ウィトラのつぶやき

コンサルタントのウィトラが日頃感じたことを書いていきます

「事件は現場で起きているんだ!」

2011-05-31 10:29:26 | 社会

「事件は会議室で起きているんじゃない。事件は現場で起きているんだ。」映画、踊る大捜査線の中の青島刑事の名セリフである。このセリフが有名になるのは日本社会の意思決定構造の問題点を鋭く指摘しているからだろう。映画ファンとは言い難い私でも知っている。最近も、この言葉を思い出させる出来事が2つあった。

一つは福島原発への海水注入であり、もう一つは北海道のトンネル内での列車火災である。いずれも現場が中央の判断とは異なった行動に出て大惨事を免れた。列車火災の場合の現場の判断者は運転手や車掌ではなく乗客だったようだが、指令室が列車内に留まるようにと指令したのを無視して、避難したのが正解だった。

緊急事態の場合、現場を見ていない中央指令室が適切な判断を下すことは至難である。「現場に判断をゆだねる」というのが最も良いということが分かりそうなものなのにどうして実行できないのだろうか。

このような問題は、日本固有かというと必ずしもそうではないようである。私の出席していた3GPPという国際会議では、親会議に、下部の会議で解決できなかった問題が上げられてきて、解決策を議論することが少なくない。

その会議で時々言われる言葉で「我々はマイクロマネージメントを始めている。これは慎むべきだ。」という言葉である。語感で分かると思うが、「親会議が下部組織のあまり細かいことに口出しすべきでない」という意味である。この言葉は効き目が強く、それで議論の流れが変わることは良くある。こういう言葉が共通認識としてあるということは、ヨーロッパでも上部組織が下のものに細かい口出しをしがちで、それは良い結果を生まない、という共通認識があるからだろう。

日本とヨーロッパの違う点は、「マイクロマネージメント」という言葉ができていて、それが好ましくないという共通認識があり、問題があると指摘する人が少なからずいる点である。

日本はヨーロッパよりもマイクロマネージメントをしたがる傾向にあるが、それを指摘する人は極めて稀である。日本語で言うと「箸の上げ下ろしに注文をつけるな」になるのだろうか。これを社会の共通認識として定着させる必要があると思う。


東京一極集中を解消するには

2011-05-29 09:46:22 | 社会

今回の大震災を行けて、日本にはあまりに東京に機能が集中し過ぎていてリスクが高い、という議論が上がっている。一時騒がれた首都移転を唱える人もいる。しかし、私は首都移転には否定的な見解を持っている。

首都を移したとしても新しい場所に機能が集中するのなら意味がない。アメリカ、中国、ドイツのように複数の国を代表するような核ができるように持っていけばリスク分散になる。それは首都移転では実現できないと思っている。私は東京に機能が集中する大きな要因の一つが官庁の運営の仕方にあると思う。

官庁では非常に多くの委員会がありそれぞれの分野でトップレベルの人が集まる。その会議は大体2時間くらいである。前回書いたようにその会議自体は密度が薄く、実は本会議前に関係者同士が話し合っていることが少なくない。こういった運営の仕方、進め方は地方在住の人には非常に不利である。本会議に出席するのもやりにくいし、オフライン議論に参加するのも難しい。従って政府と関連を持つような大会社はほぼ必然的に東京に本社を持つようになる。

この運営の仕方は政府だけでなく大会社内部でも行われていると思う。私はそれほどたくさんの会社を知っているわけではないが、細切れの会議を行うのは多くの会社で普通のことに思われる。ヨーロッパなどで色々な会議を行う場合にはこういうやり方では現実的でないので、ホテルに泊まりこんで缶詰めになって会議を行い大きな物事を決めて行く、アメリカや中国でもそのような傾向にあると思う。分散体制を作るには仕事の進め方を変える必要があるだろう。

首都移転ではなく、地方分権を唱える人たちもいる。私はこれにも懐疑的である。地方分権を行うとそれぞれが勝手なことを言い出してますます判断が小粒になる感じがする。産業界で言うと、日本の会社はボトムアップと言われ、下からの提言にトップは選択して許諾する形が特徴だと言われてきた。しかしグローバル化の進展でこのようなパタンは世界に通用しなくなり、全体を見渡して高度な判断をするトップのいない会社は上手く行かなくなってきた。地方分権は、日本全体をこの上手くいかない方向に持っていく可能性が高いと思う。

だからと言って地方分権に期待していないわけではない。日本の地方分権は上から権限を与えるのではなく、叩かれてもそれを乗り越えて権限を獲得する強い人が現れて、それが広がっていく形で実現していくのが望ましいと思う。今それは芽が出かかっていると思う。


福島原発に海水注入を巡るドタバタ劇

2011-05-28 08:59:24 | 社会

今週の大きな話題に福島原発への海水注入中止を政府が支持したかどうか、という話があった。

政府の指示で海水注入を指示したという情報に、「誰が指示したんだ」という追及が始まり、斑目委員長の訳のわからない発言が大きな話題となった。実態としては、政府に無断で東電が海水注入を開始して、それに対して政府内部で問題視している人がいる、という情報を受けて東電が自主的に中断を判断したようである。しかし本社から海水注入中止の指示があったにもかかわらず、現場の判断で海水注入は中断されていなかったことが分かり「なーんだ」ということになっている。

この問題は「結果オーライ」で不問にするにはあまりに多くに日本型意思決定の問題点を含んでいると思う。そもそも東電側の「気遣い」で中断を決定したのか「非公式の要請」があって中断を判断したのかは藪の中である。仮に東電側での「気遣い」だったとすると、誰が本社側でそのような判断をしたのか、責任者をきちんと追求するべきだろう。テレビに出てくる副社長が責任者だろうから、「原発の安全性と、政府の体面とをどういう重みで考えているんだ」ということを厳しく追及すべきだろう。斑目委員長の発言も結果オーライだから不問ということは無い。この人の場合にはおそらく見識が無かったことが問題で、そのような見識のない人物を何故委員長に据えていたか、ということを考えるべきだと思う。この例に限らず、知名度だけで政府の様々な委員会の委員長を選んでいる例は少なからずあると思う。

日本というかアジア的傾向だろうと思うが、権力の中枢にはこういう「気遣い」で上がってきた人が少なくない。こういう人もそれなりに大切だから上がってくるのだが、本当に大切な判断をどういう基準で行うか、大切な判断は筋の通った人が行うべきだ、という体制を再確認すべきだろう。もしも海水注入中止の判断が社長が出していたものだとすれば、東京電力という会社の体質には極めて大きな問題があると言うべきだろう。

それにしても、自民党はもう少しましな対応はできないものかと思う。菅総理の対応は良くないというのはほぼ周知の事実なのだから、そこに更にダメな例を引っ張り出して攻撃するのは国民の支持にはつながらない。国民がより納得するような対案を出してむしろ自民党が復興を引っ張るような行動をとって欲しいものだと思うのだが谷垣総裁にはそういう意識はないのだろうか?


ボランティアについて

2011-05-27 07:43:28 | 生活

今度の大震災ではボランティアの人が大活躍している。有名人もたくさん活躍しているし、政府もボランティアの力にかなり期待しているようである。しかし、私は自分ではボランティア活動をしようとは思わなかった。

ボランティアはつまらないとかいうのではない。やっている人は立派だと思うし、特に災害初期には被災地の人にとっては涙が出るほどありがたかっただろう。私も年金をもらうような年齢になったので、仕事を引退して、たまにボランティアでもやろうか、という人もたまにはいる。

私自身は、相手のために何かしてあげたら報酬をもらうというのを基本としたいと思っている。つまりビジネスとしてするのであってボランティアではない、というのを基本スタンスにしている。報酬をもらってなおかつ感謝される、というのが私の理想である。これは私が相手に与える価値が報酬よりも大きければ実現可能だと思っている。

無料奉仕してくれるからありがたい、というのは相手がどの程度価値を認めてくれているのかが分からない。私自身は、相手が自分をどう評価しているかを知っておきたいと思う。日本人は面と向かっては批判しないものだが、契約には金銭が関わるので評価が反映される。年を取って仕事の品質が下がってくれば次第にお金を払う人は無くなってくる。そしてそれがゼロになる時が本当に年金生活に入る時だろうと思う。

これが私が会社を辞めて個人事業を始めた最大の動機である。今、大学で教えるようになって、大学での仕事はその意味ではかなり性格が異なっている。しかし、自分の授業を学生がどう評価しているかに関してはできる限り本音を引き出したいと思っている。


アメリカ政府のクラウドへの取り組み

2011-05-26 09:47:55 | 経済

最近、クラウドのことを勉強しているのだが、アメリカ政府のクラウドに対する積極姿勢が目立つ。

昨年調査した、FCCのNational Broadband Planの中で政府が積極的に民間のクラウドを利用すべき、という提言をしている。省エネの観点からもクラウドで統合サーバを使うほうが、個別にサーバを用意するより効率的だし、コストも下がるとしている。政府はそれを受けてApps.govというポータルを立ち上げてここを通じで政府がクラウドサービスを調達する検討をしている。まだApps.govは出来上がってはいないようだが、米国一般調達局(GSA)は2010年10月19日、11社の企業と契約を結び、連邦/州/地方/部族政府にIaaSを提供してもらうことになったと発表している。これによって、まもなく米国連邦政府組織では、AT&TやAmazon Web Services、VerizonなどのIaaS(infrastructure-as-a-service)を利用できるようになる、と報じられている。

一般的に、政府が運営するサイトや中身の情報は、信頼性が高いことが要求され、クラウドを使うことにはためらいがあるはずである。それを敢えて政府が積極的にクラウドを活用することによって、問題点を洗い出し、国全体のセキュリティ技術を高めていこうという国家戦略の一環に見える。

これに対して日本はどうだろうか。霞が関クラウドなどという言葉があるようだが、はたして民間のサーバを使って政府の情報を維持管理する、というところまで進んでいるのだろうか?

詳しくは分からないがとてもそういうレベルではないという気がする。そうしているうちに技術力で圧倒的な差が付き、5年もするとサーバシステムは殆どすべて海外のものを使わないといけなくなるか、半分鎖国のような状態で日本のシステムを構築するかしか無くなるような気がする。


日本式の会議の進め方

2011-05-25 08:54:00 | 社会

昨日、総務省の会議に出てきたのだが、日本式の会議の進め方がこれで良いのだろうか、と改めて疑問を持った。

私が会社勤めをしていた時も、トップレベルの人が参加する会議はこの会議と似たような特徴が多々ある。

①紙ベースの会議
若い人の現場での会議はパソコンを持ってきてやる会議が普通であるが、上に行くほど紙ベースになる。紙ベースだと基本的には配布資料以上の議論は進みにくく、結論は配布資料にあることがベースとなることが多い。参加者がノートPCを持参しているのも稀である。地位の高い人はノートPCを持ち歩かないものだ、というしきたりがあるようである。

②議論にならず、意見を言うだけ
忙しい人が多いので概して時間は短く、発表者が用意してきた内容をプレゼンするとほぼ時間は終わりになる。一つ二つコメントを出しておしまい。よほどのことが無いと相手の意見に反論すると言った議論にはならない。

③ポイントを外している議論が少なくない
参加者に偉い人が多いと多くの仕事をしており、会議のトピックに十分にチューニングできていないような発言が少なからずある。しかし、立場のある人が多いのでそれを指摘留守人はいない

結局、会議では殆ど議論が深まることはなく、オフラインで事務局がまとめた意見になっていくことが多い。極めて形式的な会議である。実はオフラインではこれとは逆に極めてまともな議論がなされており、公式の会議だけで議論が進んでいるわけではないのだが、公式会議だけを見た人はどう思うだろうかと思う。

たまたま私が出席した会議がそんな感じだったのだが、他の会議も大体似たような感じだと思うし、会社でもトップレベルの人が入る会議はこんな感じではないかと想像している。私が会社を辞めて4年経つがあまり変わっていないと感じる。社長などは1日に何件もこのような会議をこなして会社を運営していく。日本の会社のトップは弱い、というのが私の持論であるが、その大きな理由の一つにこういった仕事の進め方にあるのではないかと感じている。

トップになると取り巻きがこのような仕事の段取りを取ってくれる。それに乗っかっているとあっという間に一日が過ぎてしまうし、それぞれが軽視できるような問題ではない。結局よほど意志の強い人でないと、やり方を変えることはなく、ごく限られた表面的な議論でトップは意思決定をしているのではないかと想像している。これを打ち破ることがこれからの社長の条件ではないだろうか。週に丸2日くらいは一切予定を入れない「自分の日」を作って、自分一人で考える。必要ならばその時に社員を読んで説明を聞く。それで自分の方針が固まってくれば次第に「自分の日」にも予定を入れていく。社長候補にはこの「自分の日」を有効に使えるかどうかを重要な任命基準にする、というのはどうだろうか?


始めての授業の準備

2011-05-24 07:57:40 | 東工大

今、東工大で始めての授業の準備をしている。

大学で講義をしたことは過去にもあったので、その意味では始めてではないが、東工大に来てからは始めてである。今回は博士課程の学生対象、留学生もいる、ということで英語で授業をしようと思っている。英語で授業をするのは初めてである。内容は移動通信と標準化ということで移動通信業界の動向と標準化のやり方を説明する。

今回のは集中講義で多数の先生がそれぞれの得意分野を話す。従って、私自身は90分2コマである。講義資料は大体出来上がったのだだがその中でどう学生に発言の場を与えようかとこの点がまだ自分の中で決まらない。今回は講義が中心になりそうである。

資料は、大学内のサイトにUpするのだがその権限がなかなか与えられない。講師の人選を正式に承認する教授会がまだ開催されていないから、というのがその理由であるが、今更他の講師にすることは考えられず、資料のUpが遅れて困るのは学生である。もう少し融通を効かせられないものかと思う。

学生とも少しずつだが交流が始まっている。自分としては極めてゆっくりした進みのように感じているが1年も経つと相当大きな変化になっているだろう。


突如現れたOHGからのプレッシャー

2011-05-23 08:34:49 | 昔話

1999年順調に船出した3GPPがその後突然現れたOHG(Operator's Harmonization Group)というグループに随分掻き回されることになる。

これは3GPPが設立してから3-2カ月後にアメリカのcdmaグループが同様の趣旨の団体3GPP2を設立したことに対して、世界の大手オペレータが集まって3GPPと3GPP2の一本化を求める声明を出したものである。オペレータの集まりなのでベンダは招待されておらず、オペレータ間で実現性を議論していたが、結局オペレータでは技術が良く分からないのでベンダの意見を聞くという話になった。

このOHGはカナダのオペレータが言い出したものだが、3GPPと3GPP2の一本化の技術的化の可能性に関してはARIBで私が議長をして3GPP設立前にさんざん議論してその結果、一本化は無理だという結論になったので、この議論は3GPPの議事進行を遅らせようとするアメリカ側の嫌がらせではないか、と思ったりしたものである。ドコモは大手のオペレータとして当然OHGグループに入っており、一緒に議論をしたのにこんな話を出してくるなんて、と当時私は思ったものである。ドコモの人は抑えようと努力したけれども抑えきれなくなった、というのが実情らしい。

ARIBで議論した時と同じような点が論点になり、オペレータをなだめるために妥協案を検討した。その妥協案としては、①3GPP陣営はチップレートを4.096Mから3.84Mに変更する。②3GPPと3GPP2の両方で使える端末ができるようにプロトコルを工夫する。すぐには無理なので後で機能追加ができるように仕組みを用意しておく(これをフックと呼んだ)の2点である。

①は3GPP2と合わせたわけではない。3GPP2は3.68Mだったので実質的に意味はない。それまで1フレームを16スロットで検討していたものを15スロットに変更すればできるというエリクソンの提案だった。若干レートは落ちるがエリクソンは実現性に不安を感じていたのだろうと思う。

このような提案を含むベンダレポートを作るためにベンダ間の電話会議を頻繁に行った。これが5月のゴールデンウィークの時期で最後のレポートをまとめる会議はそれぞれの陣営が細かい言葉までこだわり、日本時間で夜の8時から朝の9時までの完全徹夜になった。

これで、一応OHGは納得し、3GPPと3GPP2の合同会合も開いて表面上はお互いにつながるようにしたのだが、結果として特につながるようなアクションは取られておらず、OHGというグループもすぐに消えてなくなった。

世の中、時々このような不合理の起こるものである。


復興構想会議は復旧構想会議

2011-05-21 09:21:15 | 社会

土曜日の朝8時から私の好きな辛坊 治郎氏が司会するウェークアッププラスという番組を日テレでやっている。今日は復興構想会議の五百旗頭議長が出演していたのだが、この人の話を聞いて、「復興構想会議は機能しない」とほぼ確信した。これまでニュースなどで流されていた談話から期待薄だとは思っていたが、それが間違いないと思うようになった。

何が問題かというと、本人に復興を構想しようと言う意思が無いのである。五百旗頭氏の口から出るのは復旧の話ばかりで、復興を構想すると言う意思は全く感じられない。いろいろ質問されていたが方向性は全く持っていないし方向付けしようと言う意思も感じられなかった。復旧をこんな会議で議論する必要はない。復旧は現場でどんどん動いていく。それを後付けで正当化するというあたりが実態になるだろう。五百旗頭氏自身はそれで良いと思っている節がある。

同じ番組で建築家の安藤忠雄氏の「鎮魂の森」構想が紹介されていた。出席者から「鎮魂も良いが生きている人をなんとかして欲しい」という意見が出ていたが、この構想会議からはこの程度のアイデアと箱モノを一つ二つ作って役目を果たした、というのだろうと思う。

この感じだと、いいアイデアがあったとしても提言する機能すら持たないような感じなので、本当の復興構想は民間で考えるしかないだろうと思う。


東京電力の対応をどう見るか?

2011-05-20 08:11:31 | 社会

今回の地震の問題で一番叩かれているのは東京電力だろう。原発で生活がめちゃめちゃにされた原発難民の人が怒るのは当然としても、初動が遅れたとか、天災というが大きな地震が来るという指摘は以前からあったとか、現場の作業員に対する対応が悪いとか、安全を軽視していたとか、様々な角度から叩かれている。今朝のテレビでは写真やビデオの公開にj間がかかり過ぎる。編集しているようだ、というようなことを言っていた。

全て事実であるが、あまりにも叩き過ぎではないかという気もする。東京電力をスケープゴートにして火の粉が自分にかからないようにしている人たちが居て、それに乗せられているのではないかという気もする。今日は私の東京電力に対する見方を整理してみようと思う。

事故直後の対応は別として、この2カ月、東京電力の大きな問題に対する意思決定はかなり速いという感じを私は受けている。資産の売却、従業員の給与カット、政府の原発処理スキームに対する受け入れの判断、いずれも企業としてはかなり難しい判断であり、時間がかかりそうなことを短期間で判断している感じを受けている。そしてその判断は大きく外れてはいない感じがする。私の元居た会社でこれくらい速い判断ができるだろうか、と思う。おそらくかなりワンマンな人が居てその人の判断で物事を決めているのではないかという気がする。想像だがそのワンマンな人物は勝俣会長ではないかと思っている。

それとは別に、短期の判断には問題が少なくない。今朝のテレビにあったような情報がなかなか開示されないとか、現場の作業員に対する取り扱いとかいうレベルにはかなりの問題があると感じる。現場の指揮をしている執行役員レベルに問題があるのだろうと思う。そのレベルの人にどういう情報開示をすべきかという指示を出す仕組み作り(社長の責任だと思うが)にも問題があるのだろう。事故直後の対応などは色々批判されているが、果たして他の人ならキチンと判断して行動できたのか、判断に誤りがあったのは事実だろうが、判断を誤らない人は居るのか、という感じであまり責めるのは気の毒な気がしている。

そもそも、備えが十分でなかった、という議論に対しては政府と東電の共同責任だろうと思う。東電は事業会社なので事業の効率化に向かいたい気持ちはどうしても出る。リスクがあることは分かっても会社設立以来何十年間に一度も起こらなかったことに対して巨額の資金を投じて備えるのはやりたくないと思うのは自然な感情だし、そこを敢えてやらせようとすれば政府の指導が必要だろうと思う。

現在、政府は東電に対してかなり強い不信感を持っていることが感じられる。特に枝野官房長官にその傾向が強くみられる。官房長官は東電からの情報を受けて、国民に発表する立場なので、十分に情報が出ないことに対するいら立ちは理解できる。しかし、それならば政府がもっと踏み込んで指揮権を東電から奪い、全ての発表に対して政府が責任を負うべきである。今回の原発問題に関してはそれが本来あるべき姿であり、そこから政府が逃げている問題のほうがむしろ大きいと思う。東電に責任が無いとは言わないが、政府も東電を攻撃するばかりなのは見苦しい感じを受けている。