ウィトラのつぶやき

コンサルタントのウィトラが日頃感じたことを書いていきます

研究開発と企業の利益

2018-02-26 09:35:17 | 経済

今朝の日経の一面トップは「研究投資、3割回収できず」というものだった。

これは、6-10年前の研究開発費の合計が2500億円を超える企業で、直近の5年間の利益合計がどうだったかを計算したもので、3割が利益のほうが少なかったということを示したものである。利益を生むまでには5年くらいかかるだろう、という見立てである。

この記事は一つの見方であるが、いくつかおかしな点がある。まず、研究開発費はコストで、利益はコストを差し引いた残金なので、回収はできている。それよりももっと本質的な問題は、「研究開発費が利益の厳選なのか?」という根本的な疑問である。

日経の当期利益ランキングベスト10(2018年1月22日)を見ると、1.トヨタ、2.ソフトバンク、3.NTT、4.日産、5.ドコモ、6.ホンダ、7.KDDI、8.三菱商事、9.JT、10.JR東海 である。これらの内、ソフトバンク、ドコモ、KDDI、三菱商事、JT、JR東海は今回の日経の調査対象に入っていない。つまり、研究開発費が小さいということである(ドコモはNTTの子会社なので対象外とされている)。要するに横軸に研究開発費、縦軸に利益、を取っていろいろな会社をプロットすると殆ど相関関係が無いバラバラな図になるのではないか、ということである。

それなのに研究開発費と利益の関係をプロットしてもあまり意味がないと思われる。記事ではAppleの利益/R&D比率は非常に高い、とか書いているが、Amazonの同じ数値は相当に低いはずである。しかし、AmazonのR&Dが事業に貢献していないとは思えない。もっと切り口を変えて分析するべきであると思う。

これを1面トップに持ってくるなんて、「日経は大丈夫か?」と思う。

 

 

 


I-Scoverサービス停止の経緯から見える日本の電子情報通信学会の問題

2018-02-24 19:01:56 | 社会

私は電子情報通信学会に入っているのだが、今年の学会誌2月号で「学会が開発してきたI-Scoverという、用語集のサービスを停止する」というアナウンスがあった。これシステムは5年ほど前に導入されたものだが、ちょうど私が東工大で教えるようになっていて学会活動である専門委員会を代表して、別の教授の代理で学会のマネージメントの集まりに参加したときに「今般開発することになったので各委員会でも必要な用語を提出など協力してほしい」とアナウンスがあった。

私は「これは筋悪のプロジェクトだ」と思ったので「やる意味はないのではないか」という意見を出したが、30人ほどいたメンバーの中で否定的な意見を出したのは私を含めて一人か二人で他の人は黙り込んでおり、結局押し切られてやることになった。そもそもあの場は決まったことを伝達する場であって、意見を集める場ではなかった。予算の乏しい学会が開発費を投じて作ったにもかかわらず、殆ど利用されずに止めることになった。私が「意味がない」と言ったのはGoogleの検索サービスやより専門的なGoogle Scholarというサービスと比較して太刀打ちできるわけはなく、皆、Googleのほうを使うだろうと思ったからである。

予想通り、5年ほどでやめることになったわけだが、私が問題にしたいのはI-Scoverの筋の悪さよりも、学会の意思決定プロセスの問題である。これを推進した当時の海洋などは既に職を離れていておそらく何も責任を取らないだろう。現在、中止を決めた学会の中枢メンバーもおそらく誰も責任を問わずに、「なぜこのような部田な行為に時間とカネをかけたのか」についてはおそらくうやむやになってしまうだろう。

今、I-Scoverについて意見を問われればおそらく8割の人が「筋悪だと思っていた」と答えるだろうと私は思っている。それだけ(内心では)反対者の多いシステムがなぜ推進することになってしまうのか、それは一部の強硬な推進派と波風を立てたくないからだ、と私は想像している。これが典型的な日本社会の弱さだと私は思っている。学会の役員レベルになるような人たちは、個人としては優秀であり、人格も良く、見識もある。ところがある考えが一定以上の力を得てしまうとそれに抵抗しようとはしないで、「別に大きな問題になる訳じゃない」と自分に言い聞かせて受け入れてしまう。

現在の役員が「I-Scoverサービス停止」の判断をしたことは慧眼であるし、勇気も必要だったろうと思う。しかし、現在の役員は当時もそれなりの役割を果たしていたはずで、責任はある。摩擦を生じそうなときは黙り込んでいて、摩擦が小さくなってから動き始めるような動き方では変化の速い世界の動きに到底ついていけないだろう。I-Scoverにこれ以上投資しないだけではなく、』が下位の意思決定の仕組みを見直す責任があると思う。

電子情報通信学会と言っても、中身は大部分が「通信」である。通信系の学界は体質が古いのかもしれない。現在世界の中心になりつつある情報処理は情報処理学会がメインである。情報処理学会の中身は知らないが、電子情報通信学会と違ってフランクに是々非々の議論ができるような雰囲気であってほしいものだと思う。


横浜市への転入者数減、転出者増

2018-02-20 19:17:10 | 生活

18日の日経に「大都市集中、吸引力に差 17年人口移動報告」という記事があり、その中で横浜市からの転出超過が目立っていると指摘されている。特に、私の住む青葉区は転出が目立つという。隣接する川崎市は大幅な転入超過である。横浜市から東京や川崎に人が流れているという。横浜市は東京に近くイメージもよいのに、人口流出するという状況は、都市計画上の問題点があるからだと私は感じている。

私はこの大きな要因が田園都市線の劣化(混雑の上、遅れが多い)にあると思っている。「田園都市線には乗りたくない」という人が増えている、ということだろう。具体的に人口動態に現れるのはもっと先だと思っていたが、「結構早く来たな」という感想である。小田急が複々線化でラッシュ時の速度が改善するのでこの傾向は今後一層顕著になるのではないかと思っている。

東急だけではなく横浜市の対応にも問題があると思っている。これは電車の面ではなく、都市計画の面である。私の知る範囲では横浜市の大きな都市計画といえば、港北区、都筑区の「港北ニュータウン」と、西区と中区の「みなとみらい」があるが、いずれも1980年頃の構想で、85年頃から具体的な形が見え始めている。この後、現在に至るまで大きな都市構想が見えていない点が発展を飽和させているのだと思っている。

これに対して隣の川崎市は、横浜市よりは規模は小さいが「川崎駅前の再開発」「新百合ヶ丘の再開発」「武蔵小杉の再開発」など間断なく開発を続けている点が成功しているのだと理解している。川崎市は開発にあたって、市内の複数の拠点を作り上げ、それらをつなぐ形で都市を活性化させようという意図を持っていることがうかがえる。これまでに、「川崎」「武蔵小杉」「新百合ヶ丘」を再開発してきたが、今後「溝の口」と「登戸」が候補になっていることが伺える。

これに対して横浜市のほうには「横浜駅前から湾岸エリアを一台商業地」にするという方針以外には構想が見えず、民間の事業に任せている感じである。港北ニュータウンは私もよく散歩するので見ているが、従来のベッドタウン構想ではなく、商業地と合わせた職住接近構想を持って開発されていることが伺えるのだが、オフィスビルなどの商業地誘致が明らかに不足していると私は感じている。

先日、地下鉄の仲町台駅から新横浜駅まで歩いたのだが、このエリア、特に途中の「新羽」などは新横浜の商業エリアがはみ出す形で商業化されてきているので、新羽駅と仲町台駅をつなぐ地域(この地域はまだ大部分が畑である)を新たな商業地域として開発していけば港北ニュータウン自体も活性化するのではないかと思う。

私の想像だが、横浜市には1970年代後半あたりに大きな構想を練る人がいて、「田園都市線」「港北ニュータウン」「みなとみらい」と次々と発展させてきたのだが、その後は構想を実現する実行部隊がいればよいという環境になってしまって、小粒の事業ばかりで構想を考えることなく50年近く経過してしまった、というのが現在の状況ではないかと思っている。今の横浜市長も人口流出を気にしているようなので、21世紀後半に向けて大きな都市構想を再び練ってほしいものだと思っている。

今の市長では無理かな?



平昌五輪、ここまでの印象で記憶に残る平野選手

2018-02-18 06:52:24 | 生活

昨日は羽生結弦選手のフィギュアフリーの演技と、将棋の羽生善治永世7冠対藤井聡太五段の対戦がほぼ同時間にあり、私はネットで将棋を観戦する方を選んだ。羽生結弦のほうはあとで何度も放送されると思ったからで、その通りだった。藤井五段の差し回しは見事で羽生さんを破って決勝に進出した。もはやトップ棋士と全く変わらない力があることを示した。

フィギュアスケートの羽生の方も素晴らしい演技だったが、これはあまりにメディアが騒ぐので、それ以外の平昌五輪で私の印象に強く残った選手について書いてみたい。最も印象的だったのはスノーボードハーフパイプの平野歩夢選手である。彼の演技は印象が強く、旋回のソチの時にも私はブログに書いたと思うが、今回は一層印象的だった。

演技は最も難度の高い1440(フォーティーン・フォーティ)という難しい技を見事に決め、暫定1位になった。最後のトライアルで優勝したショーン・ホワイト選手が更良に良い演技をしたので、銀メダルは仕方がないと思ったが、私が注目したのは演技だけでなく、演技終了後の彼の態度である。優勝したショーン・ホワイトはヘルメットを投げ捨て、「やった、やった」と成功を全身でアピールしていたのに対して、平野選手は満足そうな表情を浮かべただけで静かに判定を待っていたのが印象的だった。平野選手も演技の構成、あるいは演技中はするために綿密に計算していて失敗のリスクなども考えていることがうかがえる。しかし、演技が終了すれば、後は静かに審判に判断をゆだねる。審査員による主観審査なので成功をアピールする方が多少は有利に働くのだろうが、それをしない平野選手に私はむしろ「貫禄」を感じた。こういう感じ方は日本人特有のものかもしれないと思っている。

もう一つ、私はカーリングの競技(女子)をずいぶん長い時間テレビで見ている。これは最近カーリングが囲碁のように先の先まで読んで現在の石をどこに置くかを決めている、極めて戦略的なゲームだということを知ったからである。カーリングを最初からずっと見ると、ニュースでスーパーショットだけを見るのでは決して分からない戦略の流れを理解できて非常に面白い。それに、カーリングの女子選手はみな美人に見える。これは石を投じるときの集中力が選手の顔に現れていて、それを「美しい」と感じているのではないかと自己分析している。カーリングの試合はまだまだ続くが、これからも注目していこうと思っている。


ターガート・マーフィーの日本論

2018-02-11 17:58:43 | 社会

今、ハヤカワ・ノンフィクション文庫の「日本、呪縛の構図」という本を読んでいる。上下2巻で、まだ1/4程度しか読んでいないのだが、ここまでで十分に面白いので紹介しておきたい。

この本は、待ち合わせで時間があったので入った本屋で見つけたものだが、前書きを読んで買う気になったものである。特に私はイギリスの出版社の「誰もが知っておきたい日本」という本を書かないか、という提案に対して、「現在イギリスでは日本についてアニメや、日本料理、文化などは注目されているが、政治や経済では反面教師としか見なされていない。私はそうではなく日本はあらゆる類の教訓をもたらしてくれると考えていた。」「要するに、日本銀行の通貨集計量、日本企業の人事慣習、東京の奇抜なストリートファッション、日本政界における終わりのない椅子取りゲーム、更には数世紀におよんだいわゆる「鎖国」に至るまで全てがありとあらゆる形で相互に結び付いているのだ」というような表現に興味をそそられた。「この人は日本の絡み合った歴史や文化をどのように解きほぐしているのだろう」と興味があった。著者は1952年生まれのアメリカ人だから私より1歳下だが、20代から40年間日本に住んでいて、筑波大学の教授で現在は名誉教授である。ゴールドマンサックスに在籍したこともあり、学者一辺倒ではない。

本は「大化の改新」から始まって平安時代、鎌倉時代、室町時代、戦国時代、江戸時代ときて、今私は明治時代を読んでいるところである。現代の日本を分析することが目的なので、古い時代は駆け足で通り過ぎているのだが、ここまででも十分に面白い。著者は常に「世界と比べて日本の特徴は何か」という視点でモノを見ているので、歴史に対する視点にも私にとって興味深い話がいくつもあった。

日本の歴史の授業は古代は詳しく、明治以降はかなり飛ばしてしまう。これは教える側に政治的教育をしないようにというプレッシャーがあるからだと私は思っているが、その影響で明治時代に入ると私の知らないことが色々と出てくる。「これが戦後になるとどんな感じになるのだろう」と楽しみである。

決して読みやすい本ではないが、日本を深く知ってそれを外から眺めるとどうなるか、ということに興味のある人にはお勧めの本である。


株安はバブル破裂か?

2018-02-10 15:30:26 | 経済

最近、アメリカを発信源として世界の株価が急落している。どうなるかが気になるので「ラジオ日経」を聞いていると、色々な人が色々な見方を言っていて興味深い。

一番多いのは、「アメリカ経済は好調だし、失業率も小さい。企業の利益も出ている。誰かが株安を仕掛けただけでいずれ戻る。」という意見である。私はよく理解できていないのだが、「株価の変動カーブから見て25日線を切って200日線も切るようになったので様子を見たほうが良い」という人もいる。「これはバブルが弾けたのだ。大きく下がる。」という人もいる。どれが正解なのかは分からない。ただ気になったのは「バブルがはじけた」と言っている人の意見である。

バブルがはじけるというのは企業の業績とは直接関係はない。実体経済がいくら良くても、借金をして株を買っているような人がたくさんいれば、株価が急落すれば資金繰りに困り、優良資産でも売らざるを得なくなる。そうするとまた株価が下がる。それで破産する人が出ると、金融機関の業績が悪化する、という悪循環に入る。個人ではなくファンドのような組織がやっていると金額も大きくなる。リーマンショックの時には「サブプライムローン」という資金の無い人が返済の当てのない住宅ローンを買って、返済前に住宅を売って高く売れれば差額が儲かる、というような資金繰りが詰まって、破産する人が続出し、貸し手の銀行が倒れたのが引き金となった。

今回の状況で、バブル的に資金を回している人(組織)がたくさんいるのか、ということが問題になるのだが、バブル論者は「いる」という。根拠の一つは仮想通貨の急騰である。トランプ大統領もリーマンショック後に規制された金融機関の危ない資金循環を認める方向である。一番私のアンテナに引っかかったのは「株高になるのは株を買う人が増えたからだが、通常なら債権を売って資金を下部に回すというような、資金シフトをするので債券安が起こるはずだが、それは起こっていない。資金が無いのに無理して株を買っている人が多いのではないか」という意見だった。

株価が下がっても倒産する企業などが出なければ、大きな問題にはならず、いずれ戻ってくるのだろうが、倒産が出ると債権者に損失が広がって、実体経済に影響が広がってくる。実際に倒産が出るところまで下がるかどうか、予想はできないが、危ない感じはしている。


国の経常収支、貿易収支よりサービス収支・所得収支を重視すべき

2018-02-09 10:55:36 | 経済

日本の2017年の経常収支が財務省から発表され、21.8兆円の黒字だった。経常収支には貿易収支、サービス収支、所得収支の3種類があり、それらの合計である。2017年で言うと、貿易収支は約4.9兆円の黒字、サービス収支は7000億円の赤字、第1次所得収支は19.7兆円の黒字であった。

貿易収支はモノの売買、サービス収支はサービスの売買、所得収支は投資の配当金などである。数字が合わないが、項目としてはこれらに加えて第2次所得収支という項目があり、これは海外支援や寄付などである。これが2兆円以上あるのでバカにできない金額である。

これらの内、一番有名なのは貿易収支でトランプ大統領がやり玉にあげたりしているが、もっと他の収支も注目してよいのではないかと私は思っている。以前は日本は貿易で稼ぐ国で、貿易収支が大幅に黒字でアメリカの制裁の対象になったりしていたのだが、最近は貿易黒字は減少してきて、原油が1バレル100ドル以上だった時期には貿易収支も赤字になっている。原油価格が下がったので、再び貿易収支は黒字になったが、最近また原油価格が上がってきたので2018年は貿易黒字は減るだろうと思っている。

サービス収支は知的財産権の収支の占める割合が大きく、Windowsのライセンス料のマイクロソフトへの支払いなどが大きく、日本は大幅な赤字だったのだが、最近は赤字がどんどん減ってきている。これは、日本の知的財産権の収入が増えてきたからだが、中身は特許料ではなく、トヨタなどの海外子会社が得た利益を「ブランド料」のような名目で日本に還流させているものの割合が大きい。要するに日本企業が世界進出して利益を上げる金額が大きくなってきたということで、評価してよいと思う。

ここで思うのは貿易収入は「売り上げ」なのに対してサービス収入は「利益」であるということである。通常の企業活動で言えば「売り上げ」より「利益」のほうがはるかに重みが高い。利益率を10%としてもサービス収支の重みは貿易収支の10倍くらいあると思う。アメリカのサービス収支は黒字が続いており、アメリカ企業はアメリカに資金を戻すと課税されるので、これまで現地で得た利益をそのまま留めていた。つまり実態としてはもっと大きな黒字だったはずである。昨年のトランプ減税で企業の税率が下がったのでアメリカへの送金が増えて日米のサービス収支は、日本から見て来年は大幅に悪化するのではないかと思っている。

第1次所得収支は株の配当などである。昨年の日本の黒字は大部分がこの分野で、日本の第1次所得収支は21世紀に入って一本調子で増加している。日本の株式市場などに外国人投資家が投資をしていてその影響が大きいなどと言われているが、実は日本人が海外に投資しているほうがずっと多いということである。これが良いことなのか悪いことなのか、私には判断できないが、低金利がずっと続いていて、日本国内で投資してもうまみが無いので海外に投資する金額が増えている、ということを意味しており、投資資金が海外に逃げるという意味では政策的に考えるべき問題ではないかと思っている。この金額も「利益」に相当するので重みは高いうえに、金額の貿易黒字の約4倍ある。

要するに貿易収支ばかりを言わないでサービス収支や所得収支にももっと目を向けて日本経済の状態を考えるべきではないか、と感じている。


日本に根付いた感じのするウォルマート

2018-02-08 10:05:43 | 生活

先日、調布駅前で打ち合わせがあって、時間よりかなり早く着いたので駅前の西友に入った。1階は食料品で2階より上は様々な雑貨、衣類というミニデパートのような構造になっている。私は2階から4階くらいまでぶらぶら歩いて、ベルトと包丁を買った。どちらも機会があったら買おうと思ってスーパーや専門店で物色していたのだが気に入ったものが見つけられなかったものである。

ベルトに関してはそれなりのものは価格が高すぎる感じがしていて、値ごろ感のあるものを探していた。西友で私が捜していた感じのものを見つけた。包丁に関しては白い刃のセラミック包丁を買いたかったのだが、中国製はあるのだが切れ味が心配で、値ごろ感のあるものがなかなか見つけられなかったのだが、西友で見つけた。

西友は西武グループが解体的業績悪化になった2002年に世界最大のスーパーマーケット、アメリカのウォルマートの傘下に入っている。かなり長い間、鳴かず飛ばずだったが、ウォルマートはじっくりと日本市場を研究し、2010年あたりから徐々に業績が上向いている。この間に日本に鳴り物入りで参入したフランスのカルフールなどは撤退している。

買い物をしようと西友の店内を歩いていて、「ウォルマート流が浸透してきたな」と感じた。アメリカのウォルマートそのままではなく日本市場に合わせてアレンジしているのだが、イトーヨーカドーなどとは売り場の作りかたが一味違う感じがする。そして、少なくとも私にとっては、値ごろ感のある品揃えがある程度そろっている。

私の散歩圏内では新百合グリーンタウンに西友があり、ここには時々入るのだが、この店は食料品中心で、食料品に関してはそれほど特徴があるとは思っていなかった。「悪くない」程度の印象を私は持っていたのだが、調布の西友は良い印象だった。食料品は生鮮市場で仕入れるので他の会社との差を出しにくいのだろうが、耐久財に関しては世界的な仕入れのような仕組みを生かしやすいのかな、と思っている。

私の家の近くだと市ヶ尾駅前に調布と同じようなスタイルの西友がある。私にとっては、あのあたりを通るのは朝8時以前で、なかなか10時以降には行かない地域なのだが、今度行ってみようかと思っている。


スイスで公共放送の受信料廃止に関する国民投票

2018-02-02 09:13:30 | 社会

スイスでは公共放送の受信料を廃止するかどうかに関して3月に国民投票をすることになったそうである。日本では昨年末に最高裁がNHKの受信料支払いを「義務」だと認めており、実際には見ていなくても受信できる設備を持っていれば支払い義務がある、という判断を下している。ちなみにスイスでは2015年に法律を変えて受信設備の有無にかかわらずすべての世帯に支払い義務があることにしているそうである。私はこの結果がどうなるかを興味深く思っている。

私自身は10年ほど前まではNHKの受信料は必要(NHKは必要)という考えだったが、最近はその考えは大分揺らいできて「もし日本で国民投票があれば賛成か反対かずいぶん迷うだろうな」、と思っている。それはインターネットの普及で情報源が格段に増えたし、ネットの料金に比べてNHKの料金はかなり割高だ、と感じているからである。最高裁の判決には多少違和感を感じている。

スイスでは2016年にはベーシックインカム(国民全員に一定額を与える福祉政策)に関する国民投票を行い、否決している。2017年には食糧安保(国内の農業保護)に関する国民投票を行い、可決している。ベーシックインカムや食糧安保は大きな議題なので国民投票にかけることは理解できるが、公共放送の受信料とはずいぶん細かいことに国民投票を行うものだ、と感じている。

調べてみると憲法改正には10万人の署名が集まれば国民投票、それ以外には5万人の署名で国民投票、というルールがあるようである。スイスの人口は800万人程度なので、日本なら150万人の署名で憲法改正の国民投票、ということに相当する。「なるほど、国民投票が時々行われるはずだ」と納得した。ちょっと簡単に国民投票に持ち込まれすぎのような気もするが、このブログに何度か書いたが、私は日本でももっと国民投票を行うべきだと思っている。それも憲法改正に限らず、大きな話題は国民投票にかければ、日本人の政治意識ももっと高まると思っている。日本に限らず、アジアではまだ民主主義が本当に根付いておらず、国民投票を行うにはリスクが高いかもしれないが、本当の民主主義国になるには必要なプロセスのように思う。日本では人口が多いので国民投票を行うには大変な経費がかかる。これを下げるには総選挙の時に一緒に行うなどの工夫が必要だろう。アメリカの住民投票などは選挙の呼気に一緒に行っているそうである。

もっとも、民主主義が一番良い政治形態なのかどうか、そこからよく考える必要があるのだろうが・・・