安倍総理が中国を訪問して、歓迎を受け、「競争から協調へ」と発言して、今後仲良くやっていく方向性を示している。同時「ODAは役目を終えた」と終了を宣言している。この時期に、中国に接近する一方、北朝鮮問題や南シナ海問題でもいうべきことは言っているようで(あまり報じられていないので正確には分からないが)、今回の訪中は意義深いものだと思う。
今回の訪中の意義は米国に対するメッセージの意味合いが大きいと私は思っている。要するに、中国に接近する姿勢を見せることによって、「日本に対して理不尽なことを言うなら中国に接近しますよ」という牽制球を投げているのだと理解している。従って、経済協力は話しても政治的にクリティカルな点に関しては譲らずに平行線を保っている。中国側も同じ思惑で、まだ「日本を米国から引き離す」というレベルにはなく、牽制球程度の意識だと思っている。その際にODAの中止を申し入れたのは適切なタイミングだったと思っている。
今回の安倍総理の訪中は意義深いと思っているのだが、気になる点がある。それは「競争から協調へ」という言葉である。この言葉が今回の訪中の代表用語のように報じられている点が気になっている。私に言わせれば「競争から協調へ」ではなく「協調の精神を持つ競争へ」というのが正しい言い方だと思う。競争はなくなるわけでもなく、減るわけでもない。ただ、競争一辺倒では無い関係にしようということで、これはキリンとアサヒのような企業間の関係でも当然のことである。ビール市場でキリンとアサヒは激しく競争しているが、同時にビール市場を盛り上げようと協調している。それと同じことである。
安倍総理も、このことは当然理解しているはずだと私は思っている。しかし、「競争から協調へ」といえば「競争しないで仲良くしましょう」と聞こえてしまう。競争が社会原則の中心にあると思っていれば、「競争から協調へ」とは言わずに他の言い方を考えるはずだと思っている。その意味で総理自身の意識に若干の問題があるように私は感じている。
以前紹介したターガート・マーフィーの「呪縛の構図」にあった、「日本は政治的にはアメリカの子分」という現状認識はそのとおりだと私も思っている。トランプ大統領という俗悪な大統領が出た現在、その日米関係を変えるチャンスだと思っている。日本がアメリカ離れを実現したとして、どこか別の国と特別仲良くなるのではなく、戦国大名のように「周りは全て敵」という基本認識の上で、出来るだけ摩擦を起こさず、多くの国と仲良くやっていくというのが目指すべき方向になっていくだろう。
トランプ大統領が2期続けるか、1期4年で終わるかは不明だが、トランプ政権が終わってまともな政権に米国が戻ったとしても、日本は以前の日米関係ではなく、中国やヨーロッパとの距離感を計りつつ米国と付き合うという独立性を高めた日米関係を求めていくべきだと思っている。