「事件は会議室で起きているんじゃない。事件は現場で起きているんだ。」映画、踊る大捜査線の中の青島刑事の名セリフである。このセリフが有名になるのは日本社会の意思決定構造の問題点を鋭く指摘しているからだろう。映画ファンとは言い難い私でも知っている。最近も、この言葉を思い出させる出来事が2つあった。
一つは福島原発への海水注入であり、もう一つは北海道のトンネル内での列車火災である。いずれも現場が中央の判断とは異なった行動に出て大惨事を免れた。列車火災の場合の現場の判断者は運転手や車掌ではなく乗客だったようだが、指令室が列車内に留まるようにと指令したのを無視して、避難したのが正解だった。
緊急事態の場合、現場を見ていない中央指令室が適切な判断を下すことは至難である。「現場に判断をゆだねる」というのが最も良いということが分かりそうなものなのにどうして実行できないのだろうか。
このような問題は、日本固有かというと必ずしもそうではないようである。私の出席していた3GPPという国際会議では、親会議に、下部の会議で解決できなかった問題が上げられてきて、解決策を議論することが少なくない。
その会議で時々言われる言葉で「我々はマイクロマネージメントを始めている。これは慎むべきだ。」という言葉である。語感で分かると思うが、「親会議が下部組織のあまり細かいことに口出しすべきでない」という意味である。この言葉は効き目が強く、それで議論の流れが変わることは良くある。こういう言葉が共通認識としてあるということは、ヨーロッパでも上部組織が下のものに細かい口出しをしがちで、それは良い結果を生まない、という共通認識があるからだろう。
日本とヨーロッパの違う点は、「マイクロマネージメント」という言葉ができていて、それが好ましくないという共通認識があり、問題があると指摘する人が少なからずいる点である。
日本はヨーロッパよりもマイクロマネージメントをしたがる傾向にあるが、それを指摘する人は極めて稀である。日本語で言うと「箸の上げ下ろしに注文をつけるな」になるのだろうか。これを社会の共通認識として定着させる必要があると思う。