ウィトラのつぶやき

コンサルタントのウィトラが日頃感じたことを書いていきます

今年1年を振り返って(2)

2010-12-28 08:30:10 | 生活

今日は仕事関係での今年1年を振り返ってみよう。

ウィトラは個人事業として開始したが昨年10月に法人成りして、合同会社ウィトラとした。実質は私一人でやっているので変わっていないのだが、収益を自分個人の収入と、会社の利益とに配分する選択肢ができるのが良いと思ったからである。

法人にすると、法人としての決算と、故人の確定申告との両方の手続きが必要で手間が増える。それでも何とか第1期の決算を終えてわずかながら法人としての利益が出た。おかげで会社の仕組みと言うものが分かってきた感じがする。

実は来年1月からは東京工業大学の特任教授として着任することになっている。特任教授というのは大学以外の場所から給料が出て、籍は大学にある教授のことで普通の教授とは若干位置づけが違っている。旧知の大学教授のかたから「ファンドが付いて講座を開設することになったので来ないか」というお誘いをいただいて、大学に行くことにした。1月からは大学に勤務することになる。

合同会社ウィトラは継続可能だが、大学から給料をもらっている以上、大学以外の肩書で出張するような場合には休暇を取らないといけないということになり、昨日書いた毎月1回標準化会議で出張するような大きな仕事は今年いっぱいで終了することにした。来年からは出張の機会がないと思うと若干さびしい思いもある。出張期間中の会議は、長時間にわたり、時差ボケもあって体力的にきついものだったが、世界のトップクラスの30代、40代の技術者と意見を交わしながら、最先端の技術に触れることは自分にとって大きな刺激になっており、自分の精神的若さを保ってくれていたと思っている。今後の会議の流れは資料などを見て追ってていくつもりだが、現場から離れるので自分の見識の弱体化は避けられないだろう。

今後は大学で20代前半の学生と接することになる。若さを保つ上では更に良いかもしれない。このブログでも書いたことがあるが、私は学生、特に理科系の学生の言語能力の不足を感じている。何とかして学生の言語能力を高めるような活動をしたいと考えている。英語で授業をやろうか、などとも考えている。

大学での生活はまだ始まっていないので現時点では分からないことが多い。来年になってもこのブログは続けていくつもりなのでその中で報告していきたいと思っている。


今年1年を振り返って(1)

2010-12-27 07:26:11 | 生活

いよいよ、年末も押し詰まってきた。我がウィトラは明日28日を今年の最終日としようと思っている。そこで、今日からこの1年を振り返ってみようと思う。今日はこの1年間の旅行について振り返ってみる。

今年もずいぶん海外出張に行った。列記すると

1月: フランスのニース地区。仕事は山の中に入ったSophia Antepolisというところだった。フランスのシリコンバレーと呼ばれる温暖な地域である。最終日にニースの海岸のレストランで生の貝を友人と一緒に食べて、他の人は帰国してから腹痛で大変だったらしいが私は何ともなかったことが印象に残っている。

2月: サンフランシスコ。久しぶりのサンフランシスコ。あまり変わっておらず少し街が古くなった感じがした。潜水艦の中に入ったのが印象的だった

3月: ウィーン。ここもずいぶん久しぶりである。美しい街だったがそれほど印象には強く残っていない。

4月: ダブリン。 アイスランドの火山噴火で足止めを食らったので強烈に覚えている。味のある街で、ギネスのビール工場が印象的である。夜行バスでフェリーニ乗り、ロンドンへ出てからユーロスターでパリへ、そしてパリから帰国、という得難い経験をした。

5月: モントリオール。ここも10年振り以上だろう。それほど思い出には残っていない。

6月: ソウル。韓国は済州島で会合をやることが多いのだがソウルのほうが面白い。私は韓国料理は大好きだし、韓国の人がお年寄りを大事にする姿勢は日本よりはるかに強い、という街の人たちが印象的だった。

7月: ブラティスラバ。 ウィーンから車で1時間ほどで行けるドナウ川沿いのスロバキアの街である。ここはウィーンよりも気に行った。住んでも良いと思うくらいだった。

8月: マドリード。スペインの首都である。建物、美術館などが多く、ロンドン、パリに匹敵するが物価は安い。

9月: サン・アントニオ。 アメリカ中部テキサス州の街でアラモ砦で有名。小さな街で観光資源もそれほどないのに高層ホテルが林立していたのが印象的である。

10月: 西安。 中国の古都で歴史ある街だが私たちが滞在したホテルは開発中のニュータウンにあり、まだホテルの周りには殆ど建物が無い状態だった。しかし、至る所で高層ビルの工事をしており、中国経済のバブルを感じた。

11月: ジャクソンビル。アメリカ、フロリダ半島の付け根にある街。新しい街という感じがする。アメリカは本格的なレストランは良いが、安い店は料理が脂っこい感じがした。

12月: イスタンブール。独特の味のある街である。見どころはいっぱいあるのだが、帰国日の土曜日が雪交じりの嵐で出歩けなかったのが残念だった。

こうして振り返ってみると、人もうらやむような場所に次々と行っている。旅行は楽しいのだが遊びで行くわけではなく、会議中は長時間労働になる。時差ボケも取れにくくなってきており、写真で見るほど優雅な旅ではないことをお断りしておこう。来年からは、出張の回数は大幅に減る予定である。

この他に、今年は2008年12月から始めた東海道の独り歩きを完了させた。4月に名古屋の知立から歩き始め、9月に京都の3条大橋、更に私個人のゴールとして設定した大阪市の太子橋今市まで歩いた。今年の夏は特に暑く、最高気温の中を歩いたことが印象的である。


国民の声を聞くにはどうすれば良いか?

2010-12-26 09:41:12 | 社会

クリスマスが終わって、世間は一気に年末モードに入った。週末の朝の番組でも「この1年を振り返って」という感じの番組が増えてきている。政治、経済の番組では政府を批判する意見ばかりが出ている。確かにこの1年の政府は酷かった。特に鳩山首相は歴代最悪の首相だったと私は思っている。

今日書こうと思っているのは政府の悪口ではなく、むしろ政府が国民の要望をどうやって聞くかという話である。マスコミはよく「街の声」といって政府に要望することをインタビューしている。その内容を聞くと、「経済を良くしてほしい」「子供がいるので子ども手当は助かる」「高速料1000円を続けてほしい」「農家は成り立たない、農業政策をしっかりやって」「仕事がない。派遣社員を守って」「就職できない、なんとかして」といったことがほとんどである。

これらに共通しているのは「私のために予算をつけて」ということである。これらを国民の声と受け止めて応じようとすれば財政赤字が膨らむのは当然である。ここ数十年、特にここ3年くらい(小泉首相が退陣して以来)政府はこのような国民の声のうちで票につながりそうな声を重視して対応しているので、財政赤字が急速に膨らんでいるのだと私は考えている。

私はマスコミがこのような声を拾う際に、「自分のために予算をつけてほしい」という声はできるだけ抑えて、それ以外の声を拾うべきだと考えているが、実際はその逆を行っているように感じている。

政治家にしても、官僚にしても、確かに自分たちの利益になる行動も取るが、そればかりではない、国民のためになることを考えようとしていると思っている。ただ、賛否両論ある中でどちらに舵を切れば良いのかとなると、票につながりそうな方に行く、と感じている。その意味でマスコミの意識改革が極めて重要だと思う。それ以外に、選挙以外で国民の声を聞く手段を考える必要があると思う。

もう一点、個別のアイテムである消費税増税に関して、政治家ほとんど全員が「消費税増税は不可避」といっていることから増税を容認する雰囲気が出来上がりつつあり、今朝の日経の社説でもそのことが出ていたが、私はこの点に関して竹中平蔵氏の意見に賛成である。それは、政府が大盤振る舞いしている中で増税すると、ますます大盤振る舞いが続いて上手くいかないという指摘である。まず、緊縮財政を行い、絞ったうえで、「これでもまだ足りない」という感じで増税に向かうべきだという意見である。私はこの意見に全面的に賛成である。


東芝、システムLSIでSamsungと提携

2010-12-24 08:52:16 | 経済

今朝の日経新聞1面トップにこの記事が出ていた。東芝がシステムLSIの製造をSamsungに委託し、自社は設計に特化するという記事である。東芝はその前にソニーに半導体工場売却を発表しており半導体事業の縮小に向けて本格的に動き出した感じがする。

少し前まではシステムLSIの生産委託と言えば台湾のTSMCが委託先と決まっているような感じだったが、最近はSamsungがAppleのCPU生産を引き受けたり、今回の東芝との契約にこぎつけたりして存在感を増している。

東芝がどうしてTSMAではなくSamsungを選んだのか、おそらくSamsungが戦略的に好条件を提示したのではないかと想像しているが、TSMCの独占になるよりは競争になったほうが良いかと思う。逆にSamsungが資本力を使って強くなりすぎるリスクはあるがまだだいぶん先のことだろう。

昨日、日本の会社はトップが弱い、サラリーマン社長はダメだ、と書いたばかりだが、東芝は前任の西田所長、昨年引き継いだ佐々木社長と大胆かつ戦略的に決断する社長に恵まれている感じがする。2代続けて戦略的判断のできる経営者を出している点は東芝には何か良い仕組みがあるのかもしれないと思わせるものである。佐々木社長は重電部門の責任者で西田前社長と一緒になってアメリカのウェスティングハウス買収をやってきたことから、気心が知れていて、経営手法も似たものになっているのかもしれないという感じもする。東芝の社長選抜システムが良くできているのかどうかは次の社長を見ればわかるだろう。

昨日の記事と違う実例があるからと言って昨日の意見を変えるつもりはない。ただ、私の意見は全てではなく、「多くがそうだ」という程度のものであることは認めたい。マスコミによると佐々木社長は西田社長が指名したそうだが、こういう前の社長が指名する方式だと、一旦、覇気の無い社長になったときの回復が難しいのではないかと感じている。


日本経済の再発展のために - トップの強化 -

2010-12-23 09:06:59 | 経済

日本経済弱体化の大きな原因の一つがトップが弱いことだと書いたが、これに対してどういう対策があるかを考えてみよう。大きく言って二つのアプローチがあると思う。一つはトップを強化する方向であり、もう一つはトップの影響が少ない分野に注力する方向である。

まず、トップを強化するにはどういう方法があるかを考えてみる。トップというのはそんなにたくさんの人数が必要のわけではないので、選抜システムをうまく作れば強化できると思う。私は日本企業のトップが弱体化したのは年功序列制にあると思っている。つまり、平社員から、次第に昇進を重ねて社長が上がりのポスト、その後は引退、という構図だと、社長の意識はどうしても守りに入る。従って勇気のある決断ができないというのが本質ではないかと思っている。つまり、欧米のようにある程度若い年齢でCEOにあがりCEOマーケットがあって一つ成功させると今度は別の会社を成長させる、といった仕組みのほうが強い決断のできるCEOを育成できると思う。言葉で書くと簡単なようだが実は実現は非常に難しい。日本でも目立っているCEOは創業者が多く、それ以外では創業者に目をかけられた抜擢人材というような形が多い。社内の人的結びつきが強い分だけ上によそから人が入ってくるのは好まない文化があると思う。

もう一つのトップ強化のアプローチは会社をグローバル化してグローバルでできる人材をトップに据えることである。こうすると日本人は中堅層に固まるような気がするが、それはそれで良いのではないかという気がする。ただしそのような会社は本社を日本に残さないだろう、ということを考えておかなくてはならない。

トップの影響が少ない業種に注力するというのは一つの手だろうと思う。いわゆる「匠の技」が重要な分野で、精密機械などがこの典型ではないだろうか? アニメなどを含めた芸術の分野もこういう世界であると思う。しかし資本主義がますます浸透して経済バブルが頻発するような世界になるとこのような分野も会社ごと買収されてしまうようなことになるので、政府が資本の論理をある程度抑圧するような働きかけを世界に対して行わないと難しく、日本政府にこのようなことができるとは考えにくいので、このアプローチはあまり期待しないほうが良いと思う。

通信オペレータのような内需型の規制産業でもトップの重要性は低いが、このような産業は長期的には規制緩和されていって規制部分は規模が縮小する運命にあるので、このような産業に頼るというよりはまだ事業が健全なうちにトップを強化することを考えて、将来に備えるべきだろうと思う。



初めて食べたトリュフ

2010-12-21 10:58:51 | 生活

先日、六本木でトリュフというものを初めて食べた。

ヨーロッパで世界三大珍味の一つと言われているキノコである。ちなみに他の二つはフォアグラとキャビアでこの二つは私も既に食べている。どちらも結構おいしいものである。

食べたのはトリュフのリゾットというもので独特のコクのある(ニンニクが入っているらしい)リゾットの上に薄ーく切ったトリュフが花びらのように広げられていて何ともいえぬ良い香りがする。松茸と同じで養殖が困難なため珍味とされているらしい。

コクのある味が香りとマッチして確かにおいしかったが、そんなに驚くほどではなかった、というのが私の正直な感想である。香りも松茸のほうが上ではないかと思った。リゾットという性格上、料理の最後のほうに出るのだがそれまでにかなりアルコールを飲んでいて味覚がマヒしていたのかもしれないと思う。

三大珍味の中では、南フランスのカンヌから山奥のほうに入ったレストランで食べたフォアグラのステーキが私にとっては印象的である。ソフィア・アンティポリスというフランスのシリコンバレーと呼ばれる地域に行ったときに、一緒に行っていたグルメな人が教えてくれて車で行ったときのことである。その店のフォアグラのステーキはそれまで結婚式の披露宴などで出て持っていた、私のフォアグラに対するイメージを一新させるものだった。やはり現地で食べると違うな、とその時思ったことを記憶している。

味覚は体調、店の雰囲気、一緒に居る人たちとの会話などにも大きく影響されるが、これまでいろいろなものを食べてきた私の経験から言うと蟹が有名という地域に行って新鮮なカニを食べるのが全体的には最もおいしく感じるように思う。これからも機会があれば「カニ食べ歩き紀行」はやりたいと思っている。

 


日本経済の再発展のために - 政府の役割 -

2010-12-20 08:35:53 | 経済

日本経済が衰えてきた大きな理由に内需型産業の効率の悪さを挙げ、これが政府の責任による部分が大きいと書いた。今回はこの点をどうやれば改善できるかについて考えてみよう。

この点に関してはここ1-2年がある意味でチャンスであると思う。それは先日も書いたアメリカと韓国のFTA合意とかTPPへの参加とかいった外圧が高まっているからである。言うまでもなくこれらの合意に他国並みに参加しようとすると農業に対して大きな打撃となる。補助金で支えられた農業は全くたちゆかなくなる。ここで農家の戸別補償をさらに積み増す、というような方向に走る可能性もあるが(実際、そのような動きは出ている)、それだけではなく農業の効率化への動きも見え始めている。

しかし、改革が農業だけにとどまったのでは効果は限定的で、国際競争力を高めるというレベルには至らないだろう。内需型産業全体の、あるいは国全体の効率化を求めるような意識を国民に植え付けなくてはならない。以前、事業仕分けについて書いたときに、事業仕分けの効果は確かにあるのだが限定的、と書いた。事業仕分けは効率の悪い事業を止めさせる、という動きであるが、本当に誰からみても効率の悪い事業などはごく一部である。大部分の事業(国が行う事業)は効率は悪いのだが、皆の前で論破して止めさせるほどには悪くない。本当に効率を上げようと思ったら、全ての事業をより小効率的に行うようなインセンティブを国家公務員全体に与える、言い換えるとトヨタ式のカイゼンを公務員、更に国民全員が目指して動くような仕組みを考えて作り上げることが最も大切だと思う。

「世田谷の一隅」さんがコメントで規制緩和が重要、と指摘しているが、それは公務員よりも民間のほうがカイゼン意識が高いからだと私は思っている。本当に国を強くしようと思えば国民全体にカイゼン意識を持たせるように策を練るべきだと私は考えている。

残念ながら現在の政府にそのような動きは見えない。松下政経塾あたりでそのような考え方を政治家の卵に叩き込んだとしても効果が出るには何十年もかかるだろうから、当面は大きくは変わらない政府の前提で個々人がどう動くかを考えざるを得ないだろう。


北方謙三の水滸伝

2010-12-19 17:03:10 | 生活

最近、北方謙三作の水滸伝を読み始めた。全17巻のうちまだ2巻ほど読んだだけだが、なかなか面白く、はまっている。

水滸伝は原作は中国だが、北方謙三はそれを結構作り変えて、書評によると原作よりも面白く仕上がっているということである。水滸伝というのは宋代末期の腐敗した政府を倒して新しい政府ろうちたてようと言う人間が集まって、梁山泊という場所を本拠地として活動する物語である。

私が読んだのは梁山泊を本拠地として活動を始めるまでのところで、本格的な活動はこれから始まるのだが、これまででも十分面白い。中心になる人物が様々な人間に声をかけて、新しい国を作り上げようとしている。政治家、思想家、軍師、剣の名手、槍の名手、忍者、力持ち、商人、僧侶、医者、薬剤師、鍛冶屋、漁師、船頭、数学者などなど、様々な秀でた能力を持った人で、高い志を持った人に声をかけて同志として組み込んでいく。そして、山賊の拠点となっていた梁山湖に浮かぶ小島を奪い、そこを梁山泊と命名し本拠地として旗を立てる。私が読んだのはここまでであるが、それぞれの人間が生き生きと描かれている。

北方謙三と言うとハードボイルドの作家で、私はこれまでにこの作家の本は結構読んでいる。特に好きなのはブラディドールシリーズで、ある架空の町のブラディドールというジャズバーを舞台として事件が起こる物語である。作品ごとに新しい個性的な人間が一人、町に流れ込んできて事件に巻き込まれる。何人か死人の出るような事件で主人公は生き延びて事件は解決する。その主人公は町に住みつき、次の作品では脇役として登場する。後の方の作品になると次第に登場人物が増えてくるのだが、何人かは事件の中で死んでいく。こうした一連の流れの中で、常に登場する魅力的な常連がいる、といったシリーズものの作品である。なんとなく水滸伝と繋がっているような気がする。

最近の北方謙三は歴史物に注力しており、私がこの人の歴史物を読むのは初めてだが、ハードボイルドとつながった面もあり、新しい境地を開いた面もあって今後の展開が楽しみである。


日本経済の再発展のために - 知価革命への対応 -

2010-12-17 08:37:34 | 経済

今日は久々の晴れ、冬型の天気である。鶴見川沿いを歩いていると川面から湯気が立ち上っていて、冬の風情を感じる。気持ちの良い朝である。

さて今日の本題、日本経済に関してだが、11月10日、「アメリカの戦略」で書いた「知価革命」に対する対策を考えてみる。

アメリカの戦略である技術革新重視から来た特許重視主義は行きすぎて揺り戻しが来ていると私は感じている。本来特許は研究開発投資をして新しい技術を生み出した企業が製品を発売すると、研究投資をほとんどしていない企業が真似をして瞬く間に同じような製品を出す。その結果、真似をした会社のほうが投資が少ないだけ儲かる、といった現象を防ぎ、新技術を生み出した人が正当な利益を得られるようにするために設けられた制度である。

しかし、特許重視に走った結果、特許だけ書いて商品化はしない。他の会社が商品化したところを狙って訴訟を起こすような会社が増えてしまった。そのため真面目にものを作る企業は特許を避けるために余分なエネルギーう使いようになり、必ずしも技術革新の促進につながらなくなってきている。この点に関する揺り戻しが来ている。しかし調整はわずかであるし特許軽視になれば今度は中国に負けてしまうので、この点で日本が再び有利になるということは無いだろう。

日本の会社は技術革新が下手だと言われるが、必ずしもそうではないだろう。アメリカでも中央研究所を抱える大手の会社はアイデアが実用化になかなか結び付かず苦労している。革新技術を実用化までこぎつけるには莫大な投資が必要である。しかし、リスクも高いので投資しても実用化まで行かないで立ち消えになってしまうことも少なくない。その投資を判断できる経営者がいる会社は技術革新を生み出せるし、いなければ生み出せない。

投資資金を集めるにはいわゆるベンチャーファンドなどの仕組みのほうが適していると思われるが日本ではなかなかうまく機能しない。これは日本社会がアメリカ社会に比べて貧富の差が小さく、莫大な余裕資金を持っている人が少ないから、というのが最も本質的な理由だと思う。この点が本質だと思うので技術革新を手に入れたければシリコンバレーの会社に投資する、というのが良い方法だということはそう簡単には変わらない感じがする。

知価革命のもう一つの大きな結果は水平分業の進展である。自動車産業などはまだ日本人得意の擦り合わせが重要であるが、エレクトロニクスはもはや垂直統合に戻ることは難しいだろう。しかしAppleのように垂直統合で大成功している会社もあるので、ダメとは言い切れない。Appleのようなやり方は技術革新を生み出せなくなるとたちまち没落してしまうので、リスクは高い。しかし日本企業が狙いるモデルとは言えるだろう。半導体技術の進歩が鈍化してきている、正確に言うと鈍化というより莫大な投資が必要なので簡単には前にすす生めなくなってきている、のでこの点(Apple型を狙う)日本企業の道があるかもしれない。

勇気が必要であるが・・

 

 


渡辺竜王 7連覇

2010-12-16 09:16:35 | 囲碁

カテゴリーを囲碁にしているが今日は将棋の話題である。

6連覇中の渡辺竜王に羽生名人が挑戦していた将棋の竜王戦は渡辺竜王が4勝2敗で防衛し、竜王位7連覇と記録を伸ばした。2年前にも羽生名人が挑戦し、この時は死闘とも呼べる大熱戦の末渡辺竜王が4勝3敗で防衛した。

その時と比べると今回は全般的に渡辺竜王側に余裕があったように感じられる。4勝2敗というスコア以上に差があったように感じられて、第一任者が入れ替わりつつあるのかな、という印象を持った。渡辺竜王は竜王戦では強く、強敵を毎年なぎ倒して連覇を続けているが、他の棋戦ではそれほど目立った活躍をしていない。それでも名人戦でもA級リーグに上がってきて勝ち星を重ねているし、全体的に徐々に存在感を高めている。

羽生名人40歳、渡辺竜王26歳という年齢の差が出てき始めているのかもしれないと思う。囲碁も将棋も頭脳のスポーツと言われ、中国でオリンピックを開催したりしているが、将棋のほうが囲碁よりもスポーツ性が強く、集中力が要求される。やはり体力が落ち始める40歳あたりから次第に苦しくなってくるのかな、と思う。谷川名人も40歳あたりで曲がり角に来たように思う。

その意味で、50歳台でもタイトルを獲得し、癌と戦いながらも63歳で名人挑戦、69歳で亡くなるまでA級の現役棋士であった、故大山康晴十五世名人の偉大さを改めて思わざるを得ない。