平和で豊かな枚方を市民みんなでつくる会共同代表 大田幸世 平和が一番 市民の広場「ひこばえ」

枚方市を住みよいまちに☆原発NO!☆福祉・介護「すずらんの集い」☆枚方市駅前再整備は凍結☆市議会を変える高松まさ子

暑い日が続きます。「平和がいちばん」少しでも多くに人に読んでほしい。街頭での配布を続けています。

2010-08-27 11:49:18 | 政治 平和活動
 暑い日が続きます。楠葉駅前での恒例の普天間基地即時閉鎖・新基地建設反対の署名の取り組みを続けている。人通りは多いとはいえないが、1時間で一人あたり二桁の署名はすぐ集まる。本土の新聞にはほとんど沖縄の基地の記事はのらなくなった。この秋9月12日名護市議会選挙、11月には沖縄県知事選挙がある。政府は官房機密費(私たちの税金)で、基地容認の議員をつくろうと画策しているという。米軍と自衛隊の共同訓練も強化されようとしている。黙っていることはできない。

 「枚方市広報」に自衛隊の勧誘の広告が、なんら問題も感じられないで掲載されている。自衛隊は単なる就職先でないことは、アメリカのイラクからの帰還兵の証言でも明らかになっている。貧困の中で就職先がなく軍隊に入った多くの若者が人殺しの訓練を受けイラクに派兵さている。そして、イラクの人々に銃を向ける中で、民主主義のためと言う戦争の大義名分がいかに「嘘」なのかに気付いていく。戦場で人間性が破壊されていくことが、帰還兵の証言で明らかになっている。黙っていると、このような状況に日本は近い未来なるのではないかといく危惧がわいてくる。基地強化は、今まで以上に多くの軍人を必要とする。広報に自衛隊の勧誘を掲載するのは、市民の若者の為にならないと声をだしたい。新基地建設は、私たちの問題なのだ。

 「基地をつくらせない」という沖縄のゆるぎない民意は、5・28の日米共同声明の「新基地の位置と工法を8月末までに決定する」という日米合意を「移設先を複数案提示」に修正させている。私たちのできることは何かと考えた時、沖縄県議会のように「5・28の日米合意を撤回させる」決議を枚方市議会であげるような動きが必要なのではと考えてはじめtいる。

明日は、95歳の義母を囲む集まりをもちます

2010-08-21 22:02:57 | 政治 平和活動
 義母は、95歳。昨秋、実娘(夫の姉)の元に引越した。年2回、義母の子ども4人の家族が集まる。広島や東京からも参加する。初めてから何年目かは数えていないが、20年近い。義父がなくなり27年ほどになる。一人住まい、同居、一人住まいを繰り返し、現在の場所が終の住処になると思う。広い庭に、独立して暮らせる別棟であり理想的な場所といえる。私にとり、何よりも可能な限り「集う」ことが、いちばんの「親孝行」だと考えている。健康だから、このような集まりがもてる。いつまでも続いてほしい。
 高齢者の行方不明問題が、続いている。役所の仕事の「あいまいさ」はさておき、自分の親の居場所がわからないという場合は、その家族のなんともいえない現実の重さを感じてしまう。どこの家族も「ホームドラマ」のようにはいかないのだから。人間の尊厳の問題を、個別責任のみとしないで社会的に解決することが求められている。

平和がいちばん」8月号

2010-08-12 20:34:17 | 政治 平和活動
 暑い日が続いている。新聞記事を見ると電気代が払えずクーラーを使用できない高齢者が、熱中症でなくなったいう。このように命が失われる貧困の深刻さは、人事ではない。
 「平和がいちばん」の作業は、暑い中集まりみんなの協力でスムーズに進んだ。

「ひこばえ」での取り組みを書いた私の記事を是非読んでいただきたい。

 厳しい日差しの7月中旬、市民の広場「ひこばえ」で、はじめて「ひこばえまつり」が開催された。小学生から80歳までの年代が集い新しい出会いがあった3日間だった。そして想像を越える不安定な雇用形態での働かされ方が「あたりまえ」になり、派遣切りが横行している現状に向き合う場と
なった。
当日は、恒例の個性的な着物の古布のリメークや手びねりの陶器、手芸小物、ジュゴングッツ、折り紙などの作品展示と販売に加え、新たにポロロッカカフェが参加した。ポロロッカカフェは、「歌おう、食べよう、語り合おう」と、若者を中心に雇用状況がますます厳しくなる中、少しでも支え合いたいと呼びかけられた。今年2月に枚方で市民劇団「月桃の花歌舞団」のミュージカル「ワーキングプア希望宣言ポロロッカ~僕たちは生きている」が開催されたが、その時の枚方の出演者が中心になっている。
2日目のポロロッカカフェの時、「フェアコープ」の商品も展示販売されていた。フェアコープは、人や環境にやさしい商品を扱うだけでなく、派遣切りされた者の仕事作りをめざしている。その店長の自己紹介で派遣きりの話しが出た。すると小学生が「派遣ってなに」と質問した。「働いて給料をもらい生活していく。そのことが保障されない働かされ方」と自らも派遣切りされた経験をもつ店長は答えた。「いやや」と子ども達の反応。「だからこそ、派遣切りされた人の仕事をつくりたいと考え店長を引き受けた」と強く語られた。
私たちの子ども世代は、身近でも非正規職員、派遣職員が増えている。ある集会で司会をしていた若者が「明日からアルバイトが決まりました」と嬉しそうに報告していた。仕事がないのだ。朝起きたら行くところがないのだ。今春の大学卒業者の16%は、仕事についていないという(8/5毎日新聞)失業率は5,3%(6月)稼げない、自立した生活をつくれない、社会参加ができない。そんな悲鳴が聞こえてくる。既に個人の責任の範囲を超えている。社会システムの問題だ。
市民の広場「ひこばえ」は、気軽に立ち寄れる場所から、立ち寄ったもの同士が親しくなり、互いに支えあう場所になっている。

横須賀の呉東さん・・・基地問題はまわりに住んでいる人達だけの問題ではない

2010-08-09 21:35:50 | 政治 平和活動
子どもの虐待、高齢者の居所不明問題は、私にじわっとした衝撃を与えている。この問題をどのように考えるかは様々だろうけれど、子ども、高齢者の枠を超えすべての世代にあるのではないかと考えると、恐ろしくなる。家庭破壊、地域社会の破壊、貧困、孤立・・・。誕生を喜び、死を悼む。この人間の尊厳が脅かされている。個別対策が急がれる。
 さて、7月31日のシンポジウムのパネラーの一人横須賀の呉東さんだった。米軍再編と原子力空母ジョージ・ワシントン母港化反対の2度の住民投票直接請求をされた呉東さんは「自治体の力、住民の力が大事」と訴えられた。
 原子力空母は原子炉を2基搭載している。陸上の原子炉より事故の要因は多いという。三浦半島の活断層を震源とする直下型地震がおきれば、死の灰が首都圏一帯に影響する。日本政府の法律が及ばない原子力空母の危険性がよくわかる。配備が問題となった時、原子力空母を配備するには横須賀湾を現状より2M深くする必要があった。その浚渫工事の許可権限は横須賀市長が持っていたが、当時の蒲谷市長は、各方面からの圧力に屈して原子力空母配備を容認した。その後2度にわたり市民は「原子力空母の是非を問う住民投票」を実施した。2度の署名数は、大きく法定数を越えたが、市長の「原子力空母の問題は、住民投票になじまないとの反対の意見書」を市議会は、同調している。
 しかし、2度目の住民投票時は、署名の重みを真摯に受け止めた市議会は「国に対し安全の強化を求める意見書」を採択するなど、徐々に変化が出てきた。そして、直近の市長選では、原子力空母配備容認の市長は落選している。
 粘り強く運動を継続されている呉東さんの「自治体の力、住民の力が大事」の言葉は、説得力があった。

  

ペシャワール会のDVD「アフガンに命の水を」を見ました。

2010-08-08 21:56:30 | 政治 平和活動
 本当に暑い日が続いている。まだ、しばらくこのような暑さが続くと思うと、体力をつけなければとつくづく思う。家から出るのが、おっくうになるから。
 さて、もう10日ほど前になるが、市民の広場「ひこばえ」でペシャワール会の26年にわたるアフガニスタンでの取り組みのドキュメントを見た。映画は主にアフガン東部・ニングラハル州の荒れ果てていた大地が、着工6年たち緑豊な麦畑に変わろうとしている姿を映し出していた。荒れ野を麦畑に変えた一本の用水路は、数十人の日本人と延べ60万人のアフガン農民たちによりつくられた。中心的な役割を果たしたのは日本人医師中村哲さんだ。一部通水を始めた水で緑も甦り始めた。しかし、映像は、米軍と地元武装勢力の衝突は激しさを増し、武装した米兵が乗ったジープが用水路の工事現場の横を走り、空は米軍機が低空飛行している現状を映しだしている。未だ国際社会は“テロとの戦い”と、軍隊の増派も進められている。そんな中、中村医師の言葉「ここで起きていることは政治の問題ではなく“パンと水の問題”だ。アフガンに必要なのは農業ができる環境であって、軍隊ではない」は説得力を持っている。
 ぺシャワーク会のアフガタンの人の力を信じ共に創り出している町づくりこそが平和につながるのだと、この26年の取り組みの「すごさ」をあらためて知った。多くの方に見ていただきたい映像だ。