ウィトラのつぶやき

コンサルタントのウィトラが日頃感じたことを書いていきます

北京にて

2012-04-30 19:38:39 | 生活

4月30日と5月1日は中国は連休である。

私も仕事が無いので北京観光に出かけた。ホテルのある場所が天安門広場の北西で北海とか西海とかいう名前の大きな池がある地区で池の周りが公園になっているので池をめぐりつつ故宮博物館に行くつもりでホテルを出る。

これがホテルの入り口。一応ホテルと書いてはあるが鍵かかかっていて普通のホテルとはずいぶん感じが違う。

こちらが、最初に予約したホテル。ホテル名すら出ていない。

池に出る。たくさんの人が釣りをしている。

池をぐるりと回って、宋慶齢同士の住居という庭園に入る入場料を取る立派な庭園の花

庭園の建物

再び池に出る。この辺りが池の周りでも一番賑やかなあたり

北海公園に入る。こちらは池全体が壁で囲まれていて入場料を取る。昔の王宮の専属庭園だったようである。入口の竹林

北海は真ん中に島がありそこに大きなお寺がある。そのお寺への渡り道

お寺に木にはおみくじが一杯ぶら下げてある。日本の習慣も中国から来たものか

道に水で絵を描く老人。うまいものだ。

故宮の出口。先のほうに橋があるが人でいっぱい。

ワンフーチンという繁華街。歩行者天国になっていて色々な模様し物をやっている。三国誌の衣装か

天安門広場に回って故宮の入り口に行くがあまりの人も多さに入る意欲をなくす。ここまで3時間以上歩いており疲れもあった。この写真は天安門広場の毛沢東の写真のあるところ。ここから地下鉄でホテルに戻った。

三連休だから人が多いよ、とは言われていたが、やはり日本とはケタの違う人出である。ホテルに戻ってゆっくりとお風呂に入った。途中で5回くらい中国語で何か聞かれた。私は中国人に見えるらしい。


北京でホテルまでの苦労

2012-04-29 16:37:29 | 生活

今日の朝、ハルビンを出て先ほど北京のホテルにチェックインしたのだが、ここまでに大変苦労したのでそれを書いておこう。

予約したホテルは什刹海 サンダルウッド ブティック ホテル (什刹海紫檀文化酒店)という昔風の建物が並ぶ観光地にあるホテルで日本からHotel.comというのを通して予約した。今は北京は地下鉄でたいていのところに行けるので地下鉄の最寄り駅から歩くことにした。地図を見て分かりにくそうなところあると思ったので地図を打ち出してみながら行った。駅を降りてホテルに向かう道も古い中国の風情があって「これはよさそうだ」と内心喜んでいた。ところがホテルのあたりに来てもホテルらしき建物は無い。地図が示している場所にはホテルの表示は無く入口には鍵がかかっている。

近くの人に地図と名前を見せて聞いてみると「ここでは無い、あっちだ」という。英語が通じず中国語で言われるので指差した方角に行く程度のことである。行った先にはやはりホテルらしきものは無い。これを5回くらい繰り返したが誰も正しい場所を言ってくれない。ネットで既にホテル代を払っているのにさては詐欺だったか、と心配になった。最後にすぐ近くと思われる場所の別のホテルで聞くと、その人もやはり知らなかったのだが住所が近いので着いて行ってあげようといって一緒に来てくれた。その人が教えてくれた場所は最初に私が「ここかな」と思った場所だった。「ドアを叩け」といってその人は帰って行った。

ドアをたたくと鍵を開けて中から赤い中国服を着た若い女性が出てきた。やはりここがホテルだったのである。しかしホテルとは見えないようにして運営しており、家の中の作りは平屋建ての昔の王宮の小さいようないくつもの建物に分かれている構成である。やっとチェックインできると思ったら今度は予約が入っていないという。「そんなはずは無い、こっちは料金も振り込んでいる」といってパソコンの画面を見せる。受付の女性はマネージャーに連絡して何か話している。

しばらくして、「こちらのミスでした。Hotel.comから予約は入っていましたが、それが登録されていませんでした、という。今空いている部屋は地下の部屋しかない。歩いて10分ほどのShichahai Shadow Art Performance Hotelなら広くて良い部屋があります」という。地下室は嫌なのでそのホテルに移ることにする。ホテルの女性が一緒に来てくれた。

こんなところにホテルがあるのか、と思うような崩れかけたぼろ屋の中を歩くと2階建てのモダンな建物が現れてこれが新しいホテルだった。まだ掃除が終わっていないとしばらく待たされたが結局なかなか広い良い部屋に通してくれた。

大変だったが面白い経験になった。


ハルビン観光

2012-04-29 15:53:38 | 生活

木曜日、金曜日と授業を終えて、金曜日の夜には学部長も参加する飲み会があった。

海鮮レストランでここで注文して部屋で料理を待つ。

野菜もこんな感じ

土曜日はハルビン観光をすることにして日曜日に北京に移動するフライトを組んでいた。空港に迎えに来てくれた于さんが一日付き合ってあちこち案内してくれた。

 午前中はハルビンの東方にある阿城という町に行った。ここは女真族が11世紀ごろに金王朝をたてた時の本拠地である。大きな博物館があるのだが観光客は殆どいなかった。

女真族王宮跡地

案内してくれた于さん

阿骨打の像。ロシアっぽい感じがある

最初の王となった人は阿骨打という人である。絵や彫刻の顔を見ると普通のアジア人と少し違う、ヨーロッパ系の血が混じっているような感じである。阿骨打という名前をどこかで聞いたことがあると思ったら最近読んだ水滸伝に出てきたのだった。水滸伝で梁山泊に集まった一味が阿骨打と組んで宋を倒そうという話だった。実際は阿骨打が宋と組んで当時北方を支配していた遼を倒したらしい。その後、金は宋も倒すのだが元に徹底的にやられてしまう。今、阿骨打の墓は残っているが金王朝の建物は跡形もない。この日は曇っていて風が強く、歩いていると体が冷えてくる。火鍋のレストランで辛いスープの火鍋を食べる。こういうところの料理の選択も地元の人だとうまいものだと思う。汗をかくほどに温まった。

 

午後は極楽寺という仏像のたくさんあるお寺に行った。この日は釈迦牟尼の誕生日だそうで周りに市が立ってお祭りの感じで人でごった返していた。観音像、薬師如来、寝釈迦などを含めてありとあらゆる種類の仏像がある。京都の三十三間堂のように大量に仏像が並んでいるところもある。ただし仏像は皆新しく、京都や奈良のような古い味わいのあるものではない。

于さん友人も一緒

色々な仏像がある

その後、松花江の近くにある中央通りというハルビン一番のショッピング街に行った。歩行者天国になっていて若い人でごった返している。ここでお土産を買った。一人ならとてもこんなに回れなかったろう。車を出してくれた孟先生と、案内してくれた于さんに大感謝である。

 

松花江。利根川より広い感じ

繁華街にて

前回書いた腕の痛みもずいぶん無くなった。この感じだと後2日くらいで完治しそうである。


左腕の痛み

2012-04-27 10:42:18 | 生活

一週間ほど前から左腕の痛みに悩まされている。

特に運動をしたわけでもなく、外傷も無いのだが腕に鈍痛がある。揉むと腕の奥のほうが痛いような感じだった。2-3日するとその痛みが表面に出てきた。肘の下あたりを軽くつまんだだけでも痛い。2-3日湿布をした。その効果かどうかわからないが痛みは減ってきた。しかし、完治した感じではなく、痛みがまた奥のほうに入ったような感じである。腕の先のほうや手の甲辺りにも軽い痛みを感じるようになった。筋肉痛という感じではなく、何か神経がおかしくなっているのではないかという感じである。力が入らない訳ではなく普通に物を持ったりはできる。

これが内臓などだと重大な病気かと心配するのだが、腕なので理由が見当もつかない。出張から帰っても治っていなかったら病院へ行こうかと思う。こういうのは何かに行けばよいのだろうか。やはり整形外科かなと今は思っている。


ハルビンにて

2012-04-26 07:35:32 | 東工大

今、中国のハルビン(哈尔滨)に来ている。ハルビン工科大学で今日、明日と2コマ、3時間ずつの特別講義をする予定である。

ハルビンというとロシア風の建物が有名で名前も日本ではカタカナで書く。漢字は日本では使わない字で、当て字っぽい感じがする。ロシアの都市だったのがどこかで中国の都市に変わったのかと思ったがどうもそうではないらしい。100年ほど前に都市を発展させる時期にロシアから技術者を大量に受け入れたのが今につながっているらしい。都市部の人口は280万人ほどとのことだが印象としては仙台くらいの大きさの感じである。まだ街を歩いていないので良く分からないが、北京などの大都市とは違って古い風情が残っているよな感じがする。

昨日、北京経由で入ったのだが、雨だった。寒いかと思ってコートを持ってきたがコートが必要なほどの寒さでは無い。ホテルはハルビン工科大学の人がアレンジしてくれたホテルで、空港まで于(Yu)さんという若い女性が迎えに来てくれた。聞くと、私の友人である東北大学の安達先生のところに1年間居たとのことで、日本語も少し話せる。学生かと思ったら講師で授業も持っているそうである。ホテルは大学の敷地内にあるのだが、ホテルの人でも殆ど英語が通じない。一人で来たら苦労したことだろう。

昨日は雨だったので到着後はホテルの部屋で明日の準備をしたりしていた。夕食はホストをしてくれた孟教授と、女子学生と一緒に食べた。孟先生は98年頃YRPのドコモの研究所に居たそうで、やはり少し日本語を話す。ハルビンは白酒の名産地で北大倉という銘柄のものを飲んだのだが実においしかった。

ハルビン工科大学の女子学生。

ハルビン名物の豚肉のから揚げ。若干甘みがついている独特の味でこの味付けがハルビン独特なのだという。メニューには無かったが女子学生が注文してくれた。奥のほうに見える緑っぽいのは胡瓜の炒めものだが、酸味がありこれもハルビン独特だという。

今日は晴れている。午前中に大学を案内してくれるそうでそれから授業となる。


ヨーロッパの不穏な情勢

2012-04-24 08:16:44 | 社会

最近またヨーロッパ経済が心配されている。

ギリシャに続いてスペインが心配されていたのだが先日のスペイン政府の発行した国債は順調にさばけて皆一安心した。そかし消息筋によると政府が銀行に強制的に買い取らせたから売れたのであって、その分銀行の体力は落ちているということである。

最近の話題は22日に行われたフランスの大統領選挙である。現職の中道右派のサルコジ大統領と中道左派のオランド氏の戦いと見られており、誰も過半数の得票に達しない場合には上位二人の決選投票になる。私のみた予想では最初はサルコジ氏がリードするだろうが、決選投票になるとオランド氏が勝つのではないかと言っていた。しかし実態はオランド氏が28.6%、サルコジ氏が27.1%でオランド氏がリードした。3位が右派のルペン氏で18.0%、4位が左派のメランション氏で11.1%である。

普通ならルペン氏の票はサルコジ氏に、メランション氏の票はオランド氏の票に流れそうだが、ルペン氏はEUにフランスが組み込まれるのに反対でフランスの独立性を主張し、メランション氏はサルコジ大統領の緊縮財政に反対、ということでどうもサルコジ氏の旗色が悪い。「緊縮財政は良くない」というオランド氏が有利のようである。知識人は「そんなことを言っても実際には金がないのだから、バラマキはできないだろう」とみているようである。なにやら日本の民主党に似た感じがする。

もう一つ、昨夜のニュースで知ったのだがオランダのルッテ首相が内閣総辞職を決めたという昨夜のニュースである。これも緊縮財政が反発を受けて連立政権が立ち行かなくなったとのことである。

これら二つの流れはEUに対する遠心力として働く。実質的にEUを支えているメルケル首相が苦しくなってきてEUがまとまりが悪くなるリスクが高まったと思う。フランスとオランダの選挙がどうなって行くか注目しておく必要があるだろう。

今回改めて知ったのだがヨーロッパのほとんどの主要国は連立政権で運営には苦労しているようである。しかし、日本のように「大臣を辞めさせないと審議に応じない」などというつまらない話は聞こえてこない。今回の二人の大臣は辞めさせるの値すると私は思っており、その意味では野党の意見に賛成である。しかし、全て審議拒否というのは駄々っ子のような態度である。関係する②大臣の絡む問題には審議拒否をするという公明党の態度が理にかなっている。自民党も方針を変えたようだが、野党の態度が日本は見劣りすると思う。


ローマ人の物語、完読

2012-04-22 06:32:19 | 生活

塩野七生氏の「ローマ人の物語、全43巻」を読み終えた。文庫本で43巻で、単行本では全15巻である。読む方でも一仕事した感じなのだから、書くほうは大仕事を終えた感じだろう。普通の人ならライフワークに相当する大作である。

この本はどういうジャンルになるのだろうか、吉川英治の「三国誌」とか山岡荘八の「徳川家康」などに代表される歴史小説ではない。これらの歴史小説は歴史上の事実を題材にした「小説」であって、作者はフィクションの部分とその描写力で勝負している。これに対して「ローマ人の物語」は「古代ローマはどういう国だったか」を事実を通して読者に知らせることを目的としている、いわゆる新書版の「古代ローマ」の分厚いものということができる。普通の新書よりは事実を述べるだけでなく大胆に著者の意見を書いている点が読み物として面白い、ということができるだろう。

そんな訳で「文体が面白くない」という人は少なからずいる。小説よりも論文に近い文体だからである。しかし私はそこに書かれている事実と解釈が面白く、飽きることなく読み続けた。

ローマは紀元前753年に王国として建設されたが、当時のギリシャの政体を学んで紀元前509年共和制に移行している。その後どんどん領土を拡大しイタリアの都市国家から、イタリア全土をカバー、更にスペイン、フランスバルカン半島、トルコ、中近東の地中海側、エジプト、北アフリカと地中海をローマの内海とする大帝国に発展している。そして起源前30年前後のユリウス・カエサル、オクタビアヌスの時代に、形式上は元老院が決定機関であるが実質的には軍を統括する皇帝の管理下に入る、帝政となる。皇帝は次第に世襲色が強くなり王政に近くなってくる。そして東西ローマに分裂し、西ローマ帝国は紀元476年にゴート族やフン族の侵略を受けて滅亡する。紀元476年は皇帝を名乗る人が殺された最後の年で、それ以後はローマ皇帝を名乗る人が出なかったのでローマ滅亡の年とされているが実質的には5世紀の初めには帝国としての機能は果たせなくなっている。

それにしても千年の歴史、日本でいえば弥生時代から卑弥呼、聖徳太子が現れる少し間いくらいの間に、地中海全域を統治する仕組みを整えた古代ラテン人の知力には驚かされる。その後もサラセン帝国やチンギス・ハーンの元帝国など広大な領土を持った国はあるが長続きした国は無い。更にそこに住む住民の多民族性では歴史上群を抜いている。こういうことが可能になったのは法の概念がしっかりしていたからだろう。そしてローマのよりもたらされる平和、パクス・ロマーナが住民にとって好ましいものだったからということには間違いないだろう。

平和は常に起こっている国境領域のいざこざを軍事力で抑えることによってもたらされている。しかし、ローマ人が平和ボケして、「平和は誰かほかの人が作ってくれるもの」と思い始めてそれが常識のようになってきたことがローマ崩壊の最大の原因だと思われる。

私が興味を持っているのはローマが500年の共和制のあとで帝政に移行した点である。議会制民主主義では国を統治できないほどローマが拡大したことが理由ではないかと思われる。現在でもアメリカ、ロシア、中国などの大国は中央集権的制度である。インドは大国で多民族国家でありながら議会制民主主義だが、インドの政治はうまく機能していないように見える。ローマ人の物語はこういった点も考えさせてくれる。

もうひとつ、ローマ人の物語では殆ど触れていないのだが、今のイタリア人と、古代ローマのイタリア人は同じ人種とは思えないほど違う感じがする、という点がある。イタリア人というと、女たらし、ファッションなどに敏感という感じであるが、古代ローマ人は質実剛健、職人気質で今のドイツ人に近い感じを受ける。どうしてこんなに変わってしまったのか、平和が続くと人は変わるものなのか、地球温暖化による気候変動の影響なのか、これは私自身の興味として機会があれば調べてみたい。

ギリシャも古代文明が大変発展した国だが、今は働きが悪く大変な経済状況である。大きな目で見るとイギリスがギリシャの後をたどっているように見える。日本は、中国はどうなっていくのか、大きな歴史の流れも面白いものだと思う。


どうなっている、日本の教育システム

2012-04-19 08:34:43 | 社会

日本の教育システムといっても学校教育ではなくトップに対する教育に着いて今日は書いてみたい。

先日の北朝鮮のミサイル発射問題の対する日本政府の対応を見ていて大きな危惧を私は感じている。事前準備の段階から防衛大臣は問題意識の欠如からか的外れの発言が多かったし、実際に発射された時の情報発信に関しても大きく遅れてきちんと情報収集できていなかったことが明らかになった。

一連の対応を見ていると仮に本当に北朝鮮が日本に向けて発射したら政府首脳は右往左往するだけで指示が出せず、自衛隊も装備は持っていても動けなのではないかと思ってしまう。私は今、塩野七三氏の「ローマ人の物語」の文庫本を読んでいる。丁度、第42巻の西ローマ帝国が滅んだろ頃まで読み終わったところで、本来の話しはこれで終わりなのだが、大作なのでエピローグに相当する第43巻がありこれで完結することになっている。この対策に対する感想は別途書こうと思っているが、感じるのは軍事に優れた指導者がいるときのローマは安泰で、軍事を知らない指導者の時には不安定になっているということである。軍事というのは戦うだけでなく経済、人心掌握、兵站、人事など総合力が最も求められる分野だからである。

過去の大戦の反省から世界中の殆どの先進国はシビリアン・コントロールを引いているが日本ほど軍事を軽視している国は無いのではないかと感じている。選挙であらばれた人が総理大臣に着く、その人が軍事に携わったことのない人物を防衛大臣に任命する、ここまでは殆どすべて国で行われていることで特に驚くことではないだろう。しかし、自衛隊は総理大臣、防衛大臣という指示体系で動く。

私が今回取り上げたいのは素人がトップに着いた時のそのトップに対する教育システムである。特に国防(一般的には軍事)に関してはかなりきちんとした教育システムが不可欠だろう。このブログにま何度か書いたが、反戦を謳い、軍事縮小を言って大統領に当選したオバマ大統領が一月もすると軍備縮小などに対応するのにも「自分は米軍の最高指揮官である」という自覚をきちんと持って発言し始めたのに目をみはる思いだったことを思い出す。

企業でも新しく社長に就任した人は知らないことが多く教育が不可欠だと思うのだが、そのような教育システムは殆どできていないのではないかと思う。アメリカ企業では分野の違う人をCEOに引っ張ってくることが良くあるがそれで務まるのは、教育システムが出来上がっているからだろう。

日本でこういった教育システムを作ると「側近政治」という言葉がすぐ頭に浮かぶ。教育者が不当に大きな権限を握ってしまう懸念である。おそらく海外ではそのようなことを防ぐためにきちんとしたシステムができているのだろう。大型コンピュータが売れなくなって傾いていたIBMの経営を立て直したルイス・ガースナーはナビスコから来ている。IBMのシステムを勉強するのが良いのではないかと思う。

 


葛根湯は効くね

2012-04-17 08:16:00 | 生活

今年はどういう訳だか土曜日に雨が降ることが多い。この間の14日の土曜日も雨だった。

朝、眼を覚ますと何となく体がだるい。別に熱があるわけでもなく、鼻水が出たり咳が出たりという風邪の症状もないのだが、喉が何となくがさがさした感じで、これから風邪をひきそうな感じである。しかし特に問題も無いので普通に起きて朝食を食べた後は新聞を読んだり、パソコンをいじってネットを見たりゲームをしたりしていた。しかし何となく体がだるい状況は変わらない。

天気が悪いので外に出かける気にもならないし、体調からも積極的に外に行く気にもならなかった。昼食を食べてから食後に葛根湯を飲んだ。少しして一見電話をかけた。正式に決まったらまた書こうと思っているが、実はウィトラのオフィスの移転を考えていてその関係の電話である。相手は不在だったので折り返しの電話を待つことになった。実は電話をする前は「電話が終わったら少し横になろう」と思っていた。

しかし、折り返しの電話があるのでパソコンをいじりながら待っていた。30分ほどして電話がかかってきたのだが、その電話が終わった頃には、体のだるさは無くなっていた。もう横になろうという気持ちにはならない。その後は普通に行動できた。

家内に話すと、葛根湯は病気になってしまうと直すほどの威力は無いが、病気になりかけの状態を元の戻すには大変良く効く、という話だった。それを実感した一日だった。


党首討論で感じた一体改革への疑問

2012-04-12 14:48:56 | 社会

昨日、国会で党首討論があった。45分間で総理と自民党、公明党、みんなの党の3党とやるあわただしいもので、内容的に新味が無かったのかあまり報じられていないが私はラジオで聞いていた。話題は税と社会福祉に関する一体改革である。

聞いていて感じたことは、一体改革になっていないのではないか、という私の疑問が確認されたということである。自民党も公明党も、一体改革ではなく単なる増税法案だという指摘に殆ど違いは無い。それに対する野田総理の回答は「一体改革の基本姿勢は大綱で示したし、工程表も示した。社会福祉に対する法案は来年提出する。」というものである。私もこのブログで一体改革ではなく、「まず増税」という動きに見えると何度か書いたが、回答はそれを裏付けたと思う。方向性などは具体論を議論する過程でどんどんずれていく。一体改革では無い、ということを実質的に総理が認めたものだと思う。総理の言い分は「増税には誰も反対していないのだから早く決めよう」ということである。

私が不思議に思ったのは「実施は2014年からなのだからまだ2年ある。来年社会福祉と一緒に議論することが本来あるべき姿ではないか」と野党側からどうして言わないのか、ということである。一体改革というのは全体のビジョンを国民に示してこそ可能なものだろう。何となく裏で話をしているのではないかと勘繰ってしまう。

私の野田政権に対する評価は下がってきている。使命感を持って政治を行うこと自体は好ましいがその使命感が増税だけではないか、という疑念が次第に強くなってきている。それでは決してプレスにならない。むしろ、2年後の一体改革実施に向けて今どういう議論をすべきかを与野党で話し合ってもらいたいという気持ちが強い。