12月6日の日曜の夜、NHK・Eテレでの放送の「クラシック音楽館」はNHK交響楽団によるマーラーの交響曲第2番「復活」だった。
実は、この日は店の忘年会だったが、私は出席しなかった。私は、入社以来、この種の行事には欠席したことがなかったが、今回、初めて欠席してしまった。
毎週日曜は早朝出勤で、次の日も仕事ということもありますが、私は仕事しない人間が大嫌い。業務上、職場では辛抱するが、職場を離れてまで、同じ空気を吸いたくないという自分でも直さなければと思っている私の偏屈な性格のため今回は、こうなってしまった。
朝も早かったので放送を見て夜11時には布団にもぐりこんだのだが、今頃、みんな騒いでいるのであろうなあと思うと、自分だけ取り残された気持ちになり一抹の寂しさも感じましたが、これも自分が決めたことなので、しかたあるまい。
そんな自分を、けっして裏切らない、どんな時も私の心を癒してくれるのは、やはり音楽である。大袈裟ですが音楽があるから自分は生きていけるという気持ちが実感である。
今回のマーラーの「復活」は、やはり嫌な事を忘れさせてくれるものがありました。
今回聴いたマーラーの「復活」。やはり終楽章の大詰めは、やはり気持ちが高ぶってくるものがありました。また、年をとってきたせいか?第2楽章のアンダンテが身に沁みるようになりました。
さて、今回のN響の「復活」は10月の定期演奏会からパーヴォ・ヤルヴィの首席指揮者就任記念演奏会。
さすが、この大曲もヤルヴィの手に入っていて、現在のマーラーの演奏としては、これでいいのであろう。
ただ、この作品の独特な異様さがあれば、もっと面白かったのではと思ったりしました。
やはり独特な異様さを最大限に出ていたのがバーンスタインの演奏でしょう。
私の世代のマーラー演奏と言えば、どうしてもバーンスタインに回帰してしまいます。これは、もう、どうにもならないのかな?
ところで映像で見るマーラーの「復活」。この作品の独特な楽器編成を見ることが出来てやはり興味深かった。
N響の「復活」には思い出がある。
たいへんな昔々、私が東京で送っていた大学生時代、当時のN響の定期演奏会で「復活」を聴いた。指揮は当時N響の名誉指揮者オットマール・スウィトナー。
当日券購入のため早くから並んで、NHKホールの最前列で聴きました。やはり終楽章の大詰めは大いに盛り上がり、地響きがしているような感じでした。
また演奏会終了後、楽屋口でスウィトナーからサインをもらったのも遠い昔の思い出となっています。
あれから30数余年。N響のレベルは、はるかに飛躍して、いよいよパーヴォ・ヤルヴィの時代。N響は、たいへんな大物を招いたものです。
時代は変わっていくものですね。
なお私の聴いたスウィトナーの演奏は最近CD化され、「レコード芸術」誌では音楽評論家のU氏に酷評されていましたが、あの時の思いでは批評に左右されない消えることもない私の心の中の1ページとして、いつまでも残ることでしょう。
今回は年寄りの愚痴と昔話に終始してしまい本当に申し訳ございませんでした。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4c/b0/3a3d5d4b87e47c0b7a8872118847d2fc.jpg)
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実は、この日は店の忘年会だったが、私は出席しなかった。私は、入社以来、この種の行事には欠席したことがなかったが、今回、初めて欠席してしまった。
毎週日曜は早朝出勤で、次の日も仕事ということもありますが、私は仕事しない人間が大嫌い。業務上、職場では辛抱するが、職場を離れてまで、同じ空気を吸いたくないという自分でも直さなければと思っている私の偏屈な性格のため今回は、こうなってしまった。
朝も早かったので放送を見て夜11時には布団にもぐりこんだのだが、今頃、みんな騒いでいるのであろうなあと思うと、自分だけ取り残された気持ちになり一抹の寂しさも感じましたが、これも自分が決めたことなので、しかたあるまい。
そんな自分を、けっして裏切らない、どんな時も私の心を癒してくれるのは、やはり音楽である。大袈裟ですが音楽があるから自分は生きていけるという気持ちが実感である。
今回のマーラーの「復活」は、やはり嫌な事を忘れさせてくれるものがありました。
今回聴いたマーラーの「復活」。やはり終楽章の大詰めは、やはり気持ちが高ぶってくるものがありました。また、年をとってきたせいか?第2楽章のアンダンテが身に沁みるようになりました。
さて、今回のN響の「復活」は10月の定期演奏会からパーヴォ・ヤルヴィの首席指揮者就任記念演奏会。
さすが、この大曲もヤルヴィの手に入っていて、現在のマーラーの演奏としては、これでいいのであろう。
ただ、この作品の独特な異様さがあれば、もっと面白かったのではと思ったりしました。
やはり独特な異様さを最大限に出ていたのがバーンスタインの演奏でしょう。
私の世代のマーラー演奏と言えば、どうしてもバーンスタインに回帰してしまいます。これは、もう、どうにもならないのかな?
ところで映像で見るマーラーの「復活」。この作品の独特な楽器編成を見ることが出来てやはり興味深かった。
N響の「復活」には思い出がある。
たいへんな昔々、私が東京で送っていた大学生時代、当時のN響の定期演奏会で「復活」を聴いた。指揮は当時N響の名誉指揮者オットマール・スウィトナー。
当日券購入のため早くから並んで、NHKホールの最前列で聴きました。やはり終楽章の大詰めは大いに盛り上がり、地響きがしているような感じでした。
また演奏会終了後、楽屋口でスウィトナーからサインをもらったのも遠い昔の思い出となっています。
あれから30数余年。N響のレベルは、はるかに飛躍して、いよいよパーヴォ・ヤルヴィの時代。N響は、たいへんな大物を招いたものです。
時代は変わっていくものですね。
なお私の聴いたスウィトナーの演奏は最近CD化され、「レコード芸術」誌では音楽評論家のU氏に酷評されていましたが、あの時の思いでは批評に左右されない消えることもない私の心の中の1ページとして、いつまでも残ることでしょう。
今回は年寄りの愚痴と昔話に終始してしまい本当に申し訳ございませんでした。
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1番はこの数年間で何度かの放映がありましたが、何故か2番は少なく、私が持っている限りではアバド指揮のルツエルン以来と思います。SopのE.ウォールを観るのはベルリン・フィルでオルフのカルミナ・ブラーナ以来かな(?) 多少貫禄が増した様子で(失礼!).。
私にとってマーラーやブルックナーは演奏自体が長い為か複数枚になってしまい、若い頃はLPやCDを買いたいと思わなかったのですが、TVで放映されたものを録画出来るようになって、それに齢を重ねるに従い退屈しないで聴けるようになったのは嬉しい限りです。
P.ヤルヴィのことなのでマーラーの演奏も速めかと思っていましたが、比較的にゆったりした進行だったので、
正直に申せば一部の緊張感が物足りなかった気がします。それとも、N響の金管の迫力がイマイチの感じがしました。勿論、ルツェルンとの比較ですが。