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枚方から発信 「リハビリに励む」知人の声です。鈴木めぐみさんです。

2019-09-08 19:18:15 | 介護・福祉すずらんの集い
年をとることは、誰も避けられない。他人ごとではない、記事・・・



今日も元気でリハビリに行く   鈴木めぐみ

 1月に脊椎管狭窄で首の手術を受けた。右手指の痺れがひどく、MRI画像では「手術しかない」とすんなり納得した。が、痺れは相変わらずで、リハビリに通う中、4月の終わり、左手小指の腱(筋)を切断。何の痛みもなく、夜中にふとんを引っ張った時「ウン?」と感じたのが始まり。

 「手には手の専門医に」と言われ、連休の前日京阪滝井の関西医大に行く。そのまま手術、入院となった。急激な流れに驚きつつ、連休にもかかわらず、迅速・的確な対応をして下さり感謝している。
 ただの腱とはいえども色々絡んで学ぶことが多くあった。人差し指と小指の腱は2本あり、独自で立ち上がれる。中指と薬指は1本で独自で立ち上がれない。

 私の場合左手甲に大きな傷がある。2歳の頃、戦争中母に負ぶわれていた時に、空襲警報が鳴り、逃げたところ鼻緒が切れ、川に落ちた。そして茶碗のかけらで傷を負った。それも手首と平行で小指側。その傷と手首の骨とで「たまり」ができていて、おまけに手首の骨が出っ張っている。腱が引っ張られ、切れやすい状態とか。

 それで切れた腱は薬指の腱と縫い合わせ、骨はギコギコ削る手術だった。結果、医者の見解は「あなたの小指は今まで1本の腱で生きてきた。戦争中のそれが原因かは分からないが、生育の途中で何かあったと思う」と。それにしても、この小指はよく働いてくれた。ピアノまで弾いていたのに・・。懸命のリハビリで手は握れるようになった。が、何とも情けない開きと動き。握力がなくなってしまった。

 そんなこんなで、今はN病院のデイケアで、介護保険を使ってリハビリを受けている。これまで介護保険申請を2度して「要支援1」の認定を受けたが「要支援1」ではパワーをつけるリハビリしか受けられないと言われたり、病院側と包括センター(地域包括支援センター)の見解の違い等を経験した。

 健康保険でのリハビリは手術内容や病気により期限が決められている。その人の状況に関係なく「打ち切り」になる現実。
必要な時に必要なリハビリが受けられないなんて、何のための健康保険や介護保険なのか。
国の制度に生身の患者が振り回されている。必死の思いで手術を受けたのは「良くなりたい」との切実な思いなのに「良くなってはいけない」と言われているように思える。
歳をとるとは、こういうことかの日々の中、来年にはもう一度大きな手術が待っている。
また、どうなることか。

 「戦争だけはあかん」と言い続けてきた私に、今回の小指の出来事は「戦争が無かったらこんなにならんかったかも・・」と思えた。ますます「戦争はあかん」を言い続けたい。

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