ウィトラのつぶやき

コンサルタントのウィトラが日頃感じたことを書いていきます

高校の政治教育で教師は中立であるべきか

2015-09-30 09:18:44 | 社会

18歳から選挙権を与えることが決まり、高校生に対する政治教育の必要性が言われている。この政治教育に関して「政治的中立であるべきだ」という意見が強く、自民党内部では「違反者には罰則を」などと言っている人もいる。罰則は別として今のところ政治的中立の要請に対する反論はあまり見かけない。しかし私はそうは思わない。私は、教師は自分の思いを率直に述べてよい、と思う。

政治的中立などと言って自分の思いを述べないと無味乾燥な面白くない授業になってしまう。自分の思いを生徒にぶつけて、生徒と議論するくらいのほうが良いと思う。問題は「先生は何でも知っていて、先生の言うことはすべて正しい」という空気感が、特に年配者には大きいことである。生徒は実態はそうではないことは結構分かっていると思うのだが、それでも知識の量には大きな差があるので生徒が先生の思想に染まりやすいということは間違いないだろう。私はある程度は仕方ないと腹をくくるべきだと思っている。

気を付けるべき点は事実と自分の意見を分けて語ることである。そして反対意見もあると紹介したうえで自分の思想を語ることだと思う。これはなかなか難しく、きちんと実現できるかどうかは分からないが、教師に対してこのような方向性は教育すべきだし、頑なに極端な教え方をする教師は排除することも必要だろう。しかし、ある程度の偏りは許すべきだと思う。

自分の経験だと中学の時の社会の先生には、明らかに共産党だと思える言い方をした先生もいたし、「天皇陛下万歳」という感じの先生もいた。一人の先生にずっと教わらずに色々な先生から教われば生徒の考えは中和されると思う。従って年に数回は外部教師などを招いて違った意見を聞かせると同時に普段はどのように教わっているかを確認するのが良いのではないだろうか?

教師の組合である日教組は共産党が強く、放置すれば共産党教育が蔓延することを心配している人が多いのだろうが、教科書と副読本で教える内容を細かく規定し、それ以外を教えるな、という方向に走ると教師の意欲を低下させ却ってよくないと思う。私は内容の偏りを防ぐよりも教師の情熱のほうが重要だと思う。同時に、以前も書いたのだが、教師を評価するシステムを作ることも重要だと思う。教師を信頼して自由にやらせると同時に、教えている内容に随時チェックを入れる、という本来あるべき方向に近づけるチャンスだと思うが、いかがだろう?。



ウィンターコーンかヴィンターコーンか?

2015-09-29 09:42:13 | 生活

フォルクスワーゲンのディーゼルエンジンの不正問題が大きく大きく報じられている。これは根が深そうで同社にとって大きな痛手になりそうである。ライバルのトヨタにとってはチャンスだと思えるのだがトヨタ株も下がったあたりが理解できない。今日の主題はこの不正問題ではなく、前会長のウィンターコーン氏に警察の捜査が入ったと報じられているが、同氏の名前の表現についてである。

同氏の綴りはWinterkornであり英語読みならウィンターコーン、ドイツ語読みならヴィンターコーンである。ドイツ語ではWは英語のV、Vは英語のFの発音になるのでフォルクスワーゲンはドイツ語読みならフォルクスヴァーゲンとなるはずだがなぜか英語読みとドイツ語読みを混ぜた表現で日本では言われている。Winterkorn氏に関しては今朝のテレビでは各社「ウィンターコーン」と発音していた。新聞では日経だけがヴィンターコーンと書いている。なお「コーン」も「コルン」の表記もあるがこの点には今回はこだわらないことにする。

私はカタカナ表記をする場合にはできるだけ原音に近い発音にするべきだと思うし、テレビなどで言う場合にも原音に近いのが望ましいと思っている。元々「V」の発音は日本語にはなかったのだが、明治時代あたりから「ヴ」の表記は使われはじめて広く使われていた。この表記が使われなくなったのは戦後だと思っている。誰が決めたのか知らないがまずい決定だと思っている。

より問題が大きいのは中国語の発音である。日本人は歴史で中国のことを勉強するし、唐詩なども知っている人が結構多い。しかし発音が全く違うので中国人との会話ではなかなか通じない。習近平は「シージンピン」なのだが日本人は皆「しゅうきんぺい」と発音する。「シージンピン」という発音を知っていれば話の通じ方がずいぶん違うと思う。日経ビジネスでは最近「シージンピン」と仮名を振っているが、テレビなどでアナウンサーが読み方を変えればずいぶん違っていると思う。

以前このことについて書いたときに、日中間の協定でお互いに自国語読みをしようと決めたというコメントがあったが、もしそうならこの協定を変えるべきだと思っている。仮に協定があったとしても日本側が中国読みをすることに中国側はあまり抵抗は無いと思う。中国語の場合には四声と呼ばれるイントネーションが非常に重要なのでテレビで正しい発音をしてくれると日本人の中国語リテラシーがずいぶん違ってくると思う。

日経系のテレビ局であるテレビ東京の視聴者コーナーにこのようなコメントを入れたのだが、声が大きくなればテレビ局も考えてくれるのではないだろうか。



科学技術の長期トレンドを考える

2015-09-21 11:15:43 | 東工大

今日は多くの会社で5連休の中日だが我がウィトラは仕事をしている、と言ってもいつもよりのんびりした感じである。以前にも書いたような気がするのだが科学技術の長期トレントについて感じていることを書いてみたい。

私の見方では20世紀の前半(1960年頃まで)の社会に大きな影響を与えた技術は人類が動力と電気を手に入れたことだと思う。これらがあらゆる面での人間の行動を活発化させ、技術もあらゆる分野で進歩したのだがやはり生活に大きな影響を与えたのは交通と電気だと思う。

20世紀の後半は半導体技術の進歩による情報通信機器の進歩である。コンピュータや光ファイバの性能は10万倍、100万倍に上がった。

そして21世紀の前半はインターネットと生命科学だと思う。生命科学の進歩と影響も非常に大きなものになると思うが、経済的に影響の大きいのはインターネットだと思う。インターネットは目に見えるものではないので「それほど影響が大きいのか」と思われるかもしれないが、私は知識の獲得手法が格段に進歩し知識を獲得しやすくなる点が大きいと思っている。これは「情報格差」を少なくし、世界各地での価格相場を知らないで安く買いたたかれていたアフリカの人たちなどに大きな恩恵をもたらし、経済格差縮小に役立つと思う。先進国では必要とされる「知識」の質が変わってくる。

21世紀の後半は「ロボットの時代」になると思う。この時代になるとIBMの「ワトソン」のような巨大人工知能、ロボットスーツ「HAL」のような人間の体の動きを助けるものができて、人間の生活はまた大きく変わると思う。そしてこの時代になると縮小した経済格差は拡大する。今、人間の多くが比較的「高級」と思っている仕事が7割くらいロボットに置き換えられていくだろうと思うのである。学校教育、中間管理職の判断、研究などがロボット(人工知能)が指示を出してその通りにやったほうがうまくいくようになる。例えば薬の開発などでも「これとこれを組み合わせてやってみたらどうか」ということを人工知能が100種類ほど提示する。人間はそれに従って薬を作ってみて動物実験を行い人工知能に報告する。人工知能が次の提案をする。特定の研究室ではせいぜい2-3種類しか試せないが、人工知能は世界中の情報を集めるので実験の進み方がまるで違う。人間が指導する研究室は人工知能に負けていくわけである。こうして多くの人間はロボットの指示に従って実験を行い報告を上げる部下になる。

もちろん、人工知能を制御する人間もいるわけだが、それはごく一部の極めて優秀な人たちである。そして世界中が「この極めて優秀な人たち」の奪い合いになる。こうして格差が拡大していくわけである。

格差縮小と格差拡大は多少時間のずれはあるが、重なって同時並行的に起こる。今、世界では先進国と新興国の格差縮小が起こると同時に、先進国内での国民の経済格差の拡大が起こりはじめている。

こうした流れに対して、全体的に日本は問題意識も取り組みも遅れていると感じている。私自身は人間が人工知能に使われる時代にはおそらく生きていないと思うが、私の孫くらいの世代にとっては大きな問題になるはずで、今から考えておくべきだろうと思う。



閉塞感を感じるこの頃

2015-09-18 09:46:33 | 社会

最近の日本の状況に閉塞感を感じるのは私だけだろうか。

中国初の株安に対してアベノミクスが賞味期限切れ感があるのに加えて、大雨や桜島、阿蘇山の噴火、関東でも震度5の地震もあった。そして安保法制をめぐる国会のドタバタ騒ぎである。国会は数の論理で決まるので最後はこうなることは予測できたが、欧米でもこのような決まり方をするのだろうか。野党は与党が強行採決したということを印象付けるためにパフォーマンスとしてやっているのだろうが、こうでもしないと大きく報じないマスコミ対策だとしても、みっともない感じがする。

今回の安保法制が決まれば日本は戦争をできる国になる。一部の野党は「武力行使は国会の承認が必要」というところで手を打ったようだが、今回のような決め方をすれば国会の承認は得られるのである。多くの戦争はお互いに「相手から仕掛けられた」と言って始まる。先日の北朝鮮と韓国のような緊迫した事態になれば、日本が戦争に走ることは可能な状態になると私は思っている。

もっとも、安倍総理が戦争しようと思っているとは私は全く考えていない。韓国と北朝鮮の間も収まったが、仮に日本と北朝鮮で同様の緊迫した事態が生じたとしても事態は収まると思うし、今回の安保法制は、むしろ緊迫した事態が生じることに対する抑止力として機能するだろうことは私も理解している。しかし、もし安倍総理の考えが変わったら、例えば何らかの理由で耐えがたい屈辱を被ったりしたら、事態は悪化する可能性はある。今回の安保法制は緊迫した事態を未然に防ぐ効果があるのと同時に、最悪の場合には今までよりもひどいことになる可能性を作ることになる。

シリアのアサド大統領のような人物が、日本の総理大臣になれば、戦争に突入する可能性は今までよりもかなり高くなると思う。もっともこれは日本固有の問題ではなく、大部分の国でこのようなシステムになっているので日本だけが特別に危ないわけではない。日本に対する私の懸念は国会議員個人が自分の意思を表に出さないことが多い点である。自民党の中にも今回の安保法制は違憲で反対だと思っている人もいるはずだが、誰もそれを言わない。それは日本の政党が選挙に勝つための政党で、政策の考え方は一致している人が集まったというカラーが大きいからだと思う。無記名で今回の安保法制を通すべきかと問えば、与党から反対も出るし、野党から賛成が出るだろうと思っている。つまり、日本は国会議員の過半数が内心では反対でも法案は通ってしまう可能性が高い国だと思う。

この法律が世界からどう見られるだろうか? 私はこれだけの大騒ぎをして決めるのだから、世界(欧米)からの信任が上がらなければ意味がない、と思うのだがその期待は薄そうに思う。世界からの信任が上がるというのは、これまで世界の安定を保つためにいろいろな活動(ISとかボコハラムとか海賊対策など)をしているのに、日本は憲法を盾にして断ってきたのが、断らなくなるか、応分の責任を負うか、という点にあると思う。しかし、国会の審議を聞いていると「自衛隊のリスクが上がる」「リスクは上がらないようにする」などと言った自己中心的な議論に終始しており、世界の安定を保つための日本の責任はほとんど議論されていないからである。

結局、最悪事態のリスクが上がるので、選挙で政権選択をすることに対する国民の責任が重くなる。日本国民は一時の勢いで政権選択をする(ギリシャのように)可能性は比較的高いと私は思っており、そこが最大のリスクだと思っている。

 


屋根に太陽光発電

2015-09-15 09:04:27 | 生活

このところ、プライベートな話題が続いているが、今日は我が家の屋根に太陽電池を設置したという話である。

実はこれも先日書いた東京ガスのエネファームと関連している。私は少し前から屋根に太陽電池を置きたいと思っていてエネファームには興味がなかったのだが、エネファームを売り込みに来た東京ガスの人によるとエネファームと一緒に太陽電池を設置すると設置費用を値引きすると売り込んできた。仕組みは以下のようである。

既に書いたようにエネファームは電気を使っていないときにはお湯を沸かすことになるのだが、お湯を使わない時間帯に沸かしてもそのうち冷めてしまう。そこで慎重に運転時間を調整しているのだが、太陽光発電を設置すると、余った電気を東京電力に売電する仕組みを付けるので、エネファームとしてはあまり気にせず発電することができる。つまり、太陽電池とエネファームの両方で発電して余った電気を売電すればよいわけである。ガスは使うのでガス代は上がるが、売電価格は高めに設定されているので私にとってはむしろ得になる。東京ガスにとってもガスを使ってくれるのでメリットがある、という仕組みである。

装置価格が割引になるので設置を決めた。太陽電池は京セラ製である。エネファームはパナソニックで、この両者は東京ガスを売り子として使うあたりがうまいものだと思う。昨日太陽光パネルが設置されたのだがまだ発電はしていない。東京電力との契約に時間がかかるそうで契約が完了してから引き渡しになる。おそらく電気代は売るほうが多くなると思う。

これで、停電になっても、ガスと太陽光でかなりの電力が使える。もっともガス管も壊れて屋根も壊れればどうしようもないのだが・・。

経済的には今はメリットがあるが、原子力発電が再開して電気代が下がり、逆にLNG(液化天然ガス)価格が上がれば裏目に出るのだが、シェールオイルの話もあり、数年間は今の流れが続くだろうと思う。本来なら今流行のIoTで、そのときの電気代、ガス代、売電価格に応じてエネファームの運用プログラムをネットワークから制御して自動的に変更するシステムにしてほしいところだが、そこまではできていないようである。

 


ランチ時に飲むワイン

2015-09-12 16:21:33 | 生活

このところ週末は殆どウィトラに行って昼食を自分で作っている。

メニューはいつも同じでサラダと焼き飯。最も材料は毎回違う。

サラダはトマト、キュウリ、キャベツ、玉ねぎ、レタスの内、家にあるものを持って行って3種類以上は入れることにしている。玉ねぎはほぼ毎回入れている。大根があるときは大根おろしをかける。ドレッシングは使わずオリーブオイルと醤油をかける。
これを食べながらワインを飲む。その後で焼き飯を作って食べる。結構豊かな気分になれる。

ワインの量は1本のワインを4回に分けて飲むのでいわゆるグラスワイン一杯程度である。ワインはマイバスケットで買う一本599円または999円のワイン。999円のワインはコルクの栓がついているが、599円のワインは手で空けられるようになっている。当然999円のほうが旨いが、599円でも私は構わないと思っており、その時の気分でどちらを買うかを決めている。

数か月前にANAのマイルの使用期限がきたので1万マイルでワイン5本セットと交換した。1マイル1円相当なので一本2000円相当のイタリアワインが5本、全部違う銘柄なのだが 、飲んだ感じて言うと、3本は599円のワインと比べてどうか、という感じで、2本は999円のワインと比べてどうか、という感じだった。マイルで交換するものは割高なのだろうが、それにしてもちょっとどうかという感じである。もっとも私はワイン通ではなく、銘柄も全く覚えられないので自信は無い。でも自分の味覚からいうとマイバスケットのワインのほうがはるかにコストパフォーマンスが良い。

私はこのように安いワインを中心に飲んでいるのだが、最近「なかなか旨い」と思ったワインにサイゼリヤで飲んだワインがある。その店で一番高いワインを注文したのだが、高いと言っても店の価格で2500円くらいなので、原価は1000円くらいの物だろう。しかし、これは普段飲む999円のワインより「格上だ」と感じた。

私のワインに対する味覚はどうも価格とはずれがあるらしい。

 


アナログ感のするラジオ

2015-09-09 08:04:18 | 生活

私は今年に入って平均2万歩以上歩いている。最近は雨が多く歩数が下がっているが来週には普段のペースに戻れると期待している。歩きながらラジオを聴いている。スマホでインターネットラジオで聞いても良いのだが、電池が減るのが気になるので8000円程度のAM-FMラジオを3年くらい前に購入して歩きながら聴いている。このラジオを使っているうちに次第に不具合が出てきた。

最初に駄目になったのはイヤホンジャックで接触が悪くなりステレオが聞けなくなり、そのうち音が出なくなってきた。この種のデバイスで最初に劣化するのがイヤホンジャックの接触不良であることが多いと思う。私のラジオにはもともと、片耳に充てるイヤホンがついており、引っ張ると内蔵されているケーブルが伸びるようになっている。ステレオは聞けないが、「それでも良いか」と思い内臓イヤホンで聴くことにした。

それでしばらくすると次にAMが聴けなくなった。これは回路のどこかの接触不良だと思う。FMは問題なく聴けるのでその後はもっぱらFMを聴いている。その次にはチャンネル選択ボタンが効かなくなった。NHK-FMとかFM東京とかFM横浜とかの周波数を登録しておいてボタンを押すと周波数を切り替えるものである。これが動かないので、少しずつ周波数を変えて82.5MHzで止める、というようなやり方をしている。更にイヤホンケーブルの巻取り機能が怪しくなってきた。掃除機の電源コード巻取りのような機能がついているのだが何となく不安定になってきている。まだ使えるので、使っているがあと数か月で終わりのような気がする。今のラジオの場合にはイヤホンの巻取りができなくなったら買い替えようと思っている。

アナログラジオという言葉は電波の送信方式がアナログ方式であることを言っており、上記の不具合は電波の使い方とは無関係なのだが、これらの不具合が1年くらいかけて数か月単位でひとつずつ出てきている。この劣化の状況は、いかにも「アナログ感がする」と感じており、何となく人間の老化を連想する。早く歩けなくなり、目が弱くなり、耳が遠くなり、次第にいろいろなことができなくなる自分の将来を暗示しているような感じがしている。そう思うとかえって愛おしく、寿命が来るまで使いきってやろうと思う。

 


国家企業の影響を考える

2015-09-08 14:18:06 | 経済

G20では中国発の経済変動に話題が集中したようだが、私が世界経済で気になっていることに一つに国家企業の影響がある。

例えば石油企業の国際メジャーというとエクソンやシェル、BPなどが思い浮かぶが、事業規模が圧倒的に大きいのはサウジのアラムコであり、他にもロシアのガスプロム、中国のペトロチャイナなどが大きく、原油価格などは市場価格だけでなく国策も交じって決まっていると考えるべきだろう。最近では中東の航空会社がシェアをの伸ばしていて、民間とは資金力がまるで違うので困っているとユナイテッドの社長が語っていたのを読んだことがある。資金力に圧倒的に差のある国営企業が競争に参入してくると市場がゆがめられる。G20などではこういったことのルール化を話し合うべきではないかと思う。

最近私が気になっているのは鉄の価格である。鉄の需要は中国が非常に大きく、中国では多くの鉄鋼会社が生産を増やしている。最近の中国経済の減速で、余り気味なのだが減産はしておらず、中国企業が安値で大量に輸出していると聞く。私はこれがレア・アースの時のパタンに陥らないかと気にしている。レア・アースはその名の通り世界的にレアな元素で中国の奥地でとれるので中国が世界シェアの95%を占めていた。それがあるとき中国政府が急に輸出を絞り、品薄のうえ価格も暴騰した。携帯電話に使われていたので、携帯電話メーカーはレア・アースを使わなくて済むように研究開発を続け2年後くらいにはレア・アースの使用量は大幅に減少した。

鉄は工場を止めたりすると再起動に長い時間がかかる。工場を閉鎖してしまえば増産には非常い長い時間がかかる。中国企業は赤字でも政府の援助で生き延びられるが他の国は難しいだろう。製鉄の分野で中国企業以外で強いのはアルセロール・ミタル(インド資本)、韓国、日本とほとんどがアジア資本である。中国に対して政治力を発揮できそうにもなく、身動きが取れなくなるのではないかと気にしている。

私の知識は数字を伴っておらずあやふやなものだが、気になる動きである。


京都に行ってきた

2015-09-07 09:25:16 | 生活

土、日と京都に行ってきた。大学の同窓会があったのと、私の父のお墓が京都にあるので墓参りを兼ねて行ってきたものである。土曜日の朝早く家を出て10時過ぎに京都に着き、11時半頃には墓参りを終えていた。

それから、京都大学まで歩いた。墓は太秦映画村の近く、京都市街区の西の端にあり、京都大学は東の端にあるので、京都市内をほぼ真横に横切った感じである。3時くらいに着くだろうからホテルにチェックインしてから会場のレストランに向かう心づもりだった。途中、京都御所の近くで昼食を取り、京都御苑や、新島襄の自宅(大河ドラマ「八重の桜」で有名になった)、京都市歴史博物館、を見て京都大学に近くについたときにまだ2時くらいだった。見学したのはいずれも入場無料の場所である。

時間が余ったので平安神宮に行ってきた。御所と平安神宮のどちらが良いかは私の感覚では5分5分だが、平安神宮のほうには観光バスが大量に来ていて外国人も多かった。ここではじめて有料の庭園に入った。600円だったが無料のところに比べて特にどうということは無かった。3時にホテルにチェックインしてから同窓会場に向かった。

同窓会は理学部の同学年の同じクラスのメンバーという極めて限定された集まりで、17人くらいが集まっていた。このところ4-5回開催しているので大分顔なじみになっている。2次会の場で京都大学のOB会は弱すぎるのではないかという話題が出た。京大OBは「群れない」とことを誇りとしているがそれにしてももう少し組織化しても良いのではないか、という話である。それもそうだと思い、少し考えてみようかと思っている。

翌日は朝5時頃に目を覚まし、6時にはチェックアウトした。それでいわゆる「東山コース」を歩いた。学生時代は銀閣寺から法然院、哲学の小道から平安神宮に出て、知恩院、円山公園、高台寺、清水寺を経て国立博物館、三十三間堂を通って京都駅に出る道である。今回はホテルが3条京阪の近くだったので知恩院から京都駅に向かった。ホテルの近くに囲碁の家元である本因坊家ゆかりの寂光寺があるのでそこに立ち寄った。

朝早いので涼しくて歩きやすい。上り下りが結構あるが良い運動になるくらいの感覚だった。朝早いので拝観料を取るような場所は基本的に開いていないのだが、清水寺だけは開いていた。40年ぶりに東山コースを歩いてみて改めて京都の寺社仏閣の多さを感じた。私はあざみ野近辺を歩いて、少し大きなお寺などがあると写真を撮っているのだが、横浜あたりで「これは立派だ」と思うようなお寺が京都ではごろごろしていてごく平凡な寺である。寂光寺は横浜あたりにもある程度の規模のお寺だが、京都ではごく小さな末端の寺という感じである。清水寺には何度か行っているがいつも「良いな」と思う。

清水から京都駅に向かう途中に京都女子高というのがあり、日曜日なのに制服で学校に向かう女子高生を見かけたが、このあたりに比べて「スカートが長い」と感じた。

8時頃に駅の近くの喫茶店でモーニングサービスを食べて外に出ると雨が降り始めていた。それ以上の観光はせずに新幹線で帰ってきたので午前中には横浜に帰り着いた。楽しい週末だった。



2020年オリンピックの不祥事続出は組織化の失敗ではないか

2015-09-04 09:53:48 | 社会

東京オリンピック関連で不祥事が相次いでいる。新国立競技場の予算問題で白紙撤回したのに続き、エンブレムも白紙撤回し、東京オリンピックの遂行力が疑われ始めた。

いずれの場合の責任の所在が不透明と言われているが、私は根本的な問題として組織化を失敗したのではないかと思っている。組織委員長に森喜朗元総理を任命したのが間違いの始まりで、利権に群がる官僚や業界と、事業センスのないスポーツ団体が動かしていたので産業的課題に対して適切に対応できなかったのだと思っている。佐野氏のエンブレムの場合は盗作と言えるのかどうかは不明だが、組織委員会の対応には疑問を感じている。新国立競技場の場合には責任はJSC(日本スポーツ振興会)とされているが、JSCは責任を取ろうとせずに批判されている。安倍総理が新国立の計画を白紙撤回したときも森組織委員長と話し合って直後に白紙撤回を発表しており、森氏の影響が大であったと思われる。

調べてみると1964年の東京オリンピックの時には政治家の津島壽一氏が組織委員長だったが1962年のアジア大会への参加の混乱の責任を取る形で辞任している。出処進退のきれいな人だったようである。後任には安川電機を設立して九州電力に会長を務めた安川第五郎氏が勤めている。その後、札幌冬季五輪の時はフジテレビの会長から経団連会長となった植村甲午郎氏、長野冬季五輪の時には新日鉄から経団連会長となった斎藤甲四郎氏が組織委員長となっている。

オリンピックはスポーツイベントなので文部科学省の管轄となる。文部科学省は産業界には疎いのでバランスをとる意味でも組織委員長は産業界から出すのが妥当だと思う。形式的には下村文部科学大臣が森総理に依頼した形になっているが、安倍総理の意向であることは明らかだと思う。良く大臣などが不祥事を起こすと総理の任命責任が話題となり、私は任命責任を騒ぎすぎではないかと思っているが、本件に関しては安倍総理のオリンピック組織委員長の任命責任は重いと思っている。