょう…無病にかけたネーミング。

店内の調度は、吟味された骨董でまとめられていました。

突き当たりが焼き場。

鰻重並。(ランクは量だけで決まっています)


名所ではありませんが、食事につきもののデザートも。
我が家の5男を自称しているT二さんのお嬢さんがめでたく高校生になりました。

おめでとうケーキの追加です。夫の誕生日が4/5。

お祝いは一回だけではないのです。友人が一席設けてくれました。

ケーキではありませんが、長男からのプレゼント。「冗談だからみんなで盛り上がってね」というコメント付。

あとから解説も。

夫は1944年生まれですから、80歳。
「傘寿おめでとうございます」と言ってあげますが、「傘寿?誰が?」というのが正直な感想です(笑)
以下、伊豆名所まだ続きます。

by 高槻絹子























ブログを再開するには前頭葉が必須です

2024年04月17日 | 前頭葉の働き
ご無沙汰しています。これだけ長く投稿しなかったことは珍しいのです。
投稿が途切れる時は、理由は二つ。
一つは遊びが充実しすぎて時間が取れない。
もう一つはパソコンの不調。
今回はその二つが重なったという状況でした。楽しい方から報告を開始しますが、一旦休んだことを再開するには大きなエネルギーが必要です。ふつうの言葉でいえば「意欲」「やる気」をかき立てる必要があると言えますし、脳の働きから考えると、前頭葉がどう働くかということになります。

ニコニコ顔の友人(漁師さん)が大きな鰤を持って来てくださる。「今朝獲れ。ハラミは刺身。雄節はしゃぶしゃぶが美味しいよ」そう聞くと、捌いてあげて一緒に食べたくなります。一緒に感動の舌鼓を打ったら、当然お話に花が咲いて、お開きの時間が遅くなる。
私の前頭葉はこのような時間が大好きなので、今日はブログを書こうと決めていて書かなかったとしても「いい時間だった」と満足するのです。
鰤が大漁で、何しろ「大漁旗が上がった」と何回か聞くくらいだったので、ありがたいことに何度もブリパーティを楽しみました。たくさんの鰤ですから、お裾分けしたり食事にお呼びしたりして勿体無いようにいただきました。
このブログに「富戸定置網でブリ豊漁」と書いたのは3/20ですから、かれこれ1ヶ月豊漁が続いていることになります。
最近はYouTubeで検索すればどんなことでも教えてくれますから、真子や白子のレシピなどは、我流でやっていたところを丁寧に教えてもらって、お味が一段アップしたような気にもなって。ついでにお皿や盛り付けにも一工夫。

自分にとって楽しいことをやっている時の前頭葉は、あたかもライトがピカピカ灯っているようです。
私は料理が好きだし、人に食べてもらうことも好き。ならばこの鰤まみれの半月は至福の時だったということになります。でも魚が捌けない、料理も好きじゃあない人には、もしこういう状況になったら、難行苦行ということになりますね。
今年のボタンは一花だけ。

でも、初めて脇芽が出ました!

こういうふうに考えると、「脳のリハビリ」「認知症にならないためには」と言っても具体的には一般化しにくいということを理解してもらえるでしょうか?
その状況をどのように捉えるか、そしてそれに基づいてどのように行動していくかを決めるのが前頭葉。
この半月イキイキと生活は楽しんできたのですが、一方で「ブログが書けていない」という状況も同時発生し、だんだんに「これではいけない」と絞られてくるような感じです。
さあ。
行動の軌道修正が必要です。その時キャスティングボードを握るのも前頭葉。好きなことをやることと、なすべきことをやることとはどちらがエネルギーが必要でしょうか?特別な状況の下だとなすべきことを優先して行動を組み立てられますが。例えば、現職の社会生活を送っていると締め切りのある仕事だったら最優先して取り組むでしょう?でもそのような圧力がない第二の人生では、なかなか…
なすべきこと、それどころか、得意なこと好きなことすら「面倒くさい。どうでもいい」という気持ちになりがちです。その意欲低下こそ、認知症への近道、落とし穴なのです。
フジが咲き始めました。

庭を一巡りして花の咲き具合を確かめて、お茶を飲んだりお菓子を食べたり、今しなくてもいい棚の整理をしたり。
そして最終的に「エイヤッ」と背中を押してくれたのは「ブログ書いてないけど、体調壊していないの」という友のメール。
その心根に対して、私の前頭葉はスターターの役目を果たしてくれました。
生きていく時には、聞く、話す、読む、書くのような認知機能を発揮させる前に、その認知機能を発揮させようとする前頭葉の機能が不可欠ということを、久しぶりに実感しました。

by 高槻絹子







脳機能検査をする意味(続)ー2022年の桜の記録と共に

2024年04月03日 | 二段階方式って?
(2022年4月投稿の「桜の下でゲミュートローゼを考える」が、前回投稿の記事を補足しているので再投稿します。この年もたくさん桜巡りをしました)

今年も桜を堪能しました。
圧巻は、今年初めて出会った三島市玉澤霊園の山桜。樹齢400年ですって。

我が家の稚木の桜(わかきのさくら)2年生でもう花をつけるという、牧野富太郎博士が最も好んだ可憐な一重の山桜です。

伊豆は暖かいので、色鮮やかな寒緋桜も時々目にします。

すごい…

伊豆市、法泉寺の枝垂れ桜。ひっそりと山を背景にたたずんでいました。ここも初見です。

見る人もなく…見事に咲いてくれていました。

聚光院伊東別院に咲く莫眼花(ばくがんか)。禅語で「眼花することなかれ」と読み下し「眼病の時に花でないものを花と見間違うように、真実の花でないものを花と見てはいけない。心を平安に落ち着かせているとそういうことは起きない」というような意味らしいです。

桜守佐野藤右衛門さんが発見し、命名した突然変異の桜です。一重から八重に向かう一番最初の段階がよくわかります。現時点では世界に一本といわれているようです。

この角度はどうでしょうか?ちょっと大ぶりな花でした。蕾ははっきりとピンク色ですが咲くとほとんど白い花になります。考えたらこの桜も始めてみました。アンテナを立てておくと、情報は飛び込んできてくれるものですね。

ところで「ゲミュートローゼ」です。
高校のクラスメートからのメールでこの言葉を発見した時が初対面。プーチンのウクライナ侵攻に絡んで書かれていたので、精神的な疾患を意味しているだろうとは思いました。
じつは私、去年、心理領域初の国家資格公認心理師試験に合格したんです。
近況報告ー公認心理師試験に挑戦
一応、「心理職」と名乗れるのですが、全くこの言葉を知りませんでした!
困ったときの検索頼み。
「「ゲミュート」とは、思いやり、同情、良心などを意味するドイツ語である。 このような高等感情を持たない人を、ドイツの精神科医クルト・シュナイダーは「ゲミュートローゼ」と名づけたわけで、「情性欠如者」と訳される」
シュナイダーは、統合失調症の症状をあげたり精神病の診断に寄与した人で、精神病質の10類型もシュナイダーが言い始めたらしいです。この辺りは確かに勉強したような気もしますが「ゲミュートローゼ」とは書いてなかった…没年が1967年なのでかなり前の方です。つまりずいぶん以前からこういうくくり方はあったということですね。

熱海なぎさ公園の大寒桜。花の間に熱海城が見えました。

私のキャリアは、精神科で心理担当として勤務したところからスタートしました。大学では臨床心理は全くやっていませんでしたから、診察室で出会う患者さんの話に耳を傾けるとびっくりすることの連続。考えたらとんでもない心理担当者だった…と赤面しながら反省しています。
統合失調症の方の話を一生懸命聞いていくと、どこかのところから「わかりません」と音をあげたくなる。うつ病の方には励ましたくなる。そう状態の方に対応すると言い聞かせたくなる。
全部やってはいけないことですから、ひたすら忍耐の日々でした。神経症の方の訴えはこちらも苦しくなる。場面緘黙や不登校や家庭内暴力の子どもたち。それまでに人生で全く体験がなかったことの連続で、仕事をそこから始められたことは、ほんとうにラッキーだったと思います。患者さんたちの話を聞いたり、投影法を主とする心理テストをやったり。箱庭療法もしました。
精神科で働いていたときには、症状を丸ごと理解しようとする、それは目の前の人が感じていることをそのままに受け入れることでもあるのですが、その気持ちは間違いなくあるのですが、本当に難しいことでした。

河津桜に似ていますが、これは伊東小室桜。伊東市にしかありません。オオシマサクラとカンヒサクラの自然交配種だそうです。

その後、ドクターの転出があって脳外科で働くことになりました。病気やけがで脳に障害が起きた時に、治療前後の機能の比較、または後遺症として受け入れざるを得ない症状の説明、またその経過観察のために行われる神経心理テストの担当になりました。
一番最初に、脳外科のドクターから言われた言葉にはショックを受けました。
「脳が壊れると、できないことが起きてくる。それはどうしようもないことだから、できないことをよく見なさい。そしてそれをちゃんと説明してあげることが大切。あいまいな希望を持たせることは慎むべきなんだ」
きっと、「そんなぁ!」という顔をしていたのでしょう。
「脳が壊れると、どうしてもできないことはできないんだよ。脳が壊れて手足にマヒが残ってしまった人をどう励ましても、本人がどう頑張っても重い不全マヒの時は動かない。軽ければリハビリで改善できるけども、元通りというわけにはいかない」こんこんとそうおっしゃったドクターの声やたたずまいは、40年近くたっている今でも鮮やかによみがえります。あの時、ドクターはご自分の無力感も伝えてくださったのだと思います。
脳外科での勤務を続けるうちに、「全くその通り。壊れてしまった脳は以前と同じようには機能しない」と私も納得できました。
運動領域は壊れた部分にぴったり一致する運動障害が出てきます。左脳が壊れた人、右脳が壊れた人。そして、当時も現在になってもまだまだ理解されているとは思えない前頭葉に障害が残った人達が、特有の後遺症を示して、その働きを教えてくれました。

我が家で咲く河津桜

そして次の段階になりました。精神科で出会った方たちの症状は、脳の機能不全の面もあるのではないかと感じるようになったのです。症状を脳の機能障害と断じることには、感覚的な抵抗があることは、私にもよくわかります。困った症状に何らかの意味づけをして「全体的に理解してあげる」方が優しいような気がしますよね。
症状を脳の機能障害と考えるというのは、対人関係に問題がある人は、成育歴や現在の環境の影響以前に、対人的な情報を処理する脳の分野に問題があるのかもしれない。と推理するというようなことです。もう少し具体的に書いてみましょう。
例えば重度の認知症になると見当識の障害が起きてきます。今がいつなのかわからない。ここがどこなのかわからない。この人が誰なのかわからない。
夜中に騒ぐ。徘徊する。それに意味づけをして、その行動を理解しようとする立場があります。いっぽうで脳機能から見ると見当識をつかさどっている領域が機能できていない(だから夜中に騒いだり、徘徊したりすることには意味はない)と考えるのです。
どちらが優しいというか、その人に寄り添っていることになるのか考えてみてください。もう一例あげてみます。
脳卒中の後遺症で歩けない人に向かって「なぜ歩けないんでしょうねえ。
過去の何かが影響しているかもしれません。考え方を少し変えてみることはできませんか?」ということと、「命はとりとめたのですが、脳の病気のために残念ながら後遺症が残りました」そして「立てません。車いすを使います。歩行器を使います。装具を付けてリハビリします。杖を使います」ということと、どちらがよりその人の生活のために役立つでしょうか?

伊豆最福寺しだれ。日本で4例目の八重枝垂れ桜。

私の今の仕事は、認知症の早期発見や回復を図ること、それ以前に認知症にならない生活指導をすることです。
カギは、脳機能特に前頭葉機能なのですが、「ゲミュートローゼ」という知らない言葉に出会ったことで、何十年も昔のことを思い出してしまいました。
フロク。
ゲミュートローゼを脳機能から考えると、第一段階としてはやはり右脳の情報をキャッチする能力に欠けた状況を考えないといけないでしょう。生まれつきの問題もあるかもしれませんが、右脳を育てる過程で育てそこなってしまったことも考えないといけないでしょう。母子関係をベースにした感情的な交流が皆無だとしたら、感情を獲得することができませんから。
またわざわざ「思いやり、同情、良心などの高等感情」という表現は「前頭葉機能」そのものを指していると思われます。育っていく間に、種々の体験や決断をし、それを両親や先生や友人たちから評価されて、自分なりの前頭葉の色を付けていきます。そして最終的には「自分で自分の行動を計画し、実践し、評価しながら自己を確立していく」のが人が生きていく道です。
右脳と同様に、生得的に何かが欠落しているのか、一般的な成長過程を体験できなかったのか。いずれにしても前頭葉機能に欠落があるとしか思えません。
伊豆高原桜のトンネル。この日は海が見えていました。

by 高槻絹子

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