ゆみちゃんの365日

日々の出来事を綴っています。

今宵はMALTA”Hit&Run”ジャズに酔う

2012-03-31 14:58:29 | 音楽


3月30日(金曜日)
MALTA Hit & Runスペシャル
日本のジャズ・フュージョンシーンを代表するアルト・サックス奏者。世界を股にかけて活動を続けてきた伝説の男が、シーンも誇るトップ・ミュージシャン・バンド”Hit&Run”と共に再登場!
のライブ案内がビルボードライブ大阪 から送られてきた。 MALTA はビルボードライブ大阪に年2回やってくる。MALTAは同郷で、しかも高校が同じなので、大阪で公演があるときはほとんど行っている。前回は昨年の9月末、姪っ子と行ったので半年ぶりになる。
今回のライブはペアで行けば特典がある。7,400円の自由席で、食事が付いて二人で16、000円。ライブで一人ポツンほど寂しいものはない。百姓は肥えをかけてナンボ。かけた甲斐があり、嬉しいことに芽が出た。
17時半開場で18時半開演だが1時間早く到着した。どこか酒が飲めるところがないかと、ハービスエントの周りを捜した。ビジネス街の店はどこも準備中の札がかかっている。あったー!田舎料理の店が開いていた。

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焼酎の水割りを飲み、こいもの煮っ転がしを食べ、湯豆腐を食べれば開場時間になった。

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ご一緒してくれる女性は仕事が6時まであるので、早くて7時ごろのメールが来ている。

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一人で先に入り見やすい席を確保した。会場は中年でほぼ満員だ。

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泡盛水割りを2杯オーダーし、チビリチビリ飲んでいれば開演時間になった。

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6時半になると場内は薄暗くなり、拍手とともに6人のメンバーが、それぞれの持ち場に着席した。
本日の主役、MALTAがスポットライトの中に浮かぶ。さすが主役。待ってましたの拍手の嵐だ。MALTAはメンバーを紹介する。 三木成能(Pf・Key) ・ジーン重村(Dr) ・早川岳晴(Bs) ・星牧人(synthesizer) ・宮崎よしお(Trumpet )。名前を呼べば、各人が楽器を弾いてそれに応える。今夜は初めて見る方は星牧人(synthesizer)・宮崎よしお(Trumpet )さんの二人で、いつも出ているギターの布川俊樹(Gt)さんは見えない。どうしたのだろう。
演奏 が始まった。曲名を言ってくれるのだが、まったく聞き取れない。老いのせいだろうか。
1曲目が終わる寸前にお友達が到着した。演奏は休み無くやるので、会話はほとんど出来ない。綺麗に盛り付けた料理も薄暗い中では映えない。食べながら飲みながら70分ほどのジャズ演奏を満喫した。アンコール曲の 「フェリーシア」  だけはっきり聞こえた。テーブルの上にはまだ料理が残っている。セカンドステージの入れ替え時間まで30分ほどあったので、残さずいただいた。周りを見れば誰もいない。いつの間にやら最後の二人になっていた。
今月も本当によくライブに行った。今夜で5回だ。ジャズ、ブルース、沖縄民謡、沖縄ポップスと、ジャンルは何でも来い。少し間口を広げてしまったようだ。でもライブに行けば、「音楽が聞けて」「酒が飲めて」「美味しいものが食べれて」「女性とおしゃべりができて」の楽しいことが待っている。今では私の活力源だ。行けるのは元気な証。
会場を出た後、曽根崎界隈をぶらり。どこかいい店ないかな~。ワインバーがあった。ワインを飲み、焼酎を飲み会話を楽しむ。

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ボチボチ帰ろうかというところで、店のサプライズがあった。それは「ベネンシアドール」。 この光景はテレビで見たことがある。
スペインのシェリー酒を高い所からワイングラスに注ぎ込む。

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華麗なパフォーマンスだ。三人連れのお客さんがきて、席を横に動いてもらったので、そのサービスとのこと。ラッキー!
北新地駅に行くと京田辺行きの最終電車は出た後で松井山手行しかない。松井山手まで帰れば帰ったようなもの。タクシーで25分で帰宅した。

【参  考】ベネンシアとは1メートルぐらいの弾力性のある長い柄杓のような道具です。 シェリーを樽からグラスへ注ぐために使われ、ベネンシアを扱う人を「ベネンシアドール」といいます。その独特な注ぎ方はシェリーを知らない人でもテレビや雑誌(写真)でその姿を見た方も多いはずです。
ベネンシアを使うことでカップからグラスへ勢いよく注ぐ事が出来るため、シェリーは華やかでまろやかな味わいへと変化します。
しぇりークラブではシェリー原産地呼称統制委員会から認定を受けた「ベネンシアドール」が樽からシェリーを注ぎ入れます。

【MALTAプロフィール】
13歳からサックスを吹き始める。
1966年より故阪口新氏に師事。
1973年
東京芸術大学音楽学部器楽科卒業後、バークリー音楽大学に留学。
4年の課程を2年半で習得し、1年半同校で教鞭をとる。
1977年
ボストンからニューヨークに進出。
デューク・エリントン楽団(マーサー・エリントン指揮)、チャールズ・ミンガス、ジャック・マクダフ等の一流ミュージシャンと共演後、1979年に名門ライオネル・
ハンプトン楽団に迎えられ、同バンドのリード・アルト兼コンサートマスターに就任。
1983年
デビューアルバム「MALTA」を発表。
1987年
アルバム「SPARKLING」で第1回日本ゴールド・ディスク大賞に輝く。
1988年
「HIGHPRESSURE」は、全米発売にもなり、大ヒットアルバムとなる。
2003年11月
日本デビュー20周年を迎え、記念アルバム「HALFMOONSTREET」を発表。
2004年
初のJAZZアルバム「MANHATTANIN BLUE」(★Swingjournal選定【ゴールド・ディスク】)を発売。
同アルバムの高音質版XRCD24も発売となる。
2006年8月
通算30枚目にして初のLlVEアルバム「LlVEINJAPAN-Jazz Up,BackUp,DressUp,」(MBl-2001)を発売。
自身のバンドをM.J.Q.plus(MAmJAZZQUINTETT,PtuS)とし活動する。
現在、雑誌への連載、自叙伝・教則本の出版、バイクチーム(マルタ・ワークススポーツレーシングチーム)の監督として国内外のレースに出場する他、文化教育にも
力を注ぎ、「全日本高等学校選抜吹奏楽大会」で審査員をつとめ、“MAHA賞”が設立。
全国のアマチュア吹奏楽団・ビックバンドと共演、毎年開催される「FetedeaMusiqueauJapon音楽の祭日」にて東京では名誉顧問・大阪では特別顧問となる。
2008年
大阪芸術大学の教授に着任し、音楽理論・アンサンブル等の教鞭をとり、後輩の育成、プロ・アマ問わない音楽発展に尽力するなど精力的な幅広い活動を繰り広げ、そ
のサックス・プレイには観衆のみならず、一緒に演奏した人たちの心に多くの夢と感動を与え続けている。

コメント
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