平和で豊かな枚方を市民みんなでつくる会共同代表 大田幸世 平和が一番 市民の広場「ひこばえ」

枚方市を住みよいまちに☆原発NO!☆福祉・介護「すずらんの集い」☆枚方市駅前再整備は凍結☆市議会を変える高松まさ子

憲法審査会に注目を

2013-04-20 21:37:41 | 日本国憲法を考える
 今日は、交野市憲法と暮らしを考える会に参加した。講師は山本健治さん。山本さんは、大阪府守口市出身のフリーライターであり、元高槻市及び大阪府議会議員。テレビ出演もされていた。
 1時間ほどの講演の中でとりわけ自民党憲法草案に書かれている①天皇を元首に ②基本的人権の制限、義務強化を中心に話された。
 現在週1回で開催されている憲法審査会で話されていることを具体的に例を出しながら話された。今、2007年に国民投票法が制定されたのを受け、憲法の「改正」草案内容が話されている。委員の発言から、天皇の元首化は、天皇を神聖化し立憲君主制になるとも取れる内容があり、天皇の祭祀を国として認め、結果的に思想信条の自由、宗教の自由を大幅に規制方向性も出されている。
 基本的人権も国が大幅に規制できる内容になっている。国民が国家権力を規制していた憲法が国民を規制する憲法に変えられようとしている。
 知れば知るほど恐ろしい内容が憲法審査会で語られている。
 今、経済界は軍需産業への移行が強まっている。「戦争ができる国」ではなく「戦争をする国」へと舵を切ろうとしている。現憲法を否定する現実が進行している。そして、それにあわせて憲法が変えられようとしていることを見抜かなければならない。憲法審査会を注視してその内容を周囲の方に広めながら、憲法を変えさせない動きをつくる必要性を痛感した。 

福島の子どもたちの 春の保養のとりくみ 「やんちゃっ子ひらかた」のひとコマです

2013-04-19 08:58:04 | 保養の取り組みやんちゃっ子枚方
福島の子ども達の保養の取り組みが今春「楠葉のホームステイ」を中心に展開された。
「平和がいちばん」4月号へのやんちゃっ子スタッフからの投稿を多くの方に読んでいただきたい。保養の取り組みを継続する大切さを改めて感じている。福島の状況は、そこで生活する人々が、放射能への不安を日常的に口にだせない状況が強まっているから。
 以下、投稿・・・

 昨年の夏につづき、今春も福島の子どもたちが枚方に来てくれました。昨夏に出合った子ども達も含め12名の参加です。今回は、中学生の女の子3名も参加しました。5泊6日という短い期間ですが、スケジュールはぎっしり詰まっています。その盛りだくさんのスケジュールの中からひとコマ紹介します。

 子ども達には1日は丸々フリータイムが良いのではと考えていたのですが、希望は「大阪市内」へ行きたいとのこと。そうだ、せっかく遠くの西日本に来るのだから実現させたいと準備を開始しました。

 それが、私が主に参加した「大阪サックリ観光」です。大阪のカラーの濃い、通天閣→道頓堀→心斎橋→梅田ちょっぴりコースです。
 私は、ミナミの地理にはうとく心配だったので下見に行きコースの確認をしてきました。その時実感したのは、人の多いこと! しかも、当日は春休みなので更に多い! そうなると一番の気がかりは、迷子です。なんせ、小学2年生、4年生のやんちゃ盛りの男の子が多いのですから。あわてて当日用の名札を準備したりしました。
 
 さて、本番の4月1日は春らしい日和でした。私達は、それぞれの子ども達の担当を決め、雑踏の中で目をこらして、ひたすらに子ども達の姿を追い、人ごみの中を歩きました。京阪電車の中で、ビルのすき間から時々見える大阪城に「見えた!」と興奮する子ども達。じゃんじゃん横丁の串カツ屋さんでは、ソースの二度漬け禁止も経験しました。
吉本興業のなんばグランド花月前では、芸人さんのかぶりものをした人達にイタヅラをしてよく遊んでもらいました。新人の落語家さんは、福島から来たことを知ると子ども達全員にバッチを配ってくれました。「僕もテレビに出られるようにがんばるから、君らもがんばってや!」と言ってくれました。そして、一緒に記念撮影。道頓堀では、念願の本場のアツアツのジャンボタコ焼きをほおばりました。その後は4人の子ども達がアメリカ村に、それ以外は梅田の“JUMP SHOP”へ。
 樟葉駅に着いた時は、疲れ果てていましたが、子ども達には楽しい思い出になってくれただろうと思います。









 戦争を憎み 平和を希求する心 人一倍

2013-04-18 12:07:07 | 月刊『平和がいちばん』
 「平和がいちばん」4月号2面「わわわのわ」は、長尾在住の西谷美代子さんに登場いただいた。憲法を変える動きが加速している。しかし、現在の憲法は、第2次世界大戦やそれに到るまでの中国大陸への日本の侵略への反省が根底にあること忘れてはいけない。 以下、「わわわのわ」から転載

  中国大陸での強烈な戦争体験.....戦後の辛酸をなめた経験

西谷美代子さんは1936年、現在の中華人民共和国の天津市の租界(注)内で誕生した。天津市は1937年から45年まで日本軍により占領・統治され、租界には神社・病院・仏閣があり、日本人街がつくられていた。中国大陸にはまず軍隊が侵攻し、中国の安い労働力を求めて企業が続き、そして家族を呼ぶという、まさに列強国が大陸の土地の陣取りをしていた。そして、第二次世界大戦へ突き進んだのだが・・・

 西谷さんは、地平線の見える郊外の社宅から租界の中の小学校に軍隊のトラックで通ったという。近くの飛行場では大戦末期には特攻機となったゼロ戦も見かけた。家には兵隊がよく訪ねてきて、母親が世話をしていたのを覚えている。父親は味の素本舗(株)鈴木商店で働いていた。父親は京都出身、生まれつき体が弱く中国は空気が良いだろうと天津にきたが、敗戦の1年半前に現地徴集され中国の奥地へ。再会は敗戦2年後、結核を患いボロボロになって京都に帰ってきた時だった

 租界での衝撃的な場面を西谷さんは覚えている。日本軍兵士が中国人の物売りに対し、殴る蹴るの暴行をしていたのだ。そして日本人の一般市民も中国人に横暴だったと聞いていた。日本人家族も年1回、家族全員が軍部(憲兵)に出頭させられていた。
 
 敗戦後、人々の帰国がはじまった。家事を手伝っていた李さんの案内で屋根の無いぎゅうぎゅう詰めの貨車にのせられ、天津市東部の大沽港に到着した。その後2か月間、港でテント生活をしながら船の順番を待った。多くの死体がころがっていた。母親と9歳違いの妹とおじ(帰国後すぐに死亡)の4人で、兵隊と一緒に米艦船に乗り佐世保に到着した。すでに敗戦後2年経っていた。西谷さんは、帰国船から日本の島が見えた時に男達が号泣していた姿が忘れられないと振り返る。

 帰国後、すぐに父の友人の世話で間借り生活が始まり、母親は孤児院(養護施設)の寮母になった。自分も子ども達の世話を手伝った。父親は、帰国後すぐに博愛会病院の隔離病棟にはいったが、月1回母親に連れられ面会に行く時の寒さを覚えている。辛い時だった。父親は、母親に対し「戦争のことは聞くな。敵よりも日本軍が怖かった」と語っていた。父親は朗らかな人だったが、戦争が物言わぬ人に変えていた。京都での母の辛い生活を見てきた。「戦争さえなければ」との思いが常にあった。

「私にふるさとはない」と西谷さんは語る。しかし枚方で子育てをした後、夫の病気療養のため長女の住む小田原で8年間暮らしたが、「枚方は子どもを夫婦で育てた場所。そして、友人がいる」と6年前に枚方に戻ってきた。
 「個人が大切にされないのは平和とはいえない。キャリアや肩書きを背負って生きていかなくて良い」との思いで、今は『一人暮らしの会』に入り、日帰旅行や月1回の食事会を大切にしている。最近友人の一人が亡くなった。彼女は治療のための管を一杯つけながらも「こんなことしていたら進歩があれへん」と自分の次の一歩を最期まで求め続けていた。その友人の生き様を心に深く刻み、日々と人との触れ合いを慈しみながら生きている。
         (取材・文 おおた幸世)
(注)租界:清国(現中国)にあった自治権や治外法権をもつ外国人居留地。アヘン戦争後の不平等条約により中国大陸各地に設けられた。

憲法を簡単に変えられるようにすることに反対です

2013-04-16 23:46:55 | 月刊『平和がいちばん』
 「平和がいちばん」4月号は、焦点化されている憲法問題。今、少しでも多くの方と自由に、活発に、憲法問題を話し合いたいと思う。自民党の憲法改正案は知れば知るほど、歴史に逆行していくと思うから。先輩達の戦争等の大きな犠牲の下に築いてきた「人権」「平和」等の血と涙の蓄積を根底から奪う内容だからだ。

 ・・・・・以下 平和がいちばん 1面より・・・・
 今夏7月に参議院選挙が行なわれます。3年に一度、参議院の定数(242)の半数が改選です。その争点の一つが“憲法改悪ストップ”。昨年暮れの総選挙で、有権者のわずか16%(比例区票)が支持しただけで、自民党は衆議院定数480の61%、294議席を占めました。小選挙区制度でつくられた多数議席です。
 自民党は昨年4月に「憲法改正案」を発表、「天皇元首化」や「国防軍創設」などを憲法に盛り込むとしています。同じく改憲をめざす「日本維新の会」は先の党大会で次のような綱領を決めました。「日本を孤立と軽蔑の対象におとしめ、絶対平和という非現実的な共同幻想を押し付けた元凶である占領憲法を大幅に改正」する。戦後の日本を全て否定する独りよがりで誤った憲法観です。この維新と自民は参院で議席の3分の2以上を占め、憲法の改変を進めたいと考えています。

 現憲法は「硬性憲法」と呼ばれ、その変更は普通の法律より厳しい制限があります。国会による改正の発議は各議院で3分の2以上の賛成がなければ国民投票にかけることができません(第96条)。憲法を変えようとする自民や維新はまずこの規定が厳しすぎる、2分の1以上の規定にしてもっと簡単に変更できるようにしようと言っています。

 私たちは憲法の改変の手続きを簡単にすることに反対します。憲法の本来の目的は、国家権力の制限にあります。時の為政者によって恣意的な政治が行われないよう、国家権力が行使できる範囲をしっかりと定めて、市民の自由や権利を確保するのが憲法の使命です。その時々に多数を占める人々にとって都合が良いと思ったことや、特定の人々の短期的な利害によって憲法が書き換えられることを認めないのもまた当然です。わずかな支持だけで多数議席を得た政党と、党内部で意見の一致もない政党があわせて3分の2以上だから「この期に改憲を」では、私たちの幸福追求も平和維持も保障されません。

原発、軍事基地、増税など生活と平和を脅かすものを見据える参議院選挙にしましょう。


福島からの子供たちは、元気に一杯に過ごしました

2013-04-01 06:38:39 | 保養の取り組みやんちゃっ子枚方
 
 楠葉の中央公園の桜を楽しんだ子供たち
 30日に福島から子供12人 大人2人が到着。楠葉での5泊のホームステイをし、昨日、福島に戻りました。昨夏の保養キャンプに参加した子供たちが大半ですが、この7か月間の成長を感じさせてくれました。今回は、中学生5人と小学生6人、年中1人という集団でしたが、近くの小学校の校庭でサッカーをした時は、男の子達の連携プレイがすばらしいものでした。
 福島の現状はまだまだ厳しいものがあります。福島第1原発の事故は収束せず、いまだに放射能の放出は続いています。こられた方の話によると、2階に干していたタオルからもセシウムが検出されたということです。
 また、除染作業は、当初から言われていたように除染しても放射能線量はすぐに戻るなど成功例はほとんどないという事です。請け負った大手ゼネコンだけが儲かっているのです。聞けば聞くほど、福島県の帰還を奨励し、移住を非難する姿勢には、大きな疑問がわきます。保養の取り組みを、国や県が積極的に取り組まない中、私達が継続しなければならないと再認識しました。