11月21日 くずは生涯学習市民センターでで平和・介護のパネル展示をしました。交流が深まりました。
友人の高松昌子さんは、「岩国・広島のフィールドワーク(主催:ZENKO(平和と民主主義をめざす全国交歓会)広島」に参加した。その感想を読むと戦後は終わっていないと思われてくる。また、76年前のことだから当然だと言えば当然なのです。
その感想は・・・。「平和がいちばん」の投稿から
極東最大の岩国軍事基地
愛宕山を切り崩して埋め立てた巨大な基地に、2日前に初めて寄港した、米海軍の大型艦船ミゲルキースが横付けしていた。切り崩して開拓した米軍用地には、格安で使用できるスポーツ施設が市民に開放されている。60億かけた絆スタジアムで、少年野球チームが試合をやっていた。「こうして育った子は基地反対と言わないだろう」そんな話がでた。中学まで医療費無料、給食費無料、文句が言えないような懐柔策がとられている。
ヒロシマと朝鮮人強制連行
広島に移動して、正木峯夫さん(広島の強制連行を調査する会)から、元徴用工の遺骨返還をめぐる問題と朝鮮人強制労働の実態の講演を聴いた。
広島では戦前、2800人以上の三菱重工徴用工がいた。帰国途中おそらく枕崎台風に遭遇、沈没し消息は長崎県壱岐島へとたどり着き、正木さんたちは現地で遺骨発掘をした。遺骨送還をめぐっては複雑な問題を抱えて遺骨は今も壱岐のお寺にある。三菱徴用工の遺骨問題にある根本的問題は日本人の歴史に対する不誠実だと言われた。
日本の植民地下での差別と弾圧。強制連行・強制労働で多くの朝鮮人が亡くなった。「朝鮮人の生活すべて支配と差別で貫徹する労働が強制労働だった。日本は強制という言葉を嫌うが、実態として強制。遺骨を発掘して返すことで済まされることではない」と正木さんは言う。人が一人死んだことの重み、責任を明らかにしない偽善者への怒りが遺骨問題にあると思った。戦後補償の問題はそういうことなのだと思う。
歴史に背を向けてはいけない
フィールドワークの最後は、「解体・保存」が問題になった現存する唯一の被爆軍地施設「旧陸軍被服支廠」へ。被ばくの実相を伝えるだけでない、日本が侵略戦争へ突き進む中「軍都」として位置付けられた廣島の果たした役割、その歴史がこの建物と残る。
広島は人類史上初の、原子爆弾の投下で、大量破壊、大量殺りくが瞬時に無差別に引き起こされた。しかしそれだけではない、加害の歴史があった。「従軍慰安婦」「強制連行」の文言が歴史教科書から消されるなど日本政府の歴史修正の動きが顕著である中で、あらためてアジアの人々と歴史認識を共有して戦争のない社会、平和を築いていかねばと思う。