ウィトラのつぶやき

コンサルタントのウィトラが日頃感じたことを書いていきます

オフィスに寝泊まり

2012-08-31 07:52:48 | 生活

今日で8月も最後だが暑い日が続いている。熱帯夜が続いていて、今朝は特別に暑かった。私の自宅は寝室に空調が無いので暑い夜はなかなか眠れず、寝不足になってしまう。それで8月のかなりの日は近くなったウィトラのオフィスで眠っていた。

朝5時過ぎに眼を覚まして、走る、あるいは歩いて自宅まで向かう。最短だと歩いて20分くらいの距離だがわざと遠回りをして40-50分かける。途中の道は団地内の緑が多く気持ちが良い。散歩のつもりである。そして自宅で昨夜の残り湯の風呂に入ってから朝食を取る。その後は大学に行ったりウィトラのオフィスに行ったりする。この時は車で駅まであるいはオフィスまで家内に送ってもらう。帰りは駅またはオフィスから歩いて帰り、風呂に入ってから夕食をとる。夜に車でオフィスに送ってもらう。こんな生活パタンが多い。

オフィスで夜仕事をする訳ではない。殆どの場合はテレビを見て早めに寝てしまう。日曜日などは昼間もオフィスに行ってNHKの囲碁と将棋の番組を見る。オリンピックも良く見ていた。この時にはアルコールを飲んだりする。オフィスでも寝室の空調がある訳ではないがマンションの4階で公団の団地なので前の棟も離れており、木造の2階よりはかなり風通しが良い。眠り易いのである。

以前使っていたシャープ製の携帯電話には万歩計と、ラジオがついていたので歩くときには持っていくようにしている。万歩計は歩数だけでなく運動量が計算できるようになっている。ジョギングをした状態で1000歩で1EX、歩くと1200歩で1EXくらいの運動量になる。これでこのところ毎週70EX、歩数にすると1日1万から1万5千歩、歩いている。それなのに体重はなかなか減らない。食べすぎなのだろうか。

この夏は旅行などにはどこにも行かなかったがこの新しい生活パタンを楽しんでいた。

 


参議院での首相に対する問責決議は何のため?

2012-08-30 08:09:20 | 社会

参議院で野田総理に対する問責決議案が可決された。不信任案の時には反対に回った自民党が賛成に回り、今回は可決された。

問責の内容を巡って、自民、公明と他の野党との間で揉めた。それは消費税反対を軸とするかどうかである。3党合意で消費税を可決したものを反対を理由に問責決議案を出すのは筋が通らない。最初は自民・公明は反対したが、自民党は文言を和らげることで合意、公明党は合意せず欠席した。

自民党のやっていることは全く筋が通っていない。民主党からは「近いうちに解散」という合意は自民党の翻意で解消された、という解釈が出ている。消費増税反対を大きな理由の一つにして問責決議案が可決されたからである。自民党は一体どうしてこのようなおかしな行動をするのか?

ここで私のうがった見方を紹介しよう。私の見方は、政界の古手の真の狙いは、今国会中に議決が予定されている「マイナンバー法案を流すことにある」ということである。政治家の多く、特に長く政治家を続けてきた人たちはマイナンバー法案が可決されて収入が正確に把握されると困ることになる。特に閣僚経験者などは税金が増えるだけでなく過去の資産公開との矛盾を騒ぎ立てられることになる、ということを恐れているのだと思う。表だってマイナンバー法案に反対するロジックは無い。しかしなんとか流したい。こう言った気持ちがなりふり構わず問責決議案に賛成という行為に達したのだ思っている。公明党が棄権したのも理解できる。

マイナンバー法案を可決すれば脱税対策だけで消費税5%くらいの効果は出るのではないかと言われている。財政的にも、国民の利便性から行っても有力な政策である。しかし、それを決める国会議員の中に決められると困る人がたくさんいる。特に発言力の強い人がそうであるということは、今後の推進に大きな影を落とす。JR東日本もスイカを導入した最大のメリットはキセルが無くなったことだと言われている。彼らが思っていたよりもはるかにキセルの金額は大きかったということだろう。

ある時点から収入が正確に捕捉されて脱税ができなくなるということに対しては大部分の人が困ると思いながらも仕方ないかと言ってあきらめるだろう。しかし、それを理由に過去にさかのぼって脱税を追及され犯罪者にされてしまうと言われれば何が何でもつぶしたくなる。「過去には遡らない」という妥協をしてでも早くこの法案を通すべきだと私は思っている。しかし、法律上は過去に遡らないと言われたとしても政治家の場合にはマスコミが暴いて騒ぎ立てる。道義上の責任は免れず、政治生命を断たれるリスクは高い。この政治家に対する対策は私には思いつかない。

太陽戦略がだめなら北風戦略で行くしかない。少しでもマイナンバーつぶしにつながる行動があれば、「怪しい」と言って騒ぎ立てるというやり方である。今回の問責決議案に関してもどこかの週刊誌で騒ぎ立てるのではないかと思っている。しかし、この北風戦略はやったとしても時間がかかる。この方法で政治家が反対しなくなるようにするよりは、うまい太陽戦略を考えるほうが日本にとって得策だと思っている。


楊令伝読破

2012-08-28 20:54:01 | 生活

北方謙三の「楊令伝」全15巻を読み終えた。文庫本の第15巻が出たのは最近で、14巻から15巻までに少し間があったが自分の感覚としては一気に読んだ感じだった。

面白かった。面白いという感じはずっと続いていた。この前編となる水滸伝の最後で宋軍に敗れて全国に散って生き延びた梁山泊の残党が次第に復活して集まり、楊令を棟梁として戦う体制を作り、再び宋に挑む。北には女真族の国、金国ができ、南では方臘の乱が起きた中で、梁山泊は宋に勝ち新しい国づくりを目指す。

後半は新しい国、従来の王朝とは違うコンセプトの国づくりを目指し、周辺の国と戦う話しが続く。一貫して戦いが基本にある中で様々な人間模様が描かれている。

エンターテインメントとしてはとびきりの作品だと思うが、私は水滸伝のほうが好きである。水滸伝の梁山泊は国のレベルにまでは至らないのだが国づくりを目指して様々な人材を集める。戦士だけではなく、忍者、政治家、大工、医者、料理人、商人、土木工事屋、飛脚、薬剤師、鍛冶屋、などなど様々な人が集まって才能を発揮する。楊令伝のほうが梁山泊は大きくなって様々な人材が必要なはずなのに、人材の幅は狭くなった気がする。

もう一つは主人公の楊令がスーパーマンすぎる、という感じである。北方謙三の描く主人公は武力は強いが戦略は弱くだまされたりする。しかし、勘は鋭く、本能的に敵と味方、良い人間と悪い人間をかぎわける、というタイプが多いのだが、楊令は自分で戦っても強く、戦略もうまく、ビジョンもあるという人物である。もっとナイーブさと言うか弱みがあったほうが面白かったのでは、という気がした。

最後は終わり方が唐突なことである。以前から日本の作家は話しを広げるのはうまいが落とし前をつけずに突然終わる感じの作品が多いと感じていたが、この作品もそんな感じがする。しかし、この作品の場合には「岳飛伝」という続編があり、続編を読ませようという作者の意図があるのかもしれない。実際私は「岳飛伝」も読む気になっている。

ここまで来ると原作の水滸伝からは完全に離れている。国家の歴史というように広げた大作をどう楽しませながら最後にまとめていくのか、北方謙三の腕前を楽しみにしている。


資本主義はこのままで良いのか

2012-08-28 08:38:32 | 経済

私はこの種のタイトルで何度かブログに書いている。それは投機マネーがもたらす金融資本主義に行きすぎた状況についてである。今回は視点を変えて特許制度がもたらす技術発展についてである。

AppleとSamsungの特許係争に決着がつき始め、アメリカではSamsungがAppleに10億ドル払うようにという判決が出た。この種の係争は世界中で行われており、これからあちこちで判決が出るだろう。特許問題は今や産業界では大変な問題になっており、倒産した老舗企業の特許が高値で買い取られたり、特許を買い取って係争をしかけるパテントトロールといわれる企業が出たりしている。これに対してやり過ぎではないかという感触を持っている。

私が入社したころ、約40年前にも特許制度はあったが今ほど注目はされていなかった。通信技術はアメリカAT&Tのベル研究所や日本のNTTの研究所などが中核となりメーカの研究者と情報交換しながら新技術を生み出していた。オペレータは製品開発をしている訳ではないので技術ライセンス料は取ったとしてもそれほど高額では無く、自社が使っているシステムが良くなれば良いという意識だったろう。しかし、今やNTTを除いて世界のオペレータの研究開発能力は無くなり、ベンダあるいはベンチャー企業にその中心は移っている。その大きな理由の一つにアメリカの特許重視政策があると思う。

70年代、80年代、日本の追い上げで工業製品の大量生産では将来とも日本をはじめとする新興国に勝てないと見たアメリカはイノベーションを重視するプロパテント政策を取り、特許制度の重視、ベンチャー企業の育成などに力を入れた。その結果としてシリコンバレーなどが生まれ、アメリカは技術先進国として生まれ変わったし世界の技術進歩も早くなった。世界はドッグイヤーと言われる従来の速度の数倍の速さで変化を続ける状態になった。これはプロパテント政策と金融資本主義が結び付いた結果だと思っている。

今日、書きたいのはこのような早い技術進歩は果たして良いことか、必要以上に早すぎるのではないか、ということである。「技術進歩をするほうが生活が便利になるので消費者に受け入れられる、技術進歩は良いことだから技術進歩は早いほうが良いに決まっているではないか」と言われそうである。私も技術者の一人として技術進歩は良いことだと認めている。疑問に思うのは「技術進歩を早めるような制度を作って無理に早める必要があるのか」という点である。

特許制度が無ければ、人のまねをする、いわゆる2番手商法が儲かるので、技術進歩は遅くなる、というのは良く言われることである。これは事実だろう。しかし、それで技術進歩が止まる訳ではないだろう。やはり新技術を編み出して利益を上げようとする人は出るだろう。隠したりすることが多くなるので技術進歩の速度が遅くなるだけである。だが、そのほうが良いのではないか、という気がしなくもない。何となく世の中がギスギスしてきているように感じるのである。

人間の幸福感は「前と比べて良くなったか」が最大の要因だと私は思っている。前と比べて良くなる状態が長く続くことが望ましい。10年かけて少しずつ良くなるのと5年で2倍の速度で良くなって残りの5年は停滞というのとどちらが良いかと言えば、ゆっくり良くなるほうが良いだろう。5年で10年分良くなって、残りの5年で更によくなれば問題は無い。しかし、最近の動きを見ていると、この早い技術イノベーションがどこまで持続可能なのだろう、と感じてしまう。

私も年をとったということかもしれない。金融資本主義の投機の問題はある程度強く思っているのだが、「この技術進歩が早すぎる」という問題は何となく感じている程度である。それでも色々な人と議論をしてみたいという感じにはなっている。


重層構造の欲しい政府の外交

2012-08-27 09:26:01 | 社会

韓国と日本の間での竹島の領土問題でヒートアップしている。韓国大統領の天皇陛下に対する発言もあって韓国に対する反発感情が強まっている。私は、何度かこのブログに書いたが中国、ロシア、韓国での話し合いが背景にあるのではないかと思っている。それはさておき、今日は日本の対応の戦術(中身ではなく)について書こうと思う。

日本政府の対応を見ていると、我慢して、我慢して、あるところで堪忍袋の緒が切れて反撃が一斉に始まったという印象を受けている。これが薄っぺらではないかと感じている。中国は尖閣諸島問題で何度も強いメッセージを出しているが、胡錦濤主席が直接この件に関して発言したことは無い。一昨年の漁船の拿捕の時が一番上のレベルが動いたのだがその時でも温家宝首相どまりである。領土問題で攻めつつも、矛を収める余地を残していると私は理解している。最近の香港の活動家の動きに関しては外務省レベルの発言である。こういう動き方に私は重層的な懐の深さを感じる。

アメリカにも同様な懐の深さがある。大統領が発言するのはよほどのことである。その意味で韓国は薄っぺらである。日本は韓国スタイルではなく、中国や、アメリカスタイルを目指すべきだと思う。つまり、最初からタカ派で領土問題には強気の発言をすべき役割を決めておき、問題が大きくなってくれば外務大臣、最後に総理大臣というように段階を経て、強いメッセージを出していくようにすべきだと思う。日本の政府内部ではそういった役割分担ができていない感じがする。役割分担はおそらくあるのだろうが、問題が起きた時の即時的対応ができない。つまり方針が共有されていない印象がある。

国会中継を聞いていても、質問者側は細かいとことにまで総理の返答を要求する。これは本当に総理が回答すべき問題なのか、ということをもっと吟味すべきではないか、と思う。これは議長の役割だろう。私から見ると国会の議長はその役割をきちんと果たしていないように見える。マスコミも同様である。すぐに総理のコメントを求める。総理発言は日本の最高責任者の意思であるから、コメントを欲しいのは分かる。しかし総理が軽々に発言すべきではないと私は思っている。問題が起きた時にまず政府の担当官僚が発言する、次に担当大臣が発言する、最後に総理が発言する、こういった重層構造は外交だけでなく、全ての分野で心掛けるべきだと思っている。


ギリシャ情勢再び緊迫

2012-08-26 16:45:32 | 経済

このところオリンピックや政治家の夏休みがあってヨーロッパ情勢は落ち着いているようだが、ギリシャ情勢は再び緊迫しており9月危機がささやかれている。

ギリシャは300ほどあった約束事項の100ほどしか実行しておらず、再び債務不履行の危機に陥っているという。新しい首相はドイツやフランスを回って借金返済の猶予というか、新たな借金を頼みこんでいる。これが認められないと、公務員給与や、年金などが支払われなくなるらしい。

これで何度めだろうか、「緊縮財政にします」と約束してその一部しか実行しない。しばらくすると金が無くなるので再び借り入れを申し込む。これをあまりに繰り返しているので次第に信用されなくなってきている。

メルケル首相もオランド首相も、ギリシャに「ユーロ圏に残ってほしい」と言っているが、それは「こちらが要求する財政改革を実施せよ」ということであり、実施していないギリシャに対してまた、融資をするかどうかは明言していない。

おそらく、どこかで「これ以上は出せない」という最後通告が出て、ギリシャはユーロ離脱を余儀なくされるという感じがしている。スペインもそうだが、ギリシャの若者の失業率は50%に達している。その若者はどうやって暮らしているかというと、親と一緒に暮らして、親の生活費が支えている。その親は公務員で、働きは低くても比較的高い収入が確保されている。そこで「公務員給与を下げる」というと、若者たちが反対のデモ行進をする。うまく行くはずが無い構造になっている。

日本もそういう状態に近付いているのではないか。年寄りを優遇して、若者に収入が回らない。若者は失業はしていなくても親の助けを受けている人が増えているのではないか、と思う。こういった統計調査はあまり聞かないが調べて見る必要がありそうに思う。


日本の電機企業はなぜ勝てなくなったのか 重電

2012-08-23 08:14:39 | 経済

今日のタイトルは適切ではないと自分でも思っている。重電企業の業績は良く、日立、三菱、東芝の重電3社は業績も良く、各社は重電分野への傾斜を強めているからである。情報通信、家電、と来たので重電についても書いておこう、というのが趣旨である。

弱電と違って重電は電機系だけでなく機械系との組み合わせが不可欠である。従ってデジタル化したと言ってもアナログ部分が残っており、ノウハウが多いので新興国がのし上がって来るにはまだ時間がかかる。まだ数年は欧米の先進国企業との戦いが続くだろう。

重電、例えば発電システムなどは大規模システムでソフトウェアもかなり大規模になる。情報通信のところで日本は勝てないと言った話と一見矛盾するようである。私は重電システムと情報通信のソフトウェアの違いはプラットフォームとしての位置付けの違いにあると思っている。重電システムは単品料理的な性格が強く、同じプラットフォームにどんどん機能を追加するというよりも顧客の要望を聞いてそれを満足させる、場合によってはプラットフォーム全体を見直す、という性格が強い点が情報通信のソフトウェアとの大きな違いである。プラットフォームを崩さず、顧客の要望も一部は受け入れない欧米企業に対して顧客の要望に柔軟に対処する日本企業のほうが選ばれるということも少なくないのだろう。

日本企業が重電分野で将来も強みを維持できるかどうかは、ソフトウェアのプラットフォーム化が進むかどうかにかかっていると思う。各企業が会社ごとに違うソフトウェアプラットフォームを使っているうちは日本企業はそれなりの強さを維持できるだろう。PCにおけるマイクロソフトのように、重電分野でもソフトウェアに特化してソフトウェアプラットフォームを販売するような会社が出てくると日本企業は衰退すると思う。

数が出る市場でソフトウェアプラットフォームは出やすい。その意味で私が気になっている分野はロボットと電機ではないが自動車である。

 


日本の電機企業はなぜ勝てなくなったのか 家電

2012-08-22 09:15:39 | 経済

日本の家電業界も情報通信業界同様に業績は悪く、下降傾向にある。ただし情報通信とはかなり風景が異なる。情報通信がアメリカ企業に負けて、韓国、中国、台湾のアジア企業にも抜かれてきているという状況なのに対して、家電業界はアジア企業に負けているという構図である。

家電業界は技術力で勝てなくなったとは思えない。マーケティング力とコスト競争力で負けているという感じが強い。その意味でトップの力量の影響は大きいと思う。

私は勝てなくなった本質はデジタル化にあると思う。特にテレビはデジタル化によってインターフェイスが確立され装置事業は組み立て事業になってしまったので、アジア企業に対する日本企業の優位性が無くなったことが本質的だと思う。こういう市場になると装置産業よりも装置のためのプラットフォーム事業が重要となる。情報通信の場合にはソフトウェアプラットフォームが鍵となったがテレビの場合にはソフトウェア規模はまだそれほどでもなくむしろディスプレイがプラットフォームとなった。

ディスプレイに関してはソニーとパナソニックは液晶技術を軽視して技術戦略を誤った。シャープはディスプレイに関する技術戦略は正しかったがマーケティングを誤って大量の在庫を抱えた、というのが現状だと思っている。マーケティングに関して私は日本企業全般に問題があると思っている。70年代から80年代にかけて、日本企業が欧米に「追い付け、追い越せ」という意識で行動していた頃には日本市場で求められる高品質が、欧米でも通用する高品質になり、日本市場で成功した製品を欧米市場に投入すれば「品質が良い」と受け入れられブランドイメージが上がる状態だった。しかし90年代に入って日本がトップに躍り出てからは日本市場で求められる高品質は世界では潔癖すぎる過剰品質になったのではないか、その結果コストが見合わず市場で勝てなくなったのではないかと思っている。

Appleのようにユーザに新しい体験を与えて市場を引っ張る企業は別として、一般的なマーケティングでは様々な要望の中で、本当に重要なものを選び出し、重要でないものを切り捨てて商品企画を行う必要があるのだが、現在の日本企業の幹部があまり切り捨てる体験をせずに成功してきたことが商品企画の弱さにつながっているのではないかと思っている。

家電の分野では日本企業の未来は情報通信よりはるかに明るいと思っている。テレビはこれから情報通信機器の仲間入りをしていくかもしれないが、白物家電やエアコンなどは商品企画のやり方を見直せばまだ日本企業が十分に世界で戦う余地があると思っている。


日本の電機企業はなぜ勝てなくなったのか 情報通信

2012-08-21 09:09:02 | 経済

日本企業は経営が苦しくなっている。特に電機系の企業が苦しい。その理由は何か、いろいろ取りざたされている。このブログでも過去に何度か書いたのだが現状を見て改めて私の考えを書いてみよう。分野によって違うのでまず情報通信から行ってみよう。

世間でよく言われているのはトップダウンの弱さである。判断が遅い、大きな投資の決断ができない、思い入れのあるカリスマ指導者がいないなど色々言われている。確かにそういうことはあると思うが、私はもっと本質的な問題があると思っている。それはこのブログに何度も書いた「ソフトウェア技術力が低い」という点である。情報通信の分野では付加価値がソフトウェアに移ってきていてしかも大規模化してきている。このような大規模ソフトウェアは日本人全体が苦手である。その理由はアーキテクチャ軽視にあると思っている。大規模ソフトウェアは一度作ったら終わりではなく基本アーキテクチャをしっかり作って、それを使い回して機能を追加し発展させていく。このようなやり方が日本文化になじまない。

日本的やり方は「とりあえず動くものを作る」というやり方で製品を出して世に問うてユーザの反応を見ながら改良していくというやり方である。同じ「とりあえず動くものを作る」でもアメリカ型はアーキテクチャをしっかりと考えて、具体的実現方法にはバグがあってもベータ版と称して世に出して改良とバグつぶしを並行して行うやり方である。これに対して日本型は機能を限定してバグは無くきっちり作り込み、次のバージョンで機能追加を行う、というやり方である。このやり方はアーキテクチャがきちんと考えられていないのでたちまち破綻してしまう。都市設計なども同じやり方で行われており、日本文化の深いところに根ざしているので容易に変わらないと思う。もう一つはプログラミング言語が英語がベースになっているという点である。日本人の英語力の低さが質の高いプログラマーの層を薄くしている。できる人もい無くはないが多数の人が関わるソフトになるとこれが大きな問題になってくる。

日本がソフトウェアを強化しようと思ったら開発拠点をアメリカ(英語圏の地域)に移すしかないだろうと思う。情報通信の分野では付加価値の源泉がソフトウェアになっているので、ソフトウェア開発チームに強い発言力を与えなくてはならない。いくらアメリカに開発拠点を移しても日本から「早く動くものを出せ」というような指示であおっていては同じことである。商品企画もアメリカに移すくらいの覚悟が必要だと思う。

ソフトウェアで儲かるのは同じソフトを世界中の人が使うようなプラットフォーム事業である。ソフトウェアは開発コストが膨大で製造コストがゼロなので、繰り返し使えばそれだけ利益が出る。しかし、日本企業がソフトウェアプラットフォーム事業で成功するのは無理だと思う。守りに入って、文化的要素の強い、日本人向けの商品企画やアプリソフトに特化し、それを完成の近いアジア地域に輸出するというようなことくらいしか考えられない。今のPC事業のイメージである。大きく巻き返すことはできないと思っている。


肺活量の減少

2012-08-20 07:39:06 | 生活

先週は、大学が休み(16,17日は休みでは無かったが休暇にした)だった。ウィトラは夏休みが無いので自宅とすすき野のウィトラのオフィスを行き来していた。

暑い日が続いていたので、夜はオフィスのほうで寝泊まりしていた。アパートの4階のほうが風が入って涼しい。夕食を食べ終わった後、車で送ってもらってパジャマ姿でアパートに行く。少しテレビを見て早めに眠る。朝5時頃起きて、自宅まで走る。朝食を食べたら再びオフィスへ。仕事が終わると歩いて自宅に戻る。というような生活を繰り返していた。

先週だけで5回ほど走ったのだが、なかなか体力が向上してきた実感がない。今までだと5回も走ると明らかに体力が向上するのが実感できたのに。30分ほど極めてゆっくり走る。それでも上り坂があると呼吸が苦しくなる。筋肉が疲れるよりも先に呼吸が苦しくなるのは、肺活量が不足しているからだろう。それも少しずつ良くなってきているようだがどうも進歩は遅い。それでも土曜日には何とか50分位走れた。朝早いうちに走るので大学に行くようになっても続けられる。できる限り続けようと思っているが果たしていつまで続くだろうか。

息が上がってくると喘息のようなぜいぜいした音が喉の奥のほうでして、わすかだが痰が出てくる。これが健康に良いのではないかと勝手に思っている。やはり息が上がるくらいの運動をしたほうが良いのだろう。その意味では山登りも良いなと思う。

若い頃は家内と一緒に山に登ったものだが、今は家内は誘っても決して来ない。一人で近くの山から始めてみようかと思う。