ウィトラのつぶやき

コンサルタントのウィトラが日頃感じたことを書いていきます

ジェームズ・ダイソンのイギリス改革

2011-07-21 07:29:44 | 経済

日経ビジネスの「旗手たちのアリア」というコーナーにサイクロン掃除機で有名なダイソンの創業者、ジェームズ・ダイソンの話が出ている。内容は彼がどのようにして現在のダイソンという会社を作るに至ったかという話だが、妙味深いので紹介しよう。

元々ジェームズはイギリスの王立芸術大学院に進学し、家具のデザイナーを目指していた。しかし、そこでトニー・ハントという講師に構造エンジニアリングの授業を受けて技術者の道に目覚め技術分野に進むことになる。芸術大学で工学に目覚めるところが面白い。色々曲折はあったが日本市場向けにサイクロン掃除機を投入しそれが本国でも大ヒットして現在の地位を築くに至る。ダイソンという会社も日本だと有名な中小企業で留まるのだろうが、現在は5億円も大学に寄付するような大企業になっている。株式公開していないので売り上げは不明であるが・・

現在では、首相のデビッド・キャメロンにイギリス経済に対するアドバイスを求められ、イギリスの経済復興のためには物作りが欠かせないと言う趣旨の報告書を送り、不動産や金融に頼っている英国を物作りで復活させようとしている。今年から王立芸術大学院の学長にもなっている。

私にとって興味深いのは「イギリスは物作りで生きるべきである」という彼の主張である。私がつきあった経験からしてもイギリス人は口はうまいが泥臭い仕事を嫌がり、物作りは嫌う人が多い。泥臭いことをいとわずに物作りをするのはドイツ人だ、という印象がある。しかし、ダイソンに言わせるとそれは最近の話で、元々蒸気機関を発明して産業革命を起こしたイギリスには物作りの資質があったという。それが大英帝国の繁栄の中で楽なほうに流れ、世界を俯瞰することで利益を上げるようになった。そしてサッチャーの競争政策で製造業はとどめを打たれ、製造業では研究開発部門くらいしかイギリスには残っていない。

言われてみればそんな気もする。ケンブリッジや、オックスフォードといった名門大学に行くと、ノブレス・オブリージェの精神とともに質実剛健の気風が感じられる。アメリカのほうが地位や名誉を直接的に求める感じがしている。しかし、企業に入ると金もうけ第1主義になるのは政策の影響があるのかもしれない。

ジェームズ・ダイソンは現在は首相にアドバイスするくらいだからかなりの影響力はあるだろう。しかしそれが果たして英国の製造業復活にまで至るかどうかは分からない。しかし、人材育成のために王立芸術大学院の学長になるあたりからして日本とは違うアプローチの感じがする。

芸術大学でデザインを工学と芸術の接点と捉えて積極的に工学を芸術と組み合わせようという姿勢が、新しい産業を生むかもしれないと思う。


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2 コメント

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次世代を育てる事 (世田谷の一隅)
2011-07-21 11:10:03
ジェームスダイソンの話で思い出したのは、自分の経験と知識を、社会貢献に活用しようとするとき、ダイソン氏は、「次世代」を「社会に出ようとする学生」にターゲットを置いたこと。

この辺りはウィトラさんと似ていますね。つまり、自分の現在のポジションを次に引継ぐ人に、引継ぎ書を渡すような指導ではなく、次世代、次々世代になるくらいの人に対象を当て、その世代に自分の経験と知識を語ることで、より根源的な部分からの社会貢献を目指すというのは。

自分の場合は、ここまで未経験な人を育成するよりは、或る程度、経験を積んで、それで壁に当たっているような人にアドバイスをするのが、「効率的」を考え、育成のための情報整理と機会を提供してきたつもりです。

効率だけを求めるわけにはいきませんが、指導を受ける方が「有難い」と感じるのは、どちらでしょうか?
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教育は相手に合わせるべき (ウィトラ)
2011-07-22 09:00:18
世田谷の一隅さん

私は今は大学に身を置く教育者ですが、これまでの人生の大部分は教育を主目的とはしていませんでした。従って、自分の部下になったりして関わりの強い人に対しては「育てる」という意識を持っていましたが、自分の後継者を育成する、というような意識はそれほど持っていませんでした。

どちらかというと、私は大きな組織を動かすよりも、部下は少なく、個人の能力での活動が多かったからだろうと思います。私が意識していたのは一人一人がその能力を発揮できているか、発揮するためにはどういう課題を与えるのが良いか、ということを意識していました。

対象は一般職の女子社員から、課長、部長まで様々です。派遣で来た秘書の人などにも同じような目で接していました。特に一般職の女子社員は能力の割に、業務上の定義から来る与えられる課題が低いような人が多く、意識して高めの仕事をさせるようにしていました。

まだ大学での正式な授業は始まっていませんが、できる限り、個人を見てその人に会った指導をしていきたいと考えています。学生の「個」がまだ固まっていないようだと別のアプローチが必要でしょうね。

できるだけ多くの人に授業をして、その中の一部の光っている人に英才教育を施す、というアプローチも考えられます。これから授業をやってみてその反応で調整していこうと思っています。
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