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フクシマのお母さんから便りが届きました・・・震災から10年というけれど・・・やんちゃっ子ひらかた 

2021-03-14 08:34:27 | 保養の取り組みやんちゃっ子枚方
私も関わる保養の取組「やんちゃっ子ひらかた」の通信ができました。東日本大震災から10年。身の周りにいろいろなことがあった。福島の方々は、それ以上に大変な日々を過ごされていると思う。この間、枚方での保養の取組は、コロナ禍なども重なり、おやすみ状態だ。しかし、関わったものは、心の中で気になっている。
おたよりは・・・

震災から10年というけれど
いつも「やんちゃっ子」へのご支援ご協力ありがとうございます。
昨年は、1月から続くコロナの感染のため“やんちゃっ子“では恒例の2月のチャリティコンサートを中止、春・夏の保養合宿も見送り、と活動停止の状態が1年続きました。活動再開の見通しが立たない中、今年2月半ばに福島で震度6の地震があり「福島市で断水」というニュースに、取りあえず飲料水を送りました。幸い“やんちゃっ子”のメンバーの居住地域で断水はなかったそうで、次のようなメールにほっと胸をなでおろしました。「こちらは大丈夫です。食器棚とか少し散らかったけど大きな被害はなく、みんな元気にしています。私自身は案外冷静で、忘れかけていたことを思い出させてくれたこの環境に感謝しています」

(裏面に福島の保護者からのお手紙)

原発事故から10年が経ちました。この事故のために避難を余儀なくされた人、避難したくてもできずに見えない放射能の影響を心配しながら住み続けている人、家族を失った人、家や田畑を失った人、ふるさとを奪われた人、仕事を奪われた人、甲状腺がんや後遺症に苦しむ人、「原発さえなければ」と命を絶った人・・・ 私たちには測り知れない深い悲しみや苦しみが今なお続いていることでしょう。コロナ禍の今、私たちに何ができるのだろうか?と問い直すこの頃です。
 昨年春の「やんちゃつ子」たち

           福島の保護者からのお手紙

東日本大震災から10年を迎えようとした1ヶ月前、震度6の揺れがまた福島を襲いました。正直そんなに怖くありませんでした。なぜでしょうか。多くの人が、あの時を、思いだし、忘れていた自分を戒めました。でも、怖くはなかったのです。あの時とは、揺れの質が全然違ったからというのと、私たちはあの時に一度死んでいるからなんだと理解しました。
あの時に、生かされて、心を奮い立たせて生きてきた。震災後、良い意味での潔さを、私にというより色々な方々や環境に感じてきたから。
でも、テレビか流れる津波や、原発の現場で働いていた方々の映像は心がえぐられ、なぜ、と自分自身に何百回も繰り返し問いただしてしまいます。何も私はできなかったことに。

 地震に限らず、外からの様々な刺激を受けて、私たちの心は揺り動かされ続けています。その度に泣いたり、笑ったり、怒ったり、悲しんだり。きっとそれによって成長するんだと思います。でも、その降り幅が大きすぎると心が疲弊してしまう。私は、何もないときこそ、そこにいることを感謝し、手を合わせることで心が強くなったと思っています。以前、ボーイスカウトで活動していたときの言葉を思い出しました。 
備えよ、常に             2021年3月7日 S・E


福島原発東京訴訟 少年の訴え・・・東京地方裁判所

2017-11-30 08:38:06 | 保養の取り組みやんちゃっ子枚方
 福島原発事故から6年と9ヶ月 政府は 東電は 責任を取らず、被害にあった市民はないがしろにされ続けている。悲しい現実。少しも解決していない。私は、東京裁判で語った少年の思いを、胸に刻みたい。ささやかな取り組みだけれど、保養の取り組みを続けたい。
・・・ 

         事故当時8歳だった少年は、今、中学三年生
      福島原発被害者東京訴訟の場で裁判長に語りました・・・・、

 僕は、福島県いわき市で生まれ、両親と、5歳離れた弟と共に生活していました。
 当時は、春になればテレビで何度も紹介されるくらい桜並木の有名な「夜の森公園」でお花見をし、夏は潮干狩りに行き、秋はきのこ狩りをして、冬は雪だるまを作る。公園や学校の帰りの通学路でツクシをたくさん採って帰って、お母さんに作ってもらうツクシの佃煮が好きでした。家も庭も広く、ブルーベリーやしいたけ、プチトマト等は庭で収穫できました。学校では友達と昆虫を見つけたり、泥団子を作ったりして遊んでいました。 

 しかし、2011年3月11日を境に、このような生活は全てなくなってしまいました。夜の森公園は今も帰還困難区域だし、放射能だらけの泥で泥団子は作れません。 しかし、何よりも一番つらかったのが、転校先でのいじめです。
図工の時間に作った作品に悪口を書かれていたり、菌扱いされたりしてきました。そのようなことが続き、できることなら死んでしまいたいといつも思うようになりました。小学校の3年生か4年生のときには、七夕の短冊に「天国に行きたい」と書いたこともありました。
 
 たぶん、避難者についてよく知らされていない人の目には、福島から来た避難者は家が壊れていないのだから何も被害はなかったのに多額の賠償金だけもらって、しかも東京の避難所にただで住んでいる「ずるい人たち」とうつるのでしょう。本当は、東京電力や国が、放射能汚染の恐ろしさや僕たち家族のような区域外避難者にはほとんど賠償金を払っていないことなど、正しい情報をみんなに伝えてくれていれば、こんな勘違いは起きなかったと思います。
実際、中学生になって今までの学校と全く関係のない学校に進学して、ずっと自分が避難者ということを隠していますが、いじめは起きていません。 
 
 原発によって儲かったのは大人、原発を作ったのも大人だし、原発事故を起こした原因も大人。しかし、学校でいじめられるのも、「将来病気になるかも…」と不安に思いながら生きるのも、家族が離れ離れになるのも僕たち子どもです。
 原発事故が起きてしまった今、本当は誰も安全なんて言えないはずだし、実際、誰も僕に「君は病気にならないよ」とは言ってくれません。なのに、東京電力や国の大人たちは「あなたの地域はもう大丈夫ですので安心してください」と言って、危険があるところへ戻らせています。でも、僕たちが大人になって病気になるかもしれない頃には、僕たちを無理やり危険な場所へ戻らせた大人たちは死んでしまっていて、もういない。そんなのひどくないですか?

 僕たちはこれから、大人の出した汚染物質とともに、生きることになるのです。その責任を取らずに先に死んでしまうなんて、あまりに無責任だと僕は思います。せめて生きているうちに、自分たちが行ったこと、自分たちが儲けて汚したものの責任をきちんと取っていって欲しいです。

 そして今は、「(放射能)汚染した場所に戻りたくない」と思っている僕たちを無理やり(放射能)汚染している場所に戻らせることは絶対にやめて欲しいです。
 僕、父、母と弟はもちろん、避難者はみんな原発事故が起きてから、生活、人生も変えさせられてしまいました。誰も望んだことではありません。避難者は、みんな同じです。東京電力と国には責任をとってもらいたいと思います。裁判所は、僕たち子どもたち、そして、全ての避難者の声に耳を傾けてください。

                                      (2017年10月25日@東京地方裁判所103号法廷)

福島の保護者のからの手紙 保養の取り組み「やんちゃっ子inひらかた」

2017-09-06 08:54:18 | 保養の取り組みやんちゃっ子枚方
 この7月福島から子どもたちを招く「やんちゃっ子」が、11回目になった。事故から6年。帰還政策がすすめられているが実態はほとんど伝わらない。やんちゃっ子に参加したお母さんから手紙が届きました。

 福 島 か ら

やんちゃ子では、大変お世話になりました。
私は、三回目の参加になります。今回も、沢山の方のサポートのもと、楽しく過ごす事ができました。ありがとうございました。

今回は、慣れてきたのもありますが、今まで以上に、リラックスできました。
前までの回では、自分たちの事だけで、いっぱいっぱいだったのが、今回は、子供たちや周りの方とざっくばらんにお話しが出来たのが、とても嬉しかったです。
Hの誕生日会もしてくださり、ありがとうございました。6才になったという事は、原発事故から6年がたった、という事になります。早いですね。子供の甲状腺ガンは、発表では190人ですが、五年間の福島県の甲状腺ガンの手術件数は1082件みたいです。じわり、じわり、しのびよる不安。それを、こうやって保養に来させていただいて、解消出来ている事に、心から感謝します。
原発事故があって、でも、こうやってご縁が繋がって、出会えた事に感謝です。

日本全体が経済優先になっていて、今、ニュースでも政治がおかしくなっているように感じます。自分を、しっかり持っていないと、流されてしまいそうで怖くなります。
こうして、サポートを受けて、日本人としての大事な心を教えてもらいました。そして、健康もいただいています。体と心がすごく軽くなります。

震災から6年で、福島では立ち上がろうとしています。しかし、その影に隠れてしまっている、不安や真実。この交流が、子供たちの生きる力となる事でしょう。
夏の疲れが出やすい頃です。どうか、お体にご留意下さい。( T )

原発再稼動の資格は、日本政府にはありません。健康被害に対する責任を取ることが必要。

2015-08-04 14:29:16 | 保養の取り組みやんちゃっ子枚方
暑い日々が続いている。7回目の福島の子どもたちを枚方に迎える「やんちゃっ子枚方」を8月6日~11日の5泊6日で行なう。カトリック枚方教会のご協力を得て、準備もほぼ完了。この暑さの中でも子ども達が、おもいつきり遊んでくれるのか?十分な水分を準備しようと思う。
 
 福島事故による健康被害が広まる中、九州電力川内(せんだい)原発1、2号機(鹿児島県)の再稼働の動きが進められいる。鹿児島県内では三3以降、原発から約170k離れた屋久島町議会など六市町議会が九電に説明会を求めている。鹿児島県内だけではない。宮崎、熊本両県でも、4市町議会が九電に公開の説明会を求める決議などの形で意志を表明している。
 原発から78k東の宮崎県高原(たかはる)町議会は「事故時に原発の風下になれば、町は壊滅的被害を受ける。まさに『被害地元』そのもの」と主張し、鹿児島県出水(いずみ)市から避難住民を受け入れる計画の熊本県水俣市議会が「(福島では)いまだ12万人が故郷を奪われたままなのに、原因の究明は中途半端。市民が不安なまま再稼働に踏み切るのは無責任だ」と安易な再稼働を批判し、共に説明会を求める決議をした。

 原発まで103kほど離れた熊本県荒尾市と大津(おおづ)町の議会はいずれも、福島の事故当時、政府が250k圏まで避難が必要になる最悪のケースを想定していたことを指摘。「川内原発にあてはめれば九州全域がすっぽり入り、全県が避難の対象になる。説明会は当然」などと訴えている。
 しかし、九電は、公やけの説明会は開催しないという傲慢な無責任な姿勢を変えていない。怒りがわく。


 
 
 
 

福島からの避難者の住宅保障が打ち切られる!!大変な事態です。

2015-05-22 13:54:56 | 保養の取り組みやんちゃっ子枚方
 
楠葉生涯学習市民センターの「5月祭」の展示 教科書問題を取り上げました

 5月17日の朝日新聞で、原発事故の区域外避難者に対する避難用住宅(災害救助法上の応急仮設住宅)の無償提供を2017年3月で打ち切るという報道がありました。この動きに対して、大きな反対のうねりが起こっています。私は、基本的人権にかかわるとんでもないことだと思います。メールで、避難されている方の手紙がメールが流れてきました。多くの方に読んでいただきたい。


 突然のお手紙失礼致します。
2012年12月より、福島県福島市から○○市の被災者受け入れ住宅に入居させていただいております○○と申します。
井戸知事にお願いをしたく、不躾ではありますが、筆をとらせて頂きます。

東京電力福島第一発電所の爆発事故により、多くの犠牲が生まれ、沢山の人が避難決めました。
私自身、原発事故が起きるまで多くの日本人がそうであったように、放射能の危険性について全く知識を持っていませんでした。
しかし繰り返し流されるテレビからの映像、インターネットで調べる情報から、とんでもない事が起こっている、という認識を持ち始めました。
しかし現在でも続いている事ですが、今の状態を危険だという人もいれば、安全だという人もいます。
事故直後はなおさら、混乱していました。
私は福島に住み続けながら、出来る限りの放射能防護をし、生活をしていました。
息子は毎日マスクをし、どんなに暑い日でも長袖長ズボンで登校しました。
一日の外遊びが10分までと決められながら、娘は幼稚園に通いました。
大好きな泥遊びや、草や花を摘むことも禁止されました。
おかしいおかしいと感じながらも、避難をするあてもなく、勇気もなく、毎日不安に思いながら生活していました。
震災から4か月後の夏休み、兵庫県で行われていた保養のキャンプに親子で参加しました。
そこでは原発事故前までは当たり前に出来ていた外遊びを子供たちがしている姿を見ただけで、涙が出るくらい嬉しかったのを覚えています。
そうだ、これが当たり前の日常だったと、福島の中で生活していては気づかない日常でした。
知らず知らずのうちに沢山の我慢を強いらされている現実に打ちのめされてしまいました。
住み続けていて問題がないと言われながら、制限されながらの生活に初めて疑問を持ちました。
それまでは国や自治体が私たちの生活を守ってくれると過信していましたが、子供を守れるのは親しかいないのではないか、と考えるようになりました。
それから真剣に避難して生活していく選択肢を考え始めました。
お金の問題や、家族の理解、子供たちの学校の問題、など解決しなければいけない事は山のようにありました。
2011年当時、日本中の地方自治体が受け入れ表明をしてくれていましたが、兵庫県の受け入れ態勢は目を引くものがありました。

①私が避難してきた2012年の12月時点、多くの自治体が受け入れを終了しているなか、継続していたのは、兵庫県を含め3つほどしかありませんでした。
②国からの家賃補償は6万円までなのに、差額を避難者負担にしていませんでした。
③入居物件には、希望すればエアコン、ガスコンロ、照明器具を貸与してくれました。

以上、他県に避難した人達から聞いた限り兵庫県独自の判断でやってくれている施策なのだと分かりました。
被災県ならではの心遣いに感激し、縁もゆかりもない兵庫県に避難を決めました。
入居当初から住宅延長は最大3年という約束でした。私の場合2015年の12月まで、ということになっています。
当時は3年も経てば原発事故も収束を迎えて、安心して福島に戻れるだろうと信じていました。
しかし、どうでしょう?
お世辞にも原発問題が収束したといえるでしょうか?
汚染水が海に流され、毎日放射性物質が大量に大気に放出されています。
自分や子どもに置き換えた時、福島県に住み続けらる選択ができますか?
阪神大震災との大きな違いは、目に見えない被害があるということです。
東日本大震災から4年の歳月が流れ、目に見える被害は、めざましい復興をとげました。
しかし放射能汚染を懸念し避難を決めた私達にとっては、ますます状況が悪化しているとしか思えないのです。
どうか、兵庫県下に避難している一人一人の声を拾ってください。
報道される復興の情報とは全く異なる部分が見えてくると思います。
私と私の娘にも、甲状腺に異常が見つかっています。
このような状況で福島に戻って下さいと言われても、とても受け入れられません。
しかしながら、私達はお世話になっている兵庫県に迷惑をかけたいわけではないのです。
受け入れ当初そうであったように、誰にも分からない放射能汚染の将来の懸念を持っている人は逃げてもいいんだと、自分達を受け入れてくれた所があったことに、私達は本当に心も体も救われ、感謝しました。
是非今後も継続して、私達に寄り添い、声に耳を傾けてほしいのです。
これから先、国や福島県が、私達避難者に対してどのような措置をしてくるのか分かりません。
どのような決定がでても、最後まで後悔のない選択をしたいのです。
兵庫県が私達に寄り添っていただけたら、どんな結果が出ようと感謝の念に絶えません。
願わくば被災県の経験を生かし、独自の判断で住宅補償を継続していただけたらと思います。

長々と失礼致しました。 今後とも何卒よろしくお願い致します。  
                               以上です