ウィトラのつぶやき

コンサルタントのウィトラが日頃感じたことを書いていきます

「あの人は技術に関しては外さない」

2017-05-14 17:17:13 | 東工大

20年くらい前に私が会社勤めをしていたころ「あの人は技術に関しては外さないからねー」というような話を同僚としたことがある。最近、企業内でこういう話がされているのだろうかと感じている。

どういう場面でこの話をしたかというと、これを言ったのは同僚で「ある人」の意見が今一つ腹落ちしていないのだけれど、過去の実績から外れていることは少ない、という意味合いで使われていた。私も同意した。私自身の専門技術分野からは若干ずれた分野だったので自分では判断できなかったが「あの人」の言うことは信用してよいだろうと感じていた。自分の専門分野では周囲の人にこう言われたいものだと思っていた。

何気ない言葉だが結構重要な意味合いを含んでいると思う。まず、「外さない」というのは「詳しい」というのとは違う。「技術に詳しい」人は結構たくさんいるのだが、大部分の人たちは現状どうなっているかについて詳しいのであって、将来どうなっていくかについてはあまり読めない。「外さない」というのは先が読めて、その読みが当たるだろうと信用されているということである。

「技術に関しては」というのも重要だと思う。できる人だが、その人の意見を全面的に受け入れるわけでは無い。技術的洞察力が優れていると評価していて、その部分を信用している、ということである。日本社会では「誰かに付いて行く」と決めるとその人の言うことを何でも受け入れる、というような風土があるが、万能の人はめったにいない。優れている部分を見つけ出し、その分野では信用する、というような姿勢が重要だと思う。

カリスマ経営者と言われる人はこういった人の能力を見抜く眼が優れていて、「この分野ではこの人」と決めて、意見を聞き、判断をしているので短時間に次々と決断をしていくことができるのだろうと思っている。CTOとかCFOとかいう言葉は、そういった人物を探し出して任命することを意味していると思うが、日本では組織として探し出す仕組みはできておらず、適任者がいなくても役職の一つとなって、誰かをその業務に割り当てるということになっていると思う。

洞察力のある人を見抜くことも重要だが育成することも重要である。そのためには、普段から将来どうなるかについて意見を戦わせることが大切である。意見を言いにくいような企業風土は論外だが、言いやすい風土でも目先の議論はしても少し遠い先のことになるとあまり議論しないし、議論したとしても後になると忘れてしまうことが多い。日本では部下が上司の見識を知る機会は結構あるが上司が部下の見識を知るチャンスは少ないように思う。これを意識して引き出すようにする必要があるだろうと思っている。

現状では個人の経営者で部下の能力を見抜く眼を持っている人がたまにいて、その時はうまく機能するが、経営者が変わるとCTOなどは形骸化することが多い様に感じている。



フェイク・ニュースの扱いについて

2017-05-11 15:01:35 | 東工大

最近、フェイク・ニュースという言葉を時々聞く。端的な例は「アメリカの大統領選挙でローマ法王がトランプ候補を支持した」というのがある。私はこれは所謂ロシアのサーバーテロ的な政治的意味合いを含んだものかと思っていたが、どうもそうではないらしい。政治的フェイク・ニュースもあるが、どうも大部分は怪しげな人物の小遣い稼ぎのようである。先日、テレビでその小遣い稼ぎの連中に取材した番組があって、興味深かった。日本で言えば「大谷翔平のけがは重大で再起不能」といった類の情報を根拠なく流すのだがキーワードが有名人で重大な影響がありそうだと、転送されて読者がどんどん増える。それで広告がついて結構よい収入になるらしい。

フランスやドイツ政府ではこのようなフェイク・ニュースを探し出してプロバイダーに連絡するなどを始めているが、フェイク・ニュースを探すのは作るよりもはるかに手間がかかるため焼け石に水だそうである。各国政府は頭を痛めているらしいが、小遣い稼ぎの商業的フェイク・ニュースならば対応はそれほど難しくないように思う。広告費を払うということはプロバイダーが口座を管理しているので、フェイク・ニュースを作成している講座を突き止めることは可能で、支払いを止めるとか、警察に連絡するとかいうことは可能だと思う。ある程度実績のあるサイト(口座)でないと広告費は支払われないので、毎回別の人物に成りすますことも難しいだろう。問題は経済的な意図はなく、偽情報の拡散そのものを狙っている場合である。これは政治的な意図がある可能性が高いだろう。

私は4年ほど前に「「サイバー交番」のススメ」という記事を書いた。街中にあるリアル交番の1割程度を減らし「サイバー交番」という組織を作って、ネット上の様々な問題点に対応してはどうか、という提案である。このブログ上でも特に反応はなく、その中もそのような組織を作る動きは無いが、4年間経過してサイバー交番の必要性は増していると思う。あの時の気持ちはますます強くなってきている。インターネット上の様々な問題に関して、政府は問題が起こるたびに対応策を考える「モグラたたき」をしているように感じる。ネット上の問題に関して包括的に対応する体制を考えるべきではないかと思う。


日本の大学を強化するには

2017-05-03 16:14:41 | 東工大

大学の今後の強化のための考え方について私の考えを整理してみたい。

コメントにも入っているように、大学の教授というか研究室の評価はほとんどなされていないのが実態である。それは教授会が大学の意思決定機関になっていて、教授の身分は保証されているから、という点から来ていると私は考えている。従って、企業のように「人事考課」のような仕組みを取り入れることは大学の構造を根本から変えることになり、私立大学ではできても公立大学では現実的ではないと思う。

現在、大学教授に対する「人事考課」が存在しない(教授になるときには評価される)、からと言って大学教授に業績に関するフィードバックが機能していないわけでは無い。殆どの大学では教授は給料はもらえるが研究費は自動的にはもらえない。「研究費は自分で稼いでこい」というのが大学のスタンスであり、教授たちは様々なプロポーザルを書いて国または企業から研究費を稼いでくる。その意味で大学教授は中小企業の社長と言える状況であり、大学の教員は(教授だけでなく)自分の研究成果をうまくプレゼンする能力は開発される。これは黙々と仕事をやっていれば上司が評価してくれる企業とは異なった環境で、企業より良い面もあると思う。研究費の大部分は科研費と呼ばれる文部科学省の研究費であり、これは各大学からのプロポーザルを他の大学の同じ分野の教授たちが評価していると言える。

現在、文部科学省はこれまでの一般的予算を徐々に減らして、学長裁量を増やしたり、競争的資金というのを増やしたりしている。競争的資金というのは個別の教授の研究資金ではなく、ある程度まとまった複数の研究を一つの大きな流れにまとめ上げるもので、5年間くらいの期間で、企業や地域を巻き込んで行うことが求められる。大学間の提案でコンペを行い、審査に通った案が資金を得られるので、大学では教授たちが集まってストーリーを作っている。このやり方は一定の効果を生みそうに思う。大学内でも社会の役に立つ有力な研究をやっていて中心的に動けるのは誰か、という点が明確になる。実態としてどのような案が高く評価されるのか、研究はうまくまとまっていくのか、等に問題はあっても方向性は良いと思う。

私が最近の動きで「良いな」と思った例はStanford大学のCARSという組織である。これは自動運転に関して、技術開発から、法整備、保険の考え方など自動運転に関わる幅広い分野を総合的に研究する組織で、Stanford大学の教授たちが核となって組織を作り、多くの自動運転に参入しようとする企業が賛同して研究員を送り込むような組織に発展している。私の居た東工大では「環境エネルギー協創教育院」という組織ができていて省エネ技術などを研究する組織となっているので似たような性格だと思う。だが、地球温暖化を巡る先進国と新興国の対立をどう解くか、とかCO2の取引価格のビジネスモデルはどうするべきか、とかいった技術以外の分野に関する取り組みは弱く、技術的内容が殆どであったように思う。この組織から気候変動を議論する国際会議の日本案が出てくるような位置づけになれば面白かったのに、と思う。このような、技術と経済、法律を合わせたイノベーションが求められている分野は少なからずあると思っている。

政府はそれなりに工夫している状況がみられるので、大学がどういう動き方をするべきかについて考えてみたい。大学の意思決定が教授会をベースとしているという仕組みを変えるのは抵抗も大きいしうまくいくかを見通すのが難しいので継続するべきだと思う。教授会が各教授の評価をするのは現実的ではないので、准教授以下を評価するべきだろうと思う。准教授や助教の評価は今より時間をかけて行い、何年間かの評価の結果としてその人の成長を見定めて昇進を決めるべきだと思う。

教授の評価を大学内でどうするかは難しく、私も良いアイデアを持っていない。教授の業績を評価するよりも大学としてのブランド価値構築にその教授や学科がどれだけ貢献しているかを評価して、新組織を立ち上げるときの参考にするなどが良いのではないだろうか。これは教授会の上の理事会で行うのが良いと思う。一般的には「あの大学のあの分野は強い」といった認識がある。これを戦略的に「強いところを一層強くする」のが大学が取るべき戦略だと思う。

これまでは主に「研究」について書いてきた。大学のもう一つの大きな役割は「教育」であり、どういう人材を育成するべきか、は大きな問題であるか、この点に関しては別途気の付いたときに書くことにしたい。


日本の大学の体制を考える

2017-04-25 16:51:47 | 東工大

前回に続いて大学の体質強化の話である。大学教授は待遇面でも一般企業とかなり異なっている。大学教授は社会的なステータスは高いが給料はそれほど高くない。私立大学は別かもしれないが、国立大学は有名教授だからと言って特別に給料が高くなるわけではない。今、苦境に立っている東芝でも、東大教授以上の年収の人が東大教授全体よりもかなり多くの人数が居るだろう。役員になれば東大教授の数倍貰っていると思う。大学教授は給料はそれほど高くはないが、降格されることは無い。よほどの不祥事でも起こさない限り定年まで職を追われることはないだろう。これは日本だけではなくアメリカでもテニュア制度と言って大学教授は定年まで勤められる代わりに給料はそれほど高くない仕組みになっている。

競争が激しい現代にあって、このテニュア制度を廃止するべきだろうか? 学問という性格上、個々の教授は社長だとみなして介入しないという原則と合わせて考えると、このテニュア制度も維持したほうがよさそうに見える。そうすると各教授がすべて研究室内で准教授を跡継ぎとして立てれば、新陳代謝は起こらず、研究室の数は増えるだけということになるだろう。戦後、教育システムが崩壊したところから再立ち上げして、経済発展してきた時期は、教授数が増える一方でよかったが、経済が飽和し、人口が減少を始めて現代ではこのやり方は維持できないことは明らかである。そうすると、准教授の教授昇格審査を厳しくして、教授に昇格できない研究室を作るか、教授のパフォーマンスが悪いところは准教授を持てないようにする方法などが国としては不可欠だろう。2割くらいは跡継ぎの教授が居ない研究室ができる一方で、15%くらいは新しく就任する教授ができる、というような形にしていけば、新陳代謝が起こりつつ、人口減少に合わせて教授数も減っていく、という調整ができそうである。

大学教授の評価をすることは極めて難しいし、教授同士で評価をしたがらないという傾向もある。しかし、総数の枠を抑えて減らさないといけないというようにしていけば、どうやれば納得性の高い評価ができるかは大学が工夫するのではないだろうか? 今の政府の取り組みがどういう方向に向かっているのかを私は知らないで書いているのだが、新陳代謝が必要、枠は増やせない、テニュア制度は維持するという条件を付けるとこんな方法しかないのではないかと思える。


日本の大学のレベルを上げるには

2017-04-22 09:29:08 | 東工大

先日、私が東工大の特任教授になる際に声をかけてくれた安藤教授の最終講義があり参加してきた。最終講義は定年で引退する教授が行うものであるが安藤教授の場合には東工大の副学長になっており、電子情報通信学会の会長になることも決まっているので、これからは暇になるどころかますます忙しくなって日本の大学教育、学術振興に関して尽力しないといけなくなるだろう。

日本の大学は世界でランキングがどんどん低下してきており、この傾向は今後も続くと思われる。大学だけでなく産業界全体、つまり日本全体の競争力が低下してきているので、大学だけの問題ではないのだが、大学のランキング低下は産業全体の低下よりも早いペースで続いている感じがする。これは何が根本原因なのかを考えてみたいと思う。

日本の大学の停滞感の最大の原因は新陳代謝の悪さにあると思う。これは組織が硬直化してきていて、新しい発想が出にくくなっているということである。大学は教授個人が中小企業の社長のような感じでほぼ独立した運営権を持っており、大学全体でみると中小企業の集合体のような形になっている。中小企業の社長はそれぞれが自分の会社を維持したいと願うから、大学全体の予算が増えない現状で新しい中小企業ができることは極めて稀で、これが組織の硬直化につながっていると思う。

大学が中小企業の集合体であるということは、大学が学問という分野を扱っており、多様性が重要視されることから仕方のないことであり、世界中で多かれ少なかれ、そのような性格を持つことは必然性があると思う。しかし、日本では大学教授たちが研究室を持つことを既得権と考え、パフォーマンスの悪い研究室をつぶすことが極めて困難であるという風土があるし、そのような仕組みになっている気がする。少し前に文部科学省が「文科系の学科を減らす」と発言して袋叩きにあったが、社会的に役に立っていない分野には補助金を減らすというのは自然な発想であり、メディアが文科省に反対の意見ばかりを取り上げるという、日本の風土では大学の改革は進まないだろうと私は思ったものである。

中国などでは国が事業を行っている分野がかなりあり、大学がその開発センターの役割を担っている場合も多い。このような分野には開発資金が投入されるので予算規模が全く違ってくる。国際ランキングを上げる上で大学に資金投入が大きいほうが良いことは間違いないので、中国の大学がランキングを上げてくるところが増えるのは止めようがないだろう。日本の大学は経済状況が似通った状況にある欧米の大学との比較で考えるべきだと思う。

欧米の大学との比較で私が気になっているのは研究室の雰囲気である。長年GoogleのCEOを務めたエリック・シュミットが「How Google Works」という本の中で「私がGoogleに経営陣として招かれた時には、いよいよ彼らのビジネスの世界で戦う決意をしたのだな、と思ったのだがラリー・ペイジとセルゲイ・ブリンから依頼されたのは、『大学の研究室のような雰囲気を保ちつつ、Googleを発展させてほしい』ということだった。そして今、Googleは6万人を雇用する大企業になったが大学の研究室の雰囲気を保っている」と誇らしげに描いている。ここで言う「大学の研究室のような雰囲気」の組織とは、権威主義的でなく、自由な発想でモノが言えて、良いアイデアが採用されていく、ということを意味している。そしてエリックがこういう言い方を本の中でしているということは「大学の研究室のような雰囲気」という概念が広くアメリカ国内で共有されているということだろう。

日本の大学ではどうだろうか。教授と学生の距離が社長と新入社員の距離よりも近い、ということは事実である。これは研究室が中小企業的な小さな所帯だからだろうと私は思っている。一方、「権威主義的でない」かという点に関してはかなり怪しいと思っている。「誰が言ったか」で受け止められたかが大きく異なるのが一般的な研究室の空気ではないだろうか。これは言うまでもなく教授の個性による点が大きく、権威主義的な研究室もあるし、そうではない研究室もあるだろう。だからこそ、全体として権威主義を排して自由な発想が出やすくすることは難しい。私自身答えを持っていないのだが、大学全体の雰囲気を変えていくことは大学のマネージメント上極めて重要だと思っている。


渋谷から市ヶ谷まで歩いた

2017-02-27 09:57:25 | 東工大

昨日は、市ヶ谷の日本棋院で「ジャンボ囲碁大会」が開催され、参加してきた。これは15人1組の団体戦で、私は大学の囲碁部OB会チームで15人中11番目で出場した。かなり強いチームだと思ったが、私が一度も勝ったことのない人が13番目で出ていたチームがあり、そこには完敗だった。しかし、今日の主題は囲碁ではなく、朝の開始前に渋谷から市ヶ谷まで歩いた話である。

試合開始は10時だったので早めに家を出て渋谷から市ヶ谷まで歩くことにした。スマホを家に置き忘れたので、地図が分からず、国道246(青山通り)と山手線の中間方向に歩けばよいだろうと見当を付けて歩き始めた。私の好きな細い道を見つけたのでその道を歩くことにした。車がすれ違うにはどちらかが道端によけて停車するくらいでないと通り抜けられない程度の道で、まっすぐに行くことは殆どなく常に緩やかにカーブしている、戦前に作られた道(もっと前の江戸時代かも)だと思われ、私はこういう昔の道を歩くのが好きである。少し行くと、住宅に交じって小さなブティックが並ぶようになる。表参道の広い道を渡り、住居表示が神宮から北青山に変わる。40分ほど歩いたところで、秩父宮ラグビー場に突き当り、この細い道は終わっていた。

このあたりは総合運動施設が広がっている。一区画が大きく、行きたい方向には進めず回り道を余儀なくされる。秩父宮ラグビー場の隣は神宮球場、更に国立競技場と続いている。更にその先に広大な工事中のエリアがあり、大成建設のマークがついているので、ここが話題の新国立競技場用地かと思う。その先は、明治記念館、迎賓館と続き、広場に出たあたりにお巡りさんがたくさん立っている。その一人に「市ヶ谷はどっちですか?」と聞くと、「この道をまっすぐ」と教えられる。その道をすすぐと、四谷駅に出て、そこから市ヶ谷に線路沿いに歩く。全体で70分ほどの散歩だった。

市ヶ谷駅前についたのは9時50分頃で、既に東京マラソンが始まっており、大量の人が走っていた。お巡りさんが多かったのは、東京マラソンの交通整理のためだったのだ。東京マラソンの実際に走る現場を見たのは初めてだったが走る人の多さに圧倒される思いだった。

東京マラソンで走る人も東京の風景を楽しむというが、ゆっくり細い路地を歩くと、東京には見どこがたくさんある、と改めて感じた。


渋谷から市ヶ谷まで歩いた

2017-02-27 09:21:55 | 東工大

昨日は、市ヶ谷の日本棋院で「ジャンボ囲碁大会」が開催され、参加してきた。これは15人1組の団体戦で、私は大学の囲碁部OB会チームで15人中11番目で出場した。かなり強いチームだと思ったが、私が一度も勝ったことのない人が13番目で出ていたチームがあり、そこには完敗だった。しかし、今日の主題は囲碁ではなく、朝の開始前に渋谷から市ヶ谷まで歩いた話である。

試合開始は10時だったので早めに家を出て渋谷から市ヶ谷まで歩くことにした。スマホを家に置き忘れたので、地図が分からず、国道246(青山通り)と山手線の中間方向に歩けばよいだろうと見当を付けて歩き始めた。私の好きな細い道を見つけたのでその道を歩くことにした。車がすれ違うにはどちらかが道端によけて停車するくらいでないと通り抜けられない程度の道で、まっすぐに行くことは殆どなく常に緩やかにカーブしている、戦前に作られた道(もっと前の江戸時代かも)だと思われ、私はこういう昔の道を歩くのが好きである。少し行くと、住宅に交じって小さなブティックが並ぶようになる。表参道の広い道を渡り、住居表示が神宮から北青山に変わる。40分ほど歩いたところで、秩父宮ラグビー場に突き当り、この細い道は終わっていた。

このあたりは総合運動施設が広がっている。一区画が大きく、行きたい方向には進めず回り道を余儀なくされる。秩父宮ラグビー場の隣は神宮球場、更に国立競技場と続いている。更にその先に広大な工事中のエリアがあり、大成建設のマークがついているので、ここが話題の新国立競技場用地かと思う。その先は、明治記念館、迎賓館と続き、広場に出たあたりにお巡りさんがたくさん立っている。その一人に「市ヶ谷はどっちですか?」と聞くと、「この道をまっすぐ」と教えられる。その道をすすぐと、四谷駅に出て、そこから市ヶ谷に線路沿いに歩く。全体で70分ほどの散歩だった。

市ヶ谷駅前についたのは9時50分頃で、既に東京マラソンが始まっており、大量の人が走っていた。お巡りさんが多かったのは、東京マラソンの交通整理のためだったのだ。東京マラソンの実際に走る現場を見たのは初めてだったが走る人の多さに圧倒される思いだった。

東京マラソンで走る人も東京の風景を楽しむというが、ゆっくり細い路地を歩くと、東京には見どこがたくさんある、と改めて感じた。


AppleがPartnership on AI to Benefit People and Societyに参加

2017-01-31 16:24:55 | 東工大

最近、Amazon、Facebook、Google、IBM、Microsoft、が共同で立ち上げたPartnership on AI to Benefit People and SocietyにAppleが参加するとの発表があった。この団体はその名が示すように、AIが社会に対して脅威ではなく役立つようにするにはどういう点に気をつけなければならないかを議論する団体で昨年の9月に立ち上げられている。トランプ大統領に関する殺伐としたニュースが繰り返されるアメリカで、清涼剤のような印象を受ける。

言うまでもないがAIは多くの人の仕事を奪う可能性がある上に人間がAIに命令される時代が来ることも容易に想像できる。それを考えて社会的に警戒感が出ていることも事実である。能力的にはAIのほうが人間を超えたとしても、「人間がAIをコントロールする最後の判断を抑えるにはどうするか?」は考えておかなくてはならない。アシモフの「ロボット3原則」のような単純なものでは間に合わないだろう。

AIのほうが明らかに優れた結果を出せるのに、能力の劣る人間の判断を優先することは、競争社会では負けにつながってしまう。ルールを決めたとしても破る人が必ず出てくるだろう。しかし、利益最優先で動くと人間味のない判断になり、人間が圧迫される可能性が高い。これは極めて難しい問題であるが、世界で最も技術力が高いと思われる企業が集まって、こうした問題を議論し、抑制を効かせつつ新技術を広めていくのは重要なことだと思う。企業だけならば、「一般人には分からないように、利益最優先にしよう」というような話になることも考えられるが、この団体は学者(AI研究者)だけでなく、倫理研究家、ユーザなども入れて議論するとのことなのでそれなりにまともな結論に落ち着くことが期待できると思う。

最近、トランプ氏の言動に対して「あの人はビジネスマンだから・・・」というようなことを池上彰氏がテレビなどで盛んに言っているが、普通のビジネスマンはトランプ氏のような行動はしない。ビジネスマンに対する冒涜だと私は思っている。池上氏の中では「ビジネスマンは利益だけを求めるもの」政治家は「国民の幸福を求めるもの」と定義しているような印象だが、実態は逆の場合も少なからずある。今回の大手IT企業の動きなども明らかにそうで、政治家よりもビジネスマンのほうがまともな社会判断ができている。言うなら「トランプ氏は2流のビジネスマンだから・・・」にしてほしいものだと思っている。


松山出張

2015-12-19 12:27:48 | 東工大

電子情報通信学会の研究会で松山に来ている。私の東工大としてのは学会発表はこれが最後であり、ひょっとすると自分の学会発表の最後になるかもしれない。

木曜日と金曜日の学会だったが私は木曜日に授業があるので、木曜日の夕方に松山に着いた。夜懇親会が予定されており、それに参加することを目的に行ったようなものでる。若い人ばかりで知り合いがいなかったらどうしようと思っていたが企業の人で知り合いが結構参加者していた。懇親会は楽しく、気の合う人と二次会まで行った。

発表内容についても反対意見を含めて結構議論が盛り上がり有意義だった。今回は私自身の発表と修士の学生の発表と連続して一つの内容のような感じにしたので意図するところは結構深く伝わった感じがしている。

ホテルはニュー松山グランドホテルというところで、一泊6千円程度だが温泉が付いている。温泉と言っても源泉が36度という鉱泉のような温度だが、入浴だけする人からは1500円も入浴料を取っているそれなりに立派なお風呂である。

松山市は真ん中に小さな山があって頂上に松山城があり、それを街が取り囲んでいるような形だが面積的には京都くらいだろう。その気になれば端から端まで歩ける感じである。今日は朝から大街道と呼ばれる市街地、道後温泉、石手寺と歩いて、JR松山駅まで戻ってきたのだが、午前中で十分回れた。

松山市にはそれほど観光資源はないのだが、観光に対する意識は高く道案内なども整備されている。夏目漱石とか正岡子規とか文学者ゆかりの史跡はあるのだが、徳島の阿波踊りとか文楽とかいうような見栄えのする文化がないのが弱点である。その辺りをうまく作れば観光都市として大きく伸びる可能性はあると感じた。


寄附講座の閉講式

2015-12-16 08:59:57 | 東工大

昨日、私が勤務している東京工業大学の寄附講座の閉講式を行った。スポンサーであるJR東日本関係者と、標準化で協力してきた日本規格協会、それに東工大の幹部を招いて5年間の成果を報告し、その後簡単な懇親会を行った。

寄附はJR東日本から出してもらっていたが私には鉄道の知識は無く、結局標準化と、無線分野でJR東日本に多少関係のありそうな分野の研究を行なったに留まっており、寄附元がどの程度満足しているか気になっていた。しかし、「満足している、今後も東工大でこのようなアクティビティを続けてほしい」、といったコメントをいただき気持ちよく締めることができた。

私個人にとっては大きな成果があった。まず、標準化分野で日本規格協会と関係ができ、経済産業省系の標準化のアクティビティ関係者のとつながりができたことが大きい。特に元ISOの会長を務めた田中氏と知り合いになっていろいろ話ができたのは私の標準化に対する見方に大きな影響を与えた。田中氏は既に70歳を超えており、引退して規格協会の顧問になっているが、今でも勉強していて標準化の最新動向を高い見地から見ている。昨日も特別講演を行っていただいたが、我々が普通に考えるインターフェイス共通化の標準だけでなく、安全のための標準やISO9000 のようなプロセス標準幅広く標準化というものをとらえ、標準化的発想を高等教育で教えるべきだという内容には感じるものがあった。残念な点は日本規格協会にも田中氏のようなレベルの深く標準化を考えている人が見当たらない点である。

懇親会の場では三菱電機の元社長であった野間口氏が高い見識を持っているとの話が出ており、こういった人を核にして標準化の見識が高まっていけばよいと思う。

無線の分野でも電波の使い方の全面見直しをできた点は大きかった。こちらは私にとって元々の専門分野なので大学に行かなくてもある程度のことはできていたと思うが、具体的な技術的問題解決策を検討するには修士の学生を指導するというのが大きく役立った。今週金曜日には学生と一緒に松山で行われる研究会で発表することにしており、それでこちらのアクティビティも一段落ということになる。