ウィトラのつぶやき

コンサルタントのウィトラが日頃感じたことを書いていきます

教師の病気退職の半分が精神障害

2011-07-29 07:34:02 | 社会

今朝の毎日新聞の記事である。2009年の統計で900人以上ということである。こういう統計を取ったのは初めてらしく昨年の数字が無いのだが増えているのではないかと想像される。教員全体は70万人ほどいるそうなので数字的には0.13%で普通の企業と比べて多いと言えるかどうかは分からないが、全体の半分というのは多いと思われ、教育現場の荒廃を思わせる話である。

最近はあまり聞かなくなったが学級崩壊といって生徒は席につかずに授業にならない状態や、モンスターペアレントといって非常識なことを言う親がいたりして、教師に対する精神的圧力が高まっていることは容易に想像される。

私は日本の初等教育の問題点はその仕組み作りにあると思っている。具体的には教師個人の独立性が高く、組織としての動きが弱いために、問題解決能力にも大きな差がついてしまい、解決できない人は行き詰ってしまう。こういう話が出ると必ず心理カウンセラーを用意すべき、とかいう人が出てくるのだが、それでは解決しないと思う。

教育現場で問題が出た場合にはまず学校全体で取り組むべきだろう。教師個人に任せないで学校全体で取り組む体制ができている学校もあるだろうし、できていないところもあるだろうと思う。学校全体で取り組む姿勢がなければやはり問題は多くなるだろう。問題の多い学校と、少ない学校ははっきり色分けされるはずだから、問題の多い学校に対しては更にその上の教育委員会などで対策に取り組むべきだと思う。この学校間にまたがる問題解決は殆どできていないのではないかと思う。この仕組みを強化することが重要だと思っている。

社会全体を見ても、昔はパパママショップが多かったのが次第にチェーン店に置き換わっている。農協なども問題が多くどんどん合併して大規模化している。社会が変化して問題が複雑化してくると個人の能力では手に負えない面が出てくるので集団で動いてその中にいる得意な人な知識やスキルを使うことが不可欠になってくる。大規模化はこれに対処するある程度必然的な流れだと思っている。教育の現場にもこれを導入することが必要で、そのためにはいくつかの学校を合併させて分校形式にするなどが実際的には有効だと思う。

その一方で私も何度か書いたが教育の質は上がっているとは言えないだろうと思う。他の国との比較という相対関係で言えばむしろ下がっているのではないかと思っている。これは子供や、親のせいというよりも教師自身の問題が大きいと思う。このためには教員の人事評価をきちんとすることである。どこの学校にも「あの先生は良くない」と皆がが言うような先生が一人くらいは居る。こういう教員を排除して良い先生の待遇を上げる、というような仕組みを作らないと、教育現場は良くなっていかないと思う。私立学校ならこういうことができるはずで、掲題の精神障害も公立に比べて私立は少ないということがありそうに思うので、分けてデータを出してほしいものだと思う。


中国の現状がにじみ出た新幹線事故対応

2011-07-27 07:42:55 | 社会

中国で新幹線が衝突して大きな話題となっている。この事故に対する一連の対応に中国政府の現状が良く出ていると感じる。

まず驚いたのは衝突した先頭車両を破壊して埋めてしまったという点である。日本ではこんなことは考えられない。事故原因を徹底究明することが最大の課題である。中国で、マスコミも抑えられるのでこんなことが可能なのだろうと思う。おそらく鉄道省の高官が許可または指示してこういう対応を取らせたものだろう。これに対してはインターネットでの批判が続出した。明らかにおかしいことをやっているので当然と言える。それでも20年前ならこういうことは言えなかったかもしれない。

これに対する中国政府の二つの可能性がある。一つは批判を抑える方向であり、もう一つは批判を受け入れる方向である。どうも政府のさらに上のほうで受け入れることに決定したという感じがある。埋めた先頭車両を掘り返して事故原因を徹底究明する方向に動いた。補償も金額が出てきた。今年初めに鉄道省の幹部が汚職に疑いで解任されており、政府の幹部はこの際に鉄道関係者の体質改善、意識改善を目指したものと思われる。

中国の現状がにじみ出たというのはこういった一連の対応に対してである。ある意味で中国政府は絶対的な権限を持っているので「何でもアリ」で常識では考えられないようなことをすることがある。これが当たり前と考えている人も政府内部には少なからずいると感じる。これは伝統的な中国政府のやり方であり、従って人民は政府のやることや発表をまず疑ってみる、という体質が染みついている。

その一方でこういった体質は改善されてきており、中国政府のトップはできる限り情報公開を行って信頼される政府になろうとしているように見える。今でも「何でもアリ」的な動き方が見えるのは民族問題と、領土問題で、それ以外の一般行政問題に関してはできるだけ古い体質を変えていこうと言った姿勢が感じられる。批判を受け入れることにしたのはこの流れだと思う。領土問題などでは日本を含め周辺の国は困っている。そろそろ常識的な範囲内の動きになるのではないかと期待している。

ある中国人の人からこんな話を聞いたことがある。「中国の近代化にはこれまで二人の偉人がいた。一人目は毛沢東で西欧からの独立を勝ち取った。二人目は小平で経済発展の道筋をつけた。三人目はまだ出ていないが出るとすれば民主化を実現する人だろう」。まさにあたっている感じがする。そして小平以降の指導者も偉人と呼ばれるレベルではないかもしれないが、うまくやっていると私は思っている。三人目の偉人が出るにはまだ少し時間がかかりそうだとは思うが。


3GPP議長を続けるかどうかの悩み

2011-07-26 08:31:14 | 昔話

2000年の後半に入り、Release4も大分進んできたあたりから、私は3GPPの議長を続けるかどうかを考え始めた。議長の任期は2年間であるので2001年3月が次の選挙のタイミングとなる。自分が続けたいという意思を示せば再任されそうだとは思っていた。

3GPP議長の仕事は面白く、私に新しい世界を開いてくれたし、世界の色々な人と一緒に仕事を続けていることに興味もあり、自分としてはこの仕事は自分のためになると感じでいた。一方で、副議長に頼り過ぎているのではないかという意識もあり、もっと会社の仕事を減らしてでも議長に仕事に深く取り組まないといけないのではないか、とも感じていた。当時はネットワークのIP化とか高速パケット伝送とかが大きな話題になってきており、無線分野の議長としてももっとネットワークの勉強もしないといけないのではないかとも思っていた。その一方で議長職に更にエネルギーを注ぎ込めば、会社はいずれ辞めてよその会社に移ることになるだろうな、という予感がしていた。議長の仕事が会社の事業にうまくつながっていない感じがしていた。

会社の業務のほうでは、当時私は開発研究所の所長代理という立場だったが携帯端末の事業部門に来ないか、という話が来ていた。それはそれで魅力的なものだった。標準化の活動をしながらも色々な会社の戦略を目の当たりにして、より事業に踏む込みたいという気持ちもあった。事業部に行けば議長の仕事は増やすどころか議長は辞めないといけないだろうと思っていた。

迷った末、私は議長職は2001年3月で降り、事業部でWCDMAの実用化を目指す道を選んだ。あのとき議長を継続する道を選んでいればその後全く違った人生が待っていただろうと思う。しかし、議長を降りて事業部で仕事をすることにした自分の決断に対しては全く後悔していない。入社して20年以上も研究畑に居てから事業部に行くと、それなりの地位で行くことになるのだが、現場をうまく動かせずうまく行かないと言われていた。確かにそういった側面はあったが、業務はある程度現場から距離のある仕事を任せられたし、なによりも事業部にいる間に生産工場に通ったり、デバッグに入ったりしたことが自分にとって事業というものの理解を深めさせ、自分の物の見方に幅が出ていたと思う。

事業部での仕事は成功したとは言い難かったが、自分にとっては大きなプラスになったと思っている。


「空の城」を読んだ

2011-07-25 07:20:19 | 生活

 

松本清張の小説「空の城」を読んだ。「くうのしろ」と読む。文春文庫である。

内容は安宅産業が経営不振で伊藤忠商事に吸収された経緯を書いたものである。ニューファンドランド島に作った巨大石油精製施設への原油供給利権を独占契約した安宅産業が、この施設がうまく稼働せずに赤字を重ね、実質倒産に追い込まれていく過程を小説にしている。小説なので社名などは変えているが、精密な調査に基づいたものだとしている。

レバノン人のやり手経営者でニクソン大統領とも関係の深い経営者がカナダ政府と結託して石油精製施設を作るのだが、うまく行かない。その際にレバノン人のほうはきちんとリスクを考え自己資本を使わず外部投資で賄っているのだが日本側は仕事を取りたいばかりに契約が甘く、結局うまく赤字をかぶせられてしまい、これが原因で倒産した、という話になっている。

解説では安宅コレクションで有名な骨董品収集家の社主が主人公のような書き方をしているが、私は外していると見る。社主は当時の日本企業の独特の問題点を浮かび上がらせているが、私は会社に膨大な損失を与えた常務の心理描写につながっている部分が中心だと思う。松本清張は犯罪者を悪い奴と決めつけるというよりも、普通の人が特に悪意もないのに社会の仕組みの中で必然的に犯罪を犯すように追い込まれていく過程を描くうまいと私は思っている。この場合には犯罪としては挙げられなかったが実質的な背任行為を行うに至った安宅関係者の追い込まれていく過程が主題だと思うし、興味深かった。

その一方で日本の小説に良くある、「突然終わる」という感じが物足らなかった。問題が露見したときに、関係者はどういう行動を取ったのか、そこには大きなドラマがあってうまく逃げた人、逃げられずに割を食った人などが居るはずなのだが、そのあたりが突然終わってしまう感じで物足りない。他の分野でも日本の小説家は話を膨らませるのはうまいが膨らんだ話に落とし前をつける力は不足していると感じる。

松本清張の経済小説は珍しいが、事実に基づいた話で、ダイエー、三越なども似たような感じがあったのではないか、と思わせる小説であることは事実である。

 


日馬富士、優勝

2011-07-24 08:26:03 | 生活

久々に行われた大相撲で日馬富士が白鵬を破って優勝を決めた。千秋楽を残して日馬富士全勝、白鵬2敗という2差での優勝だった。

昨日の相撲は凄い迫力だった。白鵬のほうはいつもと同じ感じで落ち着いた感じだったが、日馬富士は「何としても今日決める」という気迫を感じた。めったに来ないチャンスを何としてもものにする、という意識を感じた。解説は今日負けてもまだ同率などと言っていたが、日馬富士自身はそんな意識は無かっただろうと思う。

ここ数年、横綱白鵬の実力が抜きんでている。その中で滅多に来ないチャンスをものにしたのは朝青竜や日馬富士等のモンゴル勢である。彼らはごくたまにしか来ないチャンスをものにしようと全力を尽くす、そしてここ一番というところで普段の実力以上のものを出す気迫を持っている感じがする。

対象的なのが琴奨菊である。横綱白鵬を破って大関昇進の期待が高まったが、横綱、大関戦が終わった13日目から連敗している。解説は「プレッシャーは大変なものだ」などと言っている。一般的にオリンピックなどでも日本選手はプレッシャーで力を出し切れない、などとよく言われる。しかし、そういう人は結局良い結果を出し切れない。特に相撲のように瞬発力が求められる競技は心理的な影響が大きいだろう。個人の違いというより、日本人とモンゴル人の国民性の違いがあるように思う。

今、多くのスポーツで日本は中国に勝てなくなってきている。人口が10倍違うから、ということを良く聞く。しかし、モンゴルは人口200万人である。どうして、そんな小さな国からこんなに強い力士が次々と出てくるのか。自分を鍛える技術をモンゴルに学べないものかと思う。


将棋の名人戦と囲碁の本因坊戦

2011-07-23 06:57:11 | 囲碁

将棋の名人戦は森内挑戦者が羽生名人を破って新名人となった。囲碁の本因坊戦は山下本因坊が羽根挑戦者を破って本因坊位を防衛した。どちらも3連勝の後で3連敗して追いつかれて、最後に踏みとどまって勝ちを決めた、珍しいパタンである。3連勝の後3連敗すると心情的には追いついたほうが有利である。それを踏みとどまって勝つというのは珍しいパタンだと言える。 

将棋のほうは、内容的に見ても五分だと思っていた。1-3局は森内挑戦者が比較的簡単に勝った。4-5局は羽生名人が簡単に勝った。6局目は大熱戦だった。わずかに羽生名人が制したという感じだった。7局目もやはり大熱戦だった。こちらはわずかに森内挑戦者が勝ったという感じだった。 

この二人の対局は見ていて面白い。二人とも積極的に勝ちにいくので迫力を感じるのである。森内新名人は受けが強い、と言われているが、守って勝負を先に延ばす、という感じではなく、勝ちに行く受け、という感じがする。ぎりぎりのところでのしのぎを読み切って、「攻めないとつぶしてしまいますよ」という手を指している感じがしている。羽生名人は攻守バランスが取れているがやはり勝ちに行く手を求めている感じがする。受けて勝負を先に延ばす感じがするのは渡辺竜王で、長引いているうちに徐々に自分を有利にしていく、故大山名人を思わせる。いずれにせよ見どころのある名人戦挑戦手合いだった。 

囲碁のほうは山下本因坊が31敗のところで「もうすぐ終わるだろう」と書いたのだが、案に相違して3勝3敗まで行った。こちらは内容的には感心できないものだった。第1局から第6局までは山下本因坊が優勢だったが、第4局から第6局までは優勢を維持できずに逆転負けを喫している。第7局目は逆に羽根挑戦者有利だった。山下本因坊の闘志が空回りした感じで、封じ手の段階では、「これは本因坊が変わるな」と思うような状態だった。しかしこの碁は逆転で山下本因坊が勝ち、防衛した。 

6局と第7局はお互いに石を取ったり取られたりで激しい戦いがあり素人目には面白い碁だった。しかし、二人とも急所をきちんと押さえていなかったために乱戦になった感じがする。これでは中国・韓国にはとても勝てないだろうと思う。坂田栄男、藤沢秀行、林海峯、大竹英雄、趙治勲といった歴代トップと比べても一段落ちる感じがする。

今日本のタイトル戦は7つあるのだがどれかで国籍にとらわれず参加できるようにするなどの工夫をして一般人にも世界最高峰の碁の内容を見せるようにする配慮が必要ではないかと思う。


将来面白そうなアンテナ

2011-07-22 09:00:48 | 東工大

私は長年、無線通信の研究に関わってきたがアンテナはきちんと勉強したことはない。無線通信にはアンテナは必ず必要になるので、ある程度のことは知っているが、どうやって設計するかなどは知らない。しかし、最近無線通信技術は飽和に近づいてきたという感じを持っており、無線の分野で今後大きな変革を起こすとすればアンテナ分野ではないかと思っている。

私は現在、アンテナの研究室と関係が深いのでアンテナの研究の話は見聞きしている。しかしある程度確立された現在の手法でアンテナの構造を変えて設計するのではなく、まったく新しいアンテナというのが出てこないかな、という眼で見ている。そういった意味での技術の芽はいくつか見える。

まず、第1に材質を変えることである。アンテナというと金属で作るのが普通だが、最近はメタマテリアル・アンテナというのが出てきていて、携帯電話などのような小さい狭い場所に複数のアンテナを置くときに有効だそうである。これはアメリカでは実用レベルまで来ているそうである。

次にウェアラブル・アンテナというのがある。アンテナは空間に広がっている電波を集めるので性能を上げようと思えばどうしても面積が必要になる。そこで衣類の中にアンテナを仕込むのはどうか、というアイデアである。これも研究はかなりされているが、実用にはまだ至っていないと思う。うまく行けば高性能アンテナができるのではないかと思っている。

最後に、形状変形アンテナというのがある。これは、中国の大学の先生から「こういうアイデアもあるが実用はまだ相当先だろう」といって教えてもらった考えである。具体的には小さな金属片をたくさんつないでアンテナを作り、金属片間の接続をつないだり切ったりすることでアンテナ全体の形状を電波の到来方向に合わせて変形するものである。

これは面白そうだ、と思って検討してみたことがある。金属間のスイッチにはMEMS(Micro Electro Mechanical Systems)という超小型スイッチが使えるのではないかと思っていた。しかし、MEMSというのは動作電圧が高かったり、値段が高かったりで、「なるほど、実用化は相当先だ」と思ったものだった。ところが最新のEconomistをみるとMEMSより更に小型のNEMS(Nano Electro Mechanical Systems)というのが研究されているということである。これなら電圧も下がるし、価格も下がることが期待できるのではないだろうかと思う。しかも、研究はイギリスのサウスハンプトン大学の水田教授と、筑波の物質・材料研究機構の共同研究とのことである。

こういった様々な研究を組み合わせて日本から画期的なアンテナが出ないかな、と思っている。


ジェームズ・ダイソンのイギリス改革

2011-07-21 07:29:44 | 経済

日経ビジネスの「旗手たちのアリア」というコーナーにサイクロン掃除機で有名なダイソンの創業者、ジェームズ・ダイソンの話が出ている。内容は彼がどのようにして現在のダイソンという会社を作るに至ったかという話だが、妙味深いので紹介しよう。

元々ジェームズはイギリスの王立芸術大学院に進学し、家具のデザイナーを目指していた。しかし、そこでトニー・ハントという講師に構造エンジニアリングの授業を受けて技術者の道に目覚め技術分野に進むことになる。芸術大学で工学に目覚めるところが面白い。色々曲折はあったが日本市場向けにサイクロン掃除機を投入しそれが本国でも大ヒットして現在の地位を築くに至る。ダイソンという会社も日本だと有名な中小企業で留まるのだろうが、現在は5億円も大学に寄付するような大企業になっている。株式公開していないので売り上げは不明であるが・・

現在では、首相のデビッド・キャメロンにイギリス経済に対するアドバイスを求められ、イギリスの経済復興のためには物作りが欠かせないと言う趣旨の報告書を送り、不動産や金融に頼っている英国を物作りで復活させようとしている。今年から王立芸術大学院の学長にもなっている。

私にとって興味深いのは「イギリスは物作りで生きるべきである」という彼の主張である。私がつきあった経験からしてもイギリス人は口はうまいが泥臭い仕事を嫌がり、物作りは嫌う人が多い。泥臭いことをいとわずに物作りをするのはドイツ人だ、という印象がある。しかし、ダイソンに言わせるとそれは最近の話で、元々蒸気機関を発明して産業革命を起こしたイギリスには物作りの資質があったという。それが大英帝国の繁栄の中で楽なほうに流れ、世界を俯瞰することで利益を上げるようになった。そしてサッチャーの競争政策で製造業はとどめを打たれ、製造業では研究開発部門くらいしかイギリスには残っていない。

言われてみればそんな気もする。ケンブリッジや、オックスフォードといった名門大学に行くと、ノブレス・オブリージェの精神とともに質実剛健の気風が感じられる。アメリカのほうが地位や名誉を直接的に求める感じがしている。しかし、企業に入ると金もうけ第1主義になるのは政策の影響があるのかもしれない。

ジェームズ・ダイソンは現在は首相にアドバイスするくらいだからかなりの影響力はあるだろう。しかしそれが果たして英国の製造業復活にまで至るかどうかは分からない。しかし、人材育成のために王立芸術大学院の学長になるあたりからして日本とは違うアプローチの感じがする。

芸術大学でデザインを工学と芸術の接点と捉えて積極的に工学を芸術と組み合わせようという姿勢が、新しい産業を生むかもしれないと思う。


大関魁皇の引退表明

2011-07-20 08:21:09 | 生活

大関魁皇が引退表明をした。今場所8日目に勝って千代の富士の持っていた歴代最高勝ち数の記録を塗り替えた後、2連敗しての引退の決断だった。お疲れ様、と言いたい。

魁皇関はここ数年勝ち星は上がらなかったが、人気は高かった。魁皇関の相撲は自分の型を持っており、その型にはまるとめっぽう強い。それが魅力であり私も好きだった。体力はピークを過ぎており、下り坂の状態で、3月場所、5月場所の中止は精神的にも重かっただろう。記録を期待するファンのためだけに相撲を取っていたような状態ではなかったかと思う。

それでも気力を奮い起こして相撲を取り続け、記録を打ち立てた。大変な精神力だと思う。

その一方でここ数年の成績はやはり大関としては物足りない。大関は2場所続けて負け越さなければその地位から下がることはない。5勝10敗で負け越して翌場所8勝7敗で勝ち越す、というようなことが何度もあった。千代大海もそうだったが、年間通算すると負け数のほうが多いというようなこともあったのではないだろうか。

大関でありながら場所前の予想では優勝候補に挙がることもない。実力は関脇のほうが上、というような状態が長く続くのはどうなのかな、と思う。特に千代大海と魁皇の二人がカド番とカド番脱出を繰り返していた頃にはそう感じていた。自分でも魁皇は好きなので長く見ていたいと思う一方、勝負と番付のあり方に関しては疑問を感じていた。

大関は何勝すればなれる、というものではなく推挙されて上がる特別な地位である。その特別さを維持するためにも、大関は強くあること、を維持するような仕組みを相撲協会は考えるべきだと思う。

これで横綱、大関に日本人力士は居なくなった。推挙されて上がるシステムで、大相撲は日本の国技、と言われながらトップレベルに日本人力士がいない、ということは、「相撲は人格を含めた実力の世界」という原則にのっとった大相撲協会の公平な開かれた仕組みを感じると同時に、一抹の寂しさを覚える。

 


中国の住宅価格が下落?

2011-07-19 07:38:25 | 経済

6月20日のブログで世界経済の変調の傾向を書いて円高が進むかもしれない、と書いたが、現実はその通りにユーロの危機が再発し、アメリカもQE2(第2次量的緩和)が終わって世界経済は不安的な兆候を示し、円高に向かってきた。

この先、アメリカがQE3を行うかどうかが焦点の一つであるが、行わない方向に向かっており、私はそれが正しい方向だと思う。病人の病気は回復していないのに薬の効果が切れてきた状態であるが、ここで更に投薬すると副作用の悪影響のほうが大きくなるだろうと思う。アメリカはしばらく安静にしているほかないだろう。

ヨーロッパは全体が悪いというよりあちこちに筋肉痛や、できものができている状態である。こちらも投薬しているのだがなかなか治らない。ヨーロッパの場合にはホルモンバランスが悪いような状態で、内部での組織間の争いが問題である。政治力が問われる状況が続くだろう。

こうした中で世界経済を引っ張っているのが中国である。中国は住宅バブルだと私も何度か書いたし、今でもそう思っている。今朝の日経に6月は前月より3都市多い12都市で住宅価格が下がったと出ていた。いよいよ中国経済も停滞か、と思ってネットで調べてみると、ブルームバーグの記事は「中国の新築住宅、北京と上海で上昇加速」と全く反対の記事が出ている。中国では今年に入って政府が住宅価格の全国統計の発表を止めたそうで、どういう統計をみるかで判断は全く変わってくる。

ブルームバーグは「中国は実質マイナス金利なので投資熱はそう簡単には下がらないだろう」としている。つまり、預金金利よりも物価上昇率のほうが高いということでお金があればモノに投資したほうが良いということである。一連のニュースから見ると、投資熱は冷めてはいないものの、「そろそろ危ない」という意識も高まってきており、投資家による選別が強まっているのだろう。中国がバブルがはじけた状態になると世界的な不況は避けられないだろう。

その一方で中国国内で実需を上回る投資家による見せかけの需要があり、実際には誰も住まないようなマンションが高値で取引されているのも事実である。この状態はいずれ実際に住む人が買えるレベルまで価格が下がるはずなので、軟着陸するにせよ経済成長の速度を落としていかないと中国経済は大きな痛手を被ることになるのは間違いないだろう。

不透明な世界経済がしばらく続きそうである。