「私はアラビアのことを何も知らなかった(前編)」のつづきです。
前編で、
アラビアと聞くと、砂漠と石油とラクダとナツメヤシとお金持ちの王族、、、となんとも貧弱なイメージしか持ち合わせない私なのですが、
と書きましたが、このうち、ラクダと王族関連の展示がありました
まずはラクダ。
それぞれBC2世紀~AD2世紀、BC3世紀~AD3世紀と、幅のある時代のものなんですが、やはりアラビアとラクダとは切って離せないのでしょうねぇ。
どれもかなり素朴な作品です。
一方で、AD1世紀~AD3世紀頃の作品だというこちらの「ヘラクレス」はラクダたちとは正反対に写実的です。というか、いかにもギリシア風
おっと、早くも話がズレたので、「王族関連の展示」に戻しますと、
サウジアラビア王国の「建国の父」、アブドゥルアジーズ王の上衣だそうで、いかにも王様のお召し物っぽいですな。
ただ、材質が「絹」とか「カシミヤ」といった高級素材ではなく、「木綿」だというのは、かなり意外でした。
でも、アブドゥルアジーズ王のクルアーン(コーラン)は、「いかにも」な豪華なもの。
そうそう、「アラビアと聞くと」から、イスラム教と、あの奇妙なアラビア文字が抜けていました。
上に載せたのは、オスマントルコがアラビアの主要地域を支配していた頃、16~17世紀のクルアーンだそうですが、およそ文字に見えない文字だということに加えて、右から左へという書き方、「ホント、変だ」と思ってしまいます。
でも、考えてみれば、日本語だって、
上の写真は、トーハクの本館に展示されていた千姫の「消息(=手紙)」なんですが、これもまた文字とは思えません。左下に小さく書かれている署名の「せん」だって、知らないと読めませんぞ。
しかも、縦書き横書き兼用であることに加えて、横書きするときは、左から右に書いたり、右から左に書いたり…
世界標準からすれば、日本語も相当「変」な部類に入ると思います。
それはともかく、アラビアの文字の変遷も面白かった…
左の写真はBC5~BC4世紀頃の「古代南アラビア文字による墓碑」だそうですけど、現代のアラビア文字とは全然違っていて、ギリシア文字に近い感じ。
そして、上に載せた2~3世紀頃の「古代南アラビア文字による奉献碑文」は、紀元前の古代南アラビア文字とも現代のアラビア文字ともまるで違います
一方で、203年(3世紀)の「ナバテア文字による墓碑」は、現代のアラビア文字のイメージに近い。
こうして見てくると、時間の流れが文字を変えたのではなく、異なる文化を持った人々の勢力争いの結果が現代のアラビア文字につながっているのではないかという気がしてきます
と、ようやく現代のアラビア文字に近づいたところできょうはおしまい。
できれば前編&後編で書き終えたかったのですが、3部構成にします。
つづき:2018/02/27 私はアラビアのことを何も知らなかった(後編)